大阪関西万博2025に奇跡の初来日公演を果たしたイタリアのビッグアーティスト3組: Negramaro(ネグラマーロ)、Elisa(エリーザ)、Achille Lauro(アキッレ・ラウロ)にインタビューを敢行いたしました。
FMラジオ番組『ガウラジ』で、インタビュー内容のごく一部を紹介しましたが、貴重な話がてんこ盛りの内容でしたので、順次、全文掲載していきます。
放送内容は、『ガウラジ』公式ポッドキャストで(かけた楽曲は著作権の絡みでカットされてます)
Achille Lauro(アキッレ・ラウロ)(実施日:2025年8月21日)、Elisa(エリーザ)(実施日:2025年8月20日)に続いて、最後にNegramaro(ネグラマーロ)(実施日2025年8月19日)を掲載します。
ネグラマーロは6人のメンバー全員がインタビューに同席してくれて、南部人らしく、饒舌に、声色を使い分けたり、モノマネしながら、25分間近くタップリ語ってくれました。(エリーザやアキッレ・ラウロの2〜3倍の時間!)
ひとつひとつの質問に対して、サービス精神たっぷりに、知られざるエピソード満載で答えてくれ、イタリア音楽ファンとしても、ジャーナリストとしても、非常に心に残るインタビューの機会となりました。
記者:ずっと変わらない鉄壁の6人体制のバンドですが、いつもその絶妙なサウンドに満足させられています。バンドを変わらずに維持する秘訣を教えてください。
Negramaro: 素晴らしいイタリア語での質問に驚きですし、あなたが私たちを賞賛してくれることを嬉しく思います。
私たちがオリジナルメンバーのままいられることを光栄に思うかどうかではなくて、秘訣はただひとつ、自分たちがやるべきことをやるということです。それは単に、音楽という芸術、あらゆる意味での芸術的表現に、常に大きな、強い魅力を感じてきたからです。
私たちの間で共有する歌や音楽はリハーサルルームの垣根を超えたのです。25年前、私たちは実家の2m x 3mの穴蔵で演奏していて、あの小さな部屋の境界は越えたと思っていましたが、さらに大阪で演奏することになるなど、想像もしていませんでした。
でもあの小さな部屋と大阪の間で、私たちは日本と密接な関係を築いて来ました。それはサウンドエンジニア兼プロデューサーのTaketo Gohara(タケト・ゴウハラ / 訳注:ミラノ生まれ育ちだが100%日本人)の参加で決定的になりました。実際にはそれはNegramaroの起源の一部だと言えます。カテリーナ・カゼッリ(訳注:彼らが所属するレーベルの社長で、60年代に一世風靡した歌手)と共同プロデュースした1stアルバム『Negramaro』(2003)の時に彼とスタジオで出会い、「僕はあなたたちのファン」と言ってくれました。つまり、彼が私たちにとって日本人ファンの第一号という訳です。
Taketo Gohara

彼が私たちと一緒にプロデュースをしてくれたことは素晴らしいことでした。私たちがナッシュビル(訳注:米テネシー州)に居た頃に(訳注:2014年)世界中を彼と巡った時、彼の母親である素晴らしいソプラノ歌手(訳注:Hiroko Fujita)が、私たちのアルバムに参加してくれました。彼女は既に半分引退していたのに。ある日、元PFMのMauro Pagani(マウロ・パガーニ)のスタジオで、彼女はティータイムを日本茶とお茶菓子でもてなしてくれました。そして楽曲「Il posto dei santi(意:聖人たちの場所)」では驚愕のパフォーマンスで歌い始めました。だからこの大阪のコンサートでこの曲を彼女に捧げるんです。友人であり、もうこの世にいない天使に。オペラ歌手であり、Taketo Goharaの母に。
記者:最新アルバム『FreeLove』はセルフプロデュースとなり、そのTaketo Goharaら多くの方との共同プロデュースですね。この複数人プロデューサーを起用することになったきっかけを教えてください。
Negramaro: そうですねぇ、(メンバーの)Andro(アンドロ)がプロデュースした曲もあるし、Davide Simonetta(ダヴィデ・シモネッタ)、SixpmことAndy(Andrea Ferrara/アンドレア・フェッラーラ)とか。実際、長年知ってる人たちだし、手を取り合ってやるのが今の私たちの仕事の仕方なのかも。
数年前までは1人のプロデューサーがたくさんのトラックを手掛けていましたが、最近は均質のコンセプトではなく、異なるスタジオで異なるプロデューサーと仕事するのが一般的になりました。また、テクノロジーの進歩により、世界中何処ででも共通の基準が提供されるようになったこともその一因でしょう。ですから今回も自然と、そういうチームに分かれて制作された作品が自然に生まれ、それでもスタイルが保たれている。あなたが気付いたように、最終的には、(ドイツの)ベルリンのHansaスタジオ(訳注:アルバムをレコーディングしたスタジオ)が揺りかごのような存在だったのかもしれません。
私たちは長年、常に創造的な進化を目指して仕事をしてきました。今の私たちはある曲を書いて発表したいと思ったらそれを書き上げる。そして他の曲と一緒に、もうひとつの作品となることもあり、最終的に全てのシングル、全てのヒット曲の拠り所となるアルバムを創り上げていく、というスタイルですね。
その一例として、Fabri Fibra(ファブリ・フィブラ)と「Fino al giorno nuovo(意:新しい日まで)」、Elisa(エリーザ)そしてJovanotti(ジョヴァノッティ)と「Diamanti(意:ダイヤモンド)」、その他にも「Marziani(意:火星人)」と「Luna piena(意:満月)」、そしてサンレモ2025で発表した「Ricominciamo tutto(意:全てを再開しよう)」など全てを私たちは2年前にスタートさせました。
最終的に私たちは新たな方向:ほぼ3年間の長い間続いた作品全体の最終決定版とする新しい方向に取り組みました。ですからアルバムタイトルの『Free Love』とは、まさにこの愛、私たちが尊敬する、共に素晴らしいことを成し遂げてくれた人々のエネルギーが流れ込んだ “Free Love” なのです。
記者:そのサンレモ2025出場曲「Ricominciamo tutto(意:全てを再開しよう)」はアフターコロナの世界観を歌った曲に感じられますが。
Negramaro: そうなんですよ!(時代を遡ると)おそらく私たちがコロナ禍の最中にアルバムをリリースした唯一のバンドでした(訳注:2020年『Contatto(意:接触)』)。メンバーのAndroがプロデュースし、自宅スタジオで制作したので、全員がファイルを送信し合っていました。
不思議なことに私たちは世界最大級のスタジオに行くことに慣れていました。(アメリカの)ナッシュビルやサウサリートスタジオ、(カナダの)トロントのブラックバーズにも行き、その直後にはベルリンのHansaスタジオのような巨大なスタジオでも。でもその間も私たちは接触し続けました。
(コロナ禍時の)周囲の恐れや、適切な対策を講じるためには、もしかしたら少し立ち止まるべきだったかもしれない瞬間でも、立ち止まることはしませんでした。人々に愛を与え続けるために、私たちは自分たちを少し犠牲にしたかったのかも。もしそうしなかったら、本当に荒んで、真っ黒な完全な死が待ち受けていたと思います。
芸術は止まるべきではなかった。本なら出版されなければならなかった。映画は作られねばならなかった。音楽はわがままだから、家に閉じこもってはいられなかった。そうでなければプラチナやダイヤモンド・ディスクは生まれなかったことでしょう。だからこの体験は間違いなく「Ricominciamo tutto」の原点になりました。全てはその段階に属するのですが、それはまた常に進化し、私たちが継続的に再出発する時でもあります。
(その前作)2017年の『Amore che torni(意:戻って来る愛)』から私たちは、決して立ち止まることなく歩み続けて来たのです。『Amore che torni』(2017)はバンドの危機の時でした(訳注:メンバー間の見解の不一致で2ヶ月間解散状態に)。疎遠になった私(ヴォーカルのGiuliano)はニューヨークに渡り、独りで曲を書いていたんです。このアルバムは希望に満ちた少女の声で終わる(訳注:楽曲「Ci sto pensando da un po'(意:ここで少し考えている)」)。私の姪の少女の声で、“全てが終わったように見える時、それはまさに最出発の時” と言うのです。そしてこの時、私たちは全てをやり直したんです。あなたが最初に質問していた(6人のまま続けることの)秘訣のひとつだと思います。
あらゆるアルバムは再出発なんです。友情も音楽も、もちろんリスナーとの関係も、決して当たり前のこととは思えません。何よりも人生というものは常に最初からやり直し、決して終わることのない素晴らしいゲームなんです。
記者:エリーザとの共演曲がいくつかありますが、今回の大阪万博のステージで実現してくれますか?
Negramaro:エリーザは昨日(訳注:8/18)到着しました、アキッレ・ラウロもね。私たちはプーリア州サレント出身の南部人で、“テッローネ”(訳注:南部人を意味する自虐的表現)というものは過度に親切なものですから、私たちは計算高くないアーティストなんです。
そうだエリーザとはもう共演してる!そうでなきゃ、エリーザやジョヴァノッティと素晴らしい曲を2曲作った後にダイヤモンド・ディスクは生まれなかったことでしょう。つまり後戻りはしない。私たちは開かれた港みたいなものです。エリーザが居て、アキッレも居る。ステージにはネグラマーロが居る。“良かったら上がっていってよ、いつでも我が家に” ってことですよね。そうなったら素晴らしいですね。よくやるんです。友達が来るのを確信して、観客席に居たらステージに引っ張り上げる。イメージを保つために “ステージは神聖なもの、尊重すべき“ なんて考え、ステージの外でそんな計算するなんて馬鹿げてますね。
(翌日、大阪関西万博ArenaMatsuriで実現したネグラマーロとエリーザの共演)

記者:2008年にはもうサン・シーロ(注1)の大舞台を踏んでいますね。この栄光の物語を教えてください。
(注1:正式名はスターディオ・ジュゼッペ・メアッツァ / サッカーチームACミランのホームグラウンドで、コンサートの場合、最大収容人数は約10万人の巨大スタジアム。集客力に確実性があり、格のあるアーティストにしか貸し出ししないことで有名)
Negramaro:初めてアッサーゴフォーラム(注2)に出演した時のように少し慎重になりましたが、すぐに受け入れました。関係者の中では疑問視する声もありましたが、実際はとてもうまく行き、その後シリーズ化されて繰り返され、直近は昨年2024年にも行いました。
(注2:正式名はミラノフォーラム。最大収容人数1万6千人弱の屋内スポーツ施設)
当時は若いアーティストだけでサン・シーロに立つなんて考えられませんでした。光栄なことに私たちはサン・シーロで演奏したイタリア初のバンドになりました。若いイタリアのアーティストの手が届く場所になったという解放感もありました。アレーナ・ディ・ヴェローナ(注3)も新進のバンドが近づくことを許してくれました。
(注3:古代ローマ時代に建造された屋外円形劇場で、コンサート会場としては主にオペラ公演に利用される。)
こうして私たちは信じられないほどの数字を出し続けました。当時はまだSNSもなく、全てが本当に初めての事ばかりでした。私たちはまるで月面のアームストロングのようでした(訳注:初めて月面に1歩を残した人物)。
記者:今夜もあなたたちは大阪万博のちょっとしたスタジアムに立つことになりますね。
Negramaro:はい、もちろんです。今夜もうすぐなので待ちきれません。この最初の経験は忘れられません。“Expo” と呼ばれている語源の意義があります。“人目にさらす” ということです。私たちは音楽が非常に重要なイタリア文化の一部である、ということを訴求するつもりです。
おそらくイタリアの他の分野と比較して、(イタリアのポピュラー音楽は)海外で聴かれるのに少し苦労しているもののひとつであり、エリーザとアキッレ・ラウロと共に、イタリア音楽、ポップロックの代表者としてだけでなく、イタリア音楽文化として大きな喜びです。そしてこれは私たちが25年間の仕事で蓄積された経験を正確に示す重要な機会です。私たちはこの瞬間を忘れられないものにするために貢献できることを願っています。
(大阪関西万博・イタリア館に署名を残すネグラマーロ)
記者:あなたたちは往年のイタリア語曲をもいくつもカバーしていますね。ドン・バッキーの「L’Immensita`(意:無限 / 邦題:涙に咲く花)」(サンレモ1967出場曲)、ドメニコ・モドゥーニョの「Meraviglioso(意:素晴らしい)」(1971)、マリオ・デル・モナコの「Un amore cosi` grande(意:こんなに大きな愛)」(1975)などなど。その選択の理由を教えてください。
Negramaro:私たちの親しい友人であるジョヴァンニ・ヴェロネージ(映画監督)と日曜日に遊んでいた時のことです。スタジオに居る私たちに彼はこう言いました。“映画『Italians』にネグラマーロ版の「Meraviglioso」が必要なんだ” と。私(Giuliano)には全然理解できませんでした。偉大なモドゥーニョに敬意を払っていましたし、自分はほど遠いと思っていましたから。でもジョヴァンニ・ヴェロネージは私の背中を押すという偉大な役割を持っていて、最終的に私は言いました “ジョヴァンニ、やってみるよ” と。
それから私はその曲を学んだのですが、ドメニコ・モドゥーニョの歌はとても素晴らしかった! 呼吸が巧みだと理解しました。ようやく私はそこにたどり着き、声が開いた。そしてようやく私たちの歌になりました。音楽とはそうやって作るものなんですね。偉大な存在を避けても、人生の中でその人を見つけることがある。彼らが偉大過ぎて、そのことに気付いてないからだけなんです。彼ら(偉大なアーティスたち)は素晴らしかった。
それは新しい世代にも起こることでしょう。30年後には私たちの歌は変わっていることでしょう。私たちのバージョンのカバーをする子供たちを夢みています。私たちのアイデンティティにとっては素晴らしいことですね。
「Un amore cosi` grande」は私がエイナウディ(訳注:出版社)に書いた最初の小説の後にやって来ました。サッカーW杯2014の応援歌ですから、音楽よりも大きな愛のために歌詞を書き直しました。
記者:出世曲「Mentre tutto scorre(意:全てが流れている間に)」は、サンレモ2005で予選落ちしたのに、同年映画「La Febbre(邦題:『マリオの生きる道』)」のサントラに起用されて、ナストロダルジェントの最優秀楽曲賞に輝き、大ヒットし、バンドの人気にも火が付きましたね。この大逆転劇の時の想い出を教えてください。
Negramaro:フランコ・カリファーノ(注4)を知ってますか? 私にとって、ジェノヴァの詩人はデ・アンドレ(注5)ですが、ローマの詩人はカリファーノです。彼は私たちの大ファンでしたし、私たちは彼の大ファンでした。
(注4:シンガーソングライターであり、名作詞家としても多くの楽曲を他のアーティストに提供。2013年没)
(注5:60年代から活動していたシンガーソングライターであり、後の地中海音楽やジェノヴァ方言で歌う第一人者として、その死後四半世紀が経過しても、多くのイタリア人の心に残り続ける偉人的存在)
(サンレモで予選落ちした)その日の私たちの気持を判って貰うためにこの逸話をしましょうか。その日、私たちは悲しむ暇さえなく階段を降りました。アリストン劇場(訳注:サンレモ音楽祭の会場)の階段の外でフランコに会いました。彼は私たちにこう言いました。(フランコ・カリファーノの声マネで)“君たちが全て優勝だよ。君たちは記者部屋で何が起こったのかは知らないだろ。この歌が全ての始まりだよ” そんな感じの事を言ってくれました。
だから。。。ありがとうフランコ、今どこに居るのかな。彼は僕たちの事を誇りに思ってくれるだろうね。きっと今、僕にメッセージを書いてくれたことだろう “くそ〜、オマエたち、日本にいるじゃないか〜 見てるぞ〜!” とね。
記者:ラジオ番組『ガウラジ』のリスナーの皆さんにメッセージを。
Negramaro:ネグラマーロからガウラジの友人たちに心からの挨拶を贈ります。私たちは演奏するのが待ちきれず、やる気満々で、最高に演りたいと思っています。私たち皆が学ばなければならないこの偉大な文明の地に居られることを光栄に思います。今後、皆さんからもっと多くの事を学べるよう願っています。ありがとうございます。








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