近年映像が発掘されたアーカイヴ映像(日本からは視聴不可)のひとつ『Incontro con Lucio Battisti(意:ルーチォ・バッティスティとの出会い)』(1969)から。本レポートでは日本からでも見られる映像のリンクを一部貼っておくが、非公式アカウントがアップしているものなので、いつまで見られるかの保障はない。

Lucio Battisti - Incontro con Lucio Battisti 1969

1969年といえば、Lucio Battisti(1943-1998/Lazio州Poggio Bustone出身)が同年のサンレモ音楽祭に初出場して、イタリア中に名前と顔が知れ渡り始めるきっかけとなった記念すべき年ではあるものの、まだ世間の大人たちに充分な評価を得られずにいた頃。一方、若い世代やバッティスティの新鮮な感覚に呼応する人々の間では、急速に時代の寵児として大きな求心力を発揮し始めた頃でもある。

70年ごろを境目にイタリア音楽はガラッと様相が異なる音楽に変わるのだが、それは全て、このバッティスティを起点に始まったムーヴメントであり、以降、現代まで続く長いカンタウトーレ・ブームがイタリア音楽界全体を牽引していくという大変革をもたらしたことからも、バッティスティはイタリア音楽界の歴史に大きな偉業を残した、後世にまで語り継がれていく存在であることは間違いないだろう。

30年ほどの音楽キャリアの初期中の初期ともいえる1969年の映像なので、もちろん後に発表される大ヒット曲は登場しないものの、この時点で既に、イタリア人なら今でも&誰でも知っているような名曲がいくつも披露されているのは驚きをもって感じ取れるはず。

まずは「Acqua azzurra, acqua chiara(意:碧い水、澄んだ水)」(1969)。同年夏の大ヒット曲となり、その勢いのままFestivalbar優勝を遂げた初期の代表曲中の代表曲。漫画『ONE PIECE』のイタリア語版では、主人公たちが樽から水を飲むシーンで、この楽曲が引用されているほどの名曲。バッティスティは当時26歳。
https://youtu.be/EznFtq9m9Nk

Camaleonti(カマレオンティ)が登場し、Battisti-Mogolのコンビが書き下ろした「Mamma mia(意:僕のママ/わぁ、なんと)」(1969)を披露する。
https://youtu.be/de_96yZpZyQ

バッティスティのステージに戻り、「Non e` Francesca(意:それはフランチェスカじゃない)」(1969)。この曲は実は1967年にNomadi(ノーマディ)に提案されたものの、彼らはFrancesco Guccini(フランチェスコ・グッチーニ)とのコラボにとりかかっていたために却下となり、最終的にビートバンドBalordi(バロルディ)への提供に決まり、レコーディング。しかしこれが全く売れなかったので、69年になってGian Piero Reverberi(ジャン・ピエロ・レヴェルベリ)がアレンジし直してバッティスティのセルフカヴァーでリリースしたらようやくスマッシュヒットしたという遍歴がある楽曲。

主人公の男に友達が言う「君のフランチェスカは他の男とイチャイチャしてたぜ」と。しかし彼は信じようとせず、友達を非難する「(お前が見たのは)フランチェスカじゃない。間違ってるのはお前だ。僕のフランチェスカは家で大人しく僕を待っててくれるいるはずだ。だって彼女の生きがいは僕なのだから・・・」。そう、彼の反論にはむなしい響きしか感じられない・・・
https://youtu.be/Toc6rswn3V4

Patty Pravo(パッティ・プラヴォ/当時21歳)が登場し、Battisti-Mogolコンビが書いた「Paradiso(意:天国)」(1969)を披露。この曲にも紆余曲折があり、まずは1968年にLa Ragazza 77という女性歌手のために書き下ろしたものの、これが全くヒットせず。Amen Corner(アーメン・コーナー)による英語カヴァー版がイギリスでスマッシュヒットし、それを欧州ツアー中のPatty Pravoが耳にして気に入り、「イタリア語詞を付けて歌ってみたいわ」となり、音楽出版社に許可申請を出す段階になって、もともとイタリア語詞のイタリア語曲であることが発覚。元のヴァージョンのまま歌ったら大ヒットして、Pattyの持ち歌となったという曰く付き。

※当サイトでのPatty Pravoの紹介記事
https://piccola-radio-italia.com/tag/Patty_Pravo

「Mi ritorni in mente(意:君が僕の心に戻ってくる)」(1969)。チャート1位に君臨し、後にMina(ミーナ)らにもカヴァーされたり、同名のTV番組が作られたりと、永遠の名曲となった楽曲。1965年には曲はできていたものの別の詞だったものをMogolが新たに詞を付けたもの。恋人と別れた後のほろ苦い気持ちを歌っている。
https://youtu.be/-JeJn3RSycY

再びPatty Pravoが登場して「Ballerina ballerina(バレリーナ、バレリーナ)」(1969)を。50年代から60年代にかけて多くのヒット曲を書いたFranco Migliacci(フランコ・ミリアッチ)やRicky Gianco(リッキー・ジャンコ)の作品。当時Patty21歳。
https://youtu.be/bIA8pAzkBLc

Lucio Battistiに戻って、「7 e 40(意:7時40分)」(1969)。軽快なリズムの曲だが、これも別れ歌。恋人が別れて、女性は7:40の電車に乗ってこの街を離れてしまった。その直後に焦燥感に襲われた男性は彼女の目的地に先回りするために8:50の飛行機に乗るというお話。さて2人は元の鞘に戻れるのだろうか・・・・?
https://youtu.be/qHjE8oi-PTs

※当サイトでのLucio Battistiの紹介記事
https://piccola-radio-italia.com/tag/Lucio_Battisti


さてここからは、1974年に放映された『Ritratto di un giovane qualsiasi(意:どこにでもいる若者の肖像)』。これはClaudio Baglioni(クラウディオ・バリォーニ/当時23歳/Roma出身)にスポットを当てたTV番組。後に国民的な人気を持つカンタウトーレに成長し、今では大御所となった彼が、“どこにでもいる若者”と銘打たれていることがポイント。
Claudio Baglioni - Ritratto di un giovane qualsiasi - S1974

本レポートでは日本からでも見られる映像のリンクを一部貼っておくが、非公式アカウントがアップしているものなので、いつまで見られるかの保障はない。
https://youtu.be/MwrekMwxdak(←抜粋版)

70年代初頭を振り返るという話題で口火を切った番組でBaglioniがすぐに口にしたのは前出のLucio Battisti。そうBaglioniもBattistiの背中を追って、雨後の筍のように台頭したカンタウトーレのひとりであったのだ。Battistiの「Pensieri e parole(意:想いと言葉)」(1971)の映像が流れる

そしてBaglioniの最初期のヒット曲「Signora Lia(意:リア夫人)」(1969)をOvationギターを抱えて弾き語る。

そして次の2曲はレアな映像で、当時のBaglioniの持ち歌でありながらアルバム収録もシングル化もされなかった2曲「C'e` un vecchio bar nella mia citta (意:僕の街にとある古いバールがある)」(1974)〜「Valentina(ヴァレンティーナ)」(1974)が演奏されるのだ。両曲ともカンタウトーレのStefano Rosso(ステーファノ・ロッソ)が書き下ろした楽曲で、公式音源はロッソのセルフカヴァーや他の歌手がカヴァーしたものしかないという状態のまま。

老ヴァイオリニストを歌った楽曲「Vecchio Samuel(意:老サムエル)」 (1971)

そして70年代前半に台頭したBaglioniの同輩と言えるアーティストたちをBaglioniがピックアップして映像で紹介するコーナーが始まる。それが意外なラインナップなのが驚き。Osanna(オザンナ)「Introduzione(意:イントロダクション/導入部)」(1971)〜Adriano Pappalardo(アドリアーノ・パッパラルド)「Il bosco no(意:森は違う) (1972)〜Francesco Guccini(フランチェスコ・グッチーニ)「Il vecchio e il bambino(老人と少年)」(1972)〜Formula 3(フォルムラ・トレ)「Nessuno nessuno(意:誰も・誰も)(1971/ Battisti - Mogol作品)〜そしてClaudio Baglioni自身の「Io, una ragazza e la gente(意:僕、ある女のコと人々)」(1971)と続く

そして後の大ヒットアルバムの主題となる歌詞(♪Gira che ti rigira amore bello♪)から始まる「Cincinnato(意:世捨て人)」(1971)

番組で唯一の生出演ゲストBruno Lauzi(ブルーノ・ラウツィ/当時37歳)が登場して「Molecole(意:分子)」 (1974)を歌う。これはMario Lavezzi(マリオ・ラヴェッツィ)&Mogolのコンビで書かれた楽曲。

※当サイトでのBruno Lauziの紹介記事
https://piccola-radio-italia.com/tag/Bruno_Lauzi

Baglioniに戻って3月Festa(https://piccola-radio-italia.com/archives/52361610.html)で紹介した1972年放映のTV番組『Tutto e` POP』からBaglioni出演シーンの一部の映像が流される。「Che begli amici(意:なんと素晴らしい友だち)」(1972)〜「Cartolina Rosa(意:ピンクのはがき/=赤紙)」(1972)そして、生で「Questo piccolo grande amore(意:このありふれた大きな愛)」(1972)が歌われる。

1973年の4thアルバムから「W l'Inghilterra(意:イギリス万歳)」〜「Ragazza di campagna(意:田舎の女のコ)」(1973)が当時のMV映像を背景に歌われる。当時Baglioniが購入したシトロエン2CV(愛称はカミッラ)がアルバムジャケットにも使われ、MVにもメインで使用されている。しかし、6人以上乗るは(定員オーヴァー)、女子の着替えを除くは、で現在ならコンプライアンス違反で作成できない内容なのも見どころ。

同アルバムから一番のヒット曲となった「Amore bello(意:美しい恋)」(1973)。

最後にまさに1974年にリリースされる5thアルバムのタイトル曲となる「E tu…(意:そして君…)」(1974)でこの番組は終了する。

※当サイトでのClaudio Baglioniの紹介記事
https://piccola-radio-italia.com/tag/Claudio_Baglioni


注)記事中の歌手の年齢は、記載時点での誕生日の到来を考慮はせず、2022年に達する年齢で表記。