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第4部
9月FESTAでFabrizio De Andrè(1940-1999)、1月FESTAでBruno Lauzi(1937-2006)と紹介してきた『Scuola genovese dei cantautori』(ジェノヴァ派カンタウトーレ/自作自演歌手)。イタリア音楽史に大きな史跡を残した彼らジェノヴァ派カンタウトーレの中で、数少ない生存者として、今でも第一線の活動を続けるGino Paoli(73/F.Venezia-Giulia州Monfalcone生まれ~Genova育ち)。Paoliは母が弾くピアノから音楽に情熱を持つようになり、前出のジェノヴァ派カンタウトーレの中心メンバーとして行動するようになります。ちなみにFabrizio De Andrèを見出し、ジェノヴァ派グループに引き込んだのもPaoliですし、イタリア音楽史に残る現役ビッグスターLucio Dalla(64/1月FESTAで紹介)を発掘したのもPaoliと言われています。
1960年にデビューするや"La gatta(メス猫)"がいきなりヒット。Mina(67)に書いた"Il cielo in una stanza(部屋の中の空/邦題:しあわせがいっぱい)"も大ヒット。
後者はイタリア人なら誰でも知っていると言われる名曲で、
あなたが僕と居てくれると
この部屋にはもう壁が無くなり
永遠の森に居る気分になれるよ
あなたが僕の傍に居てくれると
このすみれ色の天井は
もう存在しない
ほら 僕らの上には空が見えるよ
と歌われるロマンティックな愛の歌ではありますが、実はPaoliが娼婦のために書いた歌、というエピソードが存在するのが興味深いところ。
貧しい者、身分の低い者と同じ視線で描かれる芸術は、イタリア大衆の心をがっちりと掴みますので、それがこの歌を単なる愛の歌ではなく、究極の愛の歌にしているのかもしれません。
翌1961年にはOrnella Vanoni(73)と知り合い、意気投合。その後現在まで続く、長い信頼関係が保たれています。(下世話な推測では、当時二人は恋仲であったとも言われています)
1962年にはイタリア国内の長いツアーに出かけますが、そこでStefania Sandrelli(61)と知り合い、彼らは恋に落ちます。この事実はイタリア中で大きなスキャンダルとなりました。なぜならPaoliは28歳の既婚者(別居中だったが)で、Stefaniaはまだ未成年の16歳だったから。1964年にはとうとう未婚のままStefaniaはPaoliの子を身ごもってしまいます。
1960年代初頭のキリスト教の総本山のお国では、当時はまだ離婚も許されていないぐらいですから、結婚なしの妊娠、不倫、中絶などは許されざること。Stefaniaは中絶せず、未婚の母となる道を選び、娘Amandaを出産します。
(離婚は1974年、中絶は1980年に法案改正され認可される)Stefania Sandrelliは、映画『Divorzio all'italiana(イタリア式離婚狂想曲)』(1961)や『Sedotta e abbandonata誘惑されて棄てられて』 (1964) でPietro Germi監督に白羽の矢を当てられたシンデレラガールでしたが、娘Amandaを産んだ後も『Novecento(1900年)』(1976)などのイタリア映画史に残る作品に出演しています。1980年以降は、エロティシズムを題材にした映画で大胆なポーズを見せています。
『La Tarantola dal ventre neroタランチュラ 』(1971)
『Alfredo, Alfredoアルフレード・アルフレード』(1972)
『La Chiave鍵 』(1984)
『Jamón, jamónハモン・ハモン 』(1992)
しかし1960年代当時のイタリアの社会は厳格で、Paoliを許しませんでした。スキャンダルで攻め続けられたPaoliは、曲を書けなくなり、レコード会社との契約も切れ、Liguria地方でわずかなギャラを稼ぐためのドサ周りをして食いつないで行く生活に入ります。この時期にPaoliは、オーヴァードラッグとも、自殺とも思える行動で、何度も命を落としかけています。1970年代から徐々にメジャーシーンに復帰し、1980年代からは完全カムバックを果たし、今日に至ります。
Stefaniaとの間に生まれた娘Amanda Sandrelli(43) も女優になり、『Nirvanaニルバーナ』 (1997)などにも出演しています。彼女が29歳の時(1993年)には、ディズニー映画『美女と野獣』のイタリア語版の主題歌を、父Paoliと仲睦ましくデュエットしています。
そんな怒涛の人生を生きてきたPaoliも流行のオリジナルの3枚組ベスト盤「Canzoni da Ricordare(思い出される歌たち)」(2006)を発表しました。2月Festaでは、2004年にOrnella Vanoniと共演したライヴDVDから、Paoliソロのステージを3曲紹介。
"Lo specchio(鏡)"(2004)。とにかくこのライヴはオーケストラが豪華なので、この曲の再現にぴったりのシチュエーション。豊かなオーケストラの響きから、淡々と歌うGino Paoli。歳を重ねたカップルをモチーフにした内容で、
君の鏡はかつての君をもう映し出したりはしない・・・・
でも僕の瞳の中にある鏡を見れば
再発見できるだろう
君は今でもきれいだと・・・・
あのようなやんちゃな経歴から想像できないほど、柔和な表情の品のあるお爺さま然としたPaoli。彼がスキャンダル後、いかに辛酸をなめ、そのどん底から必死に這い上がって来たか、その後の人生をどれだけ真摯に生きてきたかなどを感じました。でなければあんな歳の重ね方はできないでしょう。
そしてPaoliの代表曲、否、イタリア人なら現代でも知らない人は居ないであろう20世紀を代表する名曲のひとつ"Sapore di sale(塩の味)"(1963)。それを証明するかのように、歌い出しは観客全員による大合唱!老いも若きも、見事なまで皆口ずさんでいます。途中からPaoliがヴォーカルを取ります。この曲の他、今でもイタリア人の記憶や遺伝子に残るPaoliの名曲の数々が、デビューから数年で書かれていた事は今さらながら驚愕の事実ですね。
CD収録の方では名曲"Che cosa c'è(何があるの?)"(1961)の一節から始められる
"Una lunga storia d'amore(ある長い愛の物語)"(1992)ですが、DVDではそこは残念ながらカットされています。それでもPaoliが情感込めて歌い上げる美しい曲。自身の波乱万丈の恋愛遍歴を振り返って歌っているのかもしれません。
貴重な生存するジェノヴァ派としても、イタリア音楽界の隆盛の時代を生き抜いた古参カンタウトーレとしても、今後とも生涯現役でがんばってもらいたいものです。

医者の父と大学教授の母という裕福な家庭に生まれたCremoniniは、幼少時よりピアノ教室に通い、小学生の時にはクラシック音楽のコンサートにもいくつも出演していたそうです。11歳の時に同級生の女の子のために秘密のノートを作り、そこに愛の詩を書き溜めていくという体験から曲作りに目覚めていき、12歳の時Queenを聴いてから、クラシック音楽への情熱はPop/Rockの方向へ切り替えられます。16歳になるとバンド活動を始め、これがLùnapopプロジェクトの原型になります。
1999年にLùnapopとしてのファーストアルバム「...Squérez?」を完成させますが、どこの音楽出版社も契約してくれません。試しにシングル1枚なら・・・という小さな音楽出版社と契約し、出したシングルが"50 special"(1999)。これは当時イタリアでもリバイバル人気が沸騰していたスクーター、Vespa50ccのビンテージモデルを題材にしていて、若者の弾ける気持ち溢れる歌詞とサウンドで、たちまちヒットし、イタリアのディスコでも良くかかるほどでした。
Vespaはイタリアが戦後すぐの1946年に量産化始めたスクーターで、ヘリコプター技術を応用したモノコックボディやその愛らしいシルエットと愛嬌のあるエンジン音で一躍イタリアで大ヒット。Vespa(蜂)というネーミングはそのエンジン音が蜂の飛ぶ音に似ているから名付けられたとも、蜂のような魅惑的なボディラインをしているからとも言われるとおり、Vespaは常にセクシーなイメージをまとい、戦後イタリア文化の象徴として君臨します。
Chi 'vespa' mangia le mele といういう有名なキャッチコピーの広告があり、
1970年代当時、セックスシンボルでもあったPatty Pravo(59/Venezia出身)にそれを言わせたものだから、センセーショナルな話題となりました。
"mangiare le mele(リンゴを食べる)"というフレーズは、キリスト教社会において、人間がエデンの園から追われる原因となった事件を意味し、「禁断を犯すこと」転じて「人間らしい振る舞い」とも解釈できると思えます。
Chi 'vespa' mangia le mele の"vespa"が文法上、何を意味するのかも当時大きな話題となり、形容詞説、副詞説、使役動詞説、助動詞説などいろいろ挙がりましたが、最も有力だったのが動詞説。
Chi 'vespa' mangia le mele(Vespaするものはリンゴを食べる)、すなわち、『Vespaに乗ることは、禁断の魅力があって、セクシーで、ある意味もっとも人間が生き生きできること』というメッセージだったようです。
こういったイタリア人に文化的な面でも大きな影響を与えたVespaを題材にしたというのが功を奏し、Lùnapopの"50 special"は快調な滑り出しをし、その後Vespaの製造メーカーであるPiaggio社の協賛を得たSpecialバージョンなど、計5バージョンがリリースされる事となりました。
こうして"50 special"のヒットのおかげでアルバム「...Squérez?」(1999)の発売にこぎつけたLùnapopですが、その後、アルバム収録曲の5曲がシングル化され、どれもが大ヒット、アルバムも2年間にわたり上位にランクし続けるという、超ミリオンセラー&ロングセラーとなりました。
どうやら子供たちに対してもアイドルやヒーローのように人気があり、ポケモンカードの裏面がLùnapopのメンバーの写真になっていたり、キャラクター文具の1シリーズとしてLùnapopキャラも用意されていました。
要するに、Lùnapopはノリのよい新しいサウンドで若者を夢中にし、ビジュアル面で女性や子供たちに受け入れられ、音楽的なバックボーンがしっかりした楽曲とその再現力、どこか懐かしさを感じる絶妙の曲作りで大人のファンを捕らえたモンスタープロジェクトに成長した訳です。
発売から2年経過して、ようやく「...Squérez?」がチャートから落ち、誰もがLùnapopのセカンドアルバムを期待し始めました。2002年になってようやくCesare Cremoniniソロ名義でシングルがリリースされ、メンバーはベースのBallo(25/Bologna出身)だけクレジットされていました。どうやらLunapop自体はCesare Cremoniniというソロアーティストのプロジェクトにしか過ぎなかったということのようです。
2月FESTAオオトリを務めるのに相応しく、Cesare CremoniniのNewアルバム「1+8+24」(2006)はライブアルバムでDVD付き! またタイトルが示すとおり、1=Cremonini、8=バンドメンバー数、24=オーケストラ団員数を現し、総計33人の音楽家がつむぎ出す豪華サウンドのステージ。
まずはそのLùnapopが世に出るきっかけとなった"50 special"(1999)を。ノリのよい曲だけあって、会場は大興奮。オーケストラの特にブラスセクションの間奏が素晴らしい。Cremoniniはところどころ歌い崩し、演奏もオリジナルと違うアレンジをあちこち入れていますが、Cremoniniの安定感ある歌唱力は一糸も乱れません。
2曲目"Le tue parole fanno male(君の言葉は傷つける)"(2005)は、ソロ名義2枚目のアルバム「Maggese(休閑地)」(2005)から。イタリアらしいマンドリンの調べでイントロが構成されたスローテンポの曲。一瞬、南イタリアの海のキラメキが情景に浮かびます。オーボエの響きも美しく、Lunapop時代の"Vorrei(欲しい)"(1999)を彷彿とさせる世界観の歌です。
2月FESTAのラストは、Lùnapop時代の名曲"Un giorno migliore(より良き日)"(1999)
オーケストラとバンドのサウンドの混ざり合いが心地良く、Cremoniniの持ち味である、切ないラブソング。
僕は明日の何を待っているのだろう・・・
太陽?いや、本当はまだ願っているんだ・・・・
君が僕の明日に居てくれたらいいなと明日君に会えたら、君の手に軽く触れたいな
群衆の中で僕と君だけ
ベンソン&ヘッジスのタバコの火で温まろう君が僕を求めてくれたら
明日は今日より良い日になるのにな・・・・判るだろう?君なしでは僕は何も要らない
君は君が思うよりもっとすごい人さ
僕の冬の中に存在する、君は太陽で雨。君が僕を求めてくれたら
明日は今日より良い日になるのにな・・・・判るだろう?
London Telefilmonic Orchestraをバックに据えてのシアターライヴとなったCesare CremoniniのNewアルバム「1+8+24」は、Cremoniniが単なる「いい男」ではない、その音楽センスや力量をまざまざと見せ付けた名盤でした。
彼が導く21世紀のイタリアPOPSに期待しつつ、2月FESTAは幕を下ろしました。
二次会
今回はニコラさん、タジリさん、ぷんとくん、Yoshioの4人で二次会を行いました。
いつものように、ワインを飲みながら、いろんなテーマで談義。
三次会は4名全員で、西大島名物「蘭丸」に行きました。
初めての座敷に陣取り、ニコラさん&タジリさんは「醤油ラーメン」を、ぷんとくん&Yoshioは「塩そば」を頼んで待っていたら、まず塩ラーメン登場!
年配のおかみさんが丼を両手に持って配膳しようとしたその時、座敷の前の段差につまずき、両の手に持ったラーメンを半分は座敷に、半分はあがりまちにぶちまけてしまいました!
座敷にぶちまけられた分は端に座っていたタジリさんの方へ・・・・
だが運良く座布団の裏に少々染み込んだだけで被害なし。
ところが、あがりまちにぶちまけられたところには・・・・ニコラさんの靴だけが・・・!
そんな事態にも人間が出来ているニコラさんは、両腕に火傷を負ったはずのおかみさんを気遣い、代金を返すという申し出も断り、「帰ってから靴下洗えば済みますから」とだけ。ニコラさんの人間の大きさを垣間見る事ができました。
そんなニコラさんには、おかみさんは名物のチャーシューを丸ごと1本差し出しましたし、僕らには餃子を出してくれたし、後でニコラさんに聞いたところによると、新しい靴を買って、もう捨てる寸前の靴を履いて来ていたという、不幸中の幸いだったそう。(さすがに帰宅途中は足元ラーメン臭くて困ったそうですがw)
そんな事件があっても大丈夫。「蘭丸」は代替の効かないラーメン屋なので、また行きますよ!
次回FESTA
3月FESTAは、引き続き「ミュージック・ラウンジ♪バーン」にて、3/10(土)15時〜19時の開催予定です。今回参加できなかった方は、ぜひご参加を!
注)記事中の歌手の年齢は、記載時点での誕生日の到来を考慮はせず、2006年に達する年齢で表記しています。
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