第3部

ムジカヴィータ・イタリア第6号は、待望のFabrizio De Andre'(ファブリツィオ・デ・アンドレ/1940-1999/58歳没/Genova生まれ)特集。2014年はちょうど没後15周年となるが、今もなお現代の偉人として(単なる人気歌手に留まらず)イタリア人たちの心に生き続けている。彼が生まれた育ったGenova、壮年期を過ごしたSardegna、晩年を過ごしたMilanoなどには、彼の名を冠したストリートや地区が存在しているうえ、教科書にも作品が掲載されていることもあって、今もなお、若いファンが生まれ続けているのだ。

イタリア人はほぼ皆、多かれ少なかれFabrizio De Andre'とLucio Battisti(ルーチョ・バッティスティ/1943-1998)の2人のカンタウトーレ作品を聴いて育っているので、最低限彼ら2人を知っていれば、どんなイタリア人とも音楽談義ができるのは間違いない。

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FESTAでは、ムジカヴィータ・イタリア第6号発売を記念して、2部に渡ってFabrizio De Andre'特集を組んだ。前編では、De Andre'が残した数少ない映像でその歴史を辿った。

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「La guerra di Piero(意:ピエロの戦争)」(1964)は、De Andre'の反戦/平和主義が感じられる代表作。ある日Pieroが徴兵され、戦場で親近感を感じる男に出会うが、彼が着ていたのは敵の軍服。《撃て!》の命令に躊躇する心優しいPiero。しかし戦場ではこうした人間らしい感情は通用しない。敵は恐れから発砲し、Pieroは戦死してしまう・・・このように戦争は人間を非人道的なものにしてしまうというメッセージがこの歌に込められている。1969年(28歳時)の映像で。

珍しく子供たちとうたった「Girotondo」(1968)。ジロトンドとは、手をつないで輪になって踊る、伝統的なイタリアの童謡&遊びで、De Andre'はそれをモチーフにオリジナル曲を作った。

「Il pescatore(意:漁師)」(1970)は、De Andre'のアナーキズムやリバタリズムが滲み出ている楽曲。ある漁師町に見知らぬ若者が逃げてきて、海辺で昼寝をしていた老漁師に声をかける。《飲み物が欲しい、食べ物が欲しい、急いでいる》それに付け加えて《僕は人殺しだ》と正直に告白する。老漁師は眼を開くと、何の警戒も躊躇もなく、彼にパンを切り分け、ワインを注ぐ。老漁師のひと時のもてなしに温もりを感じて、後ろ髪を引かれつつもあたふたと立ち去る若者。やがて憲兵がやって来て、老漁師に尋ねる《殺人者を見かけなかったか》と。老漁師はいつものように顔に笑い皺を浮かべて、まどろむだけだった。

前出の通り、イタリアでは死後もなお、国民的な人気と知名度を誇るDe Andre'であるが、日本では一般的には無名なのが残念でならない。1980年代に地中海音楽の一環として2枚ほどのアルバムが日本でもリリースされたものの、プログレ・ファンの一部がコレクションするのに留まってしまっただけだった。

イタリア本国に比べれば外国での知名度は落ちるとはいえ、ここまで無名なのは先進国の中では日本ぐらいなのだ。実はまだDe Andre’が存命していた1991年に中国語でカヴァーされ、香港のTVドラマの主題歌に据えられているという驚愕の事実がある。

1974年以来、歌手Dori Ghezzi(ドリ・ゲッツィ/当時28歳/現68歳/Lombardia州Lentate sul Seveso出身)がDe Andre'の伴侶となり、後の1989年に2度目の入籍をすることになる。1977年に2人の間に生まれるLuisa Vittoria(愛称:Luvi/ルヴィ)のに先立って、当時のDe Andre’一家はSardegnaで暮らしていた。1978年にSardegnaの友人たちに囲まれて披露したDori Ghezziとのデュエット「Andrea(アンドレア)」の映像が残っている。隣でギター演奏をするのは、先妻との間に生まれた息子Cristiano De Andre’(クリスティアーノ・デ・アンドレ/当時16歳/現52歳)だ。この楽曲は同性愛者への応援歌だ。

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1978年以来、カンタウトーレMassimo Bubola(マッスィモ・ブボラ/当時26歳/現60歳/Veneto州Verona近郊Terrazzo出身)と長きに渡るコラボを始めたDe Andre'だが、1980年にリリースした「Una storia sbagliata(意:ある間違えられた物語)」を共作者のBubolaと共演したライヴ映像が残っている。

この楽曲は、映画監督&作家のPier Paolo Pasolini(ピエール・パオロ・パゾリーニ)が撲殺死体で発見された殺人事件(未解決)を歌った作品。これはその調査記録のため、依頼されて作った曲で、De Andre’が初めて依頼を受けて作った曲でもあり、そのためかDe Andre’のオリジナル・アルバムに収録されることはなく、ようやく2005年になって制作されたコンピレーション盤に収録された。

Sardegnaでの生活で地元の人々と強い結びつきを持つようになったDe Andre’が、北米先住民族とSardegnaの人々との共通点を見出して制作したアルバム(通称「L'indiano(意:インディアン)」)から、「Fiume sand creek(意:サンド・クリーク川)」(1981)。は独ハンブルグでのTVライヴ映像で。

Mauro Pagani(マウロ・パガーニ/当時38歳/現68歳/Lombardia州Brescia近郊Chiari出身)のサポートのもと、地中海音楽を体言化して金字塔となったアルバム『Creuza de ma(邦題:地中海の道程)』からタイトル曲を。イタリア語(共通語)ではなくジェノヴァ語で歌われ、原題は“海への小道”を意味する。※正確には隣との敷地の境界に作られる人ひとりがやっと通れるほどの小路のことである。Mauro Paganiとの共演で制作されたヴィデオクリップで。De Andre'はギリシャの民族楽器ブズーキを手に歌っている。

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2014年はDe Andre’没後15周年となるため、サンレモ音楽祭2014はDe Andre'へのオマージュ企画で幕を上げた。特に初日はちょうどDe Andre’の誕生日でもあったのだ。サンレモ音楽祭の音楽監督を務めたのがMauro Paganiであり、現在のPaganiがサポートしているLigabue(リガブエ/54歳/Emilia-Romagna州Correggio出身)がカヴァーしたのだ。現在、最も集客力のあるLigabueがサンレモに出演し、国民的スターDe Andre'をカヴァーするのだから、イタリアで大きな話題となった。FESTA会場ではもちろん、サンレモ音楽祭出演時の映像で紹介したが、ネット上には放送権の問題で動画は公開されていないため、ここでは静止画で。

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注)記事中の歌手の年齢は、記載時点での誕生日の到来を考慮はせず、2014年に達する年齢で表記。

Continua alla prossima puntata.(続く)