第3部

第2部に引き続き、Laura Pausini特集Part2。ここではレアな映像や日本ではリアルタイムに観ることが難しかった1990年代のTV出演映像を中心に紹介することにした。

日本語で読めるイタリア音楽総合情報誌『ムジカヴィータ・イタリア』第5号(2014年4月30日発売)でLauraのバイオグラフィを16ページに渡って掲載したので、それと照らし合わせていただきたい。

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Lauraが8歳の誕生日におねだりして、Bolognaのレストラン“Napoleone(ナポレオーネ)”で日本のアニメ『家なき子』の主題歌「Dolce Remi`(意:やさしいレミ)」を歌わせてもらったのが、歌手デビューとなった。この想い出を回想して2013年の公式デビュー20周年記念会見で39歳のラウラが少しだけ再現してくれたのがこちら。

幼いころから協会で歌っていたという当時のLauraをホームビデオ機で捉えたのがこちら。

13歳時に父親と一緒に制作した最初のデモアルバム『Sogni di Laura(意:ラウラの夢)』に収められた「Lasciami dormire(意:私を眠らせておいて)」を歌う14歳のLaura。

17歳時にチャレンジしたコンテストSanremo Famosiで「Si sta cosi`」を歌って優勝した時の映像がこちら。なお同コンテストにNiccolo` Fabi(ニッコロ・ファビ)が出場していたことが判る。

こうしてサンレモ音楽祭への登竜門Sanremo Famosiで優勝したものの、実際にはLauraはサンレモ音楽祭へ呼ばれる事はなかったが、ようやく1993年に出場するや新人部門優勝を勝ち取り、メジャーデビュー。そして同曲の大ヒットでLaura Pausiniの輝かしい歌手人生が始まったのだった。当時のサンレモ音楽祭にはサンレモ市の姉妹都市である浜松市の市長が招待されており、Lauraへの賞の授与も行っている。司会のPippo Baudoが“H”の発音が上手くできず、“ア・マ・マ・ツ”とMCしているのもご愛敬。

サンレモ新人部門優勝後、すぐに制作された公式デビューアルバム『Laura Pausini』の1曲目に収録されたキャッチィな楽曲が「Non c'e(意:無い/邦題:あなたはいない)」。

翌1994年にサンレモ音楽祭大賞部門に出場して3位となった「Strani amori(邦題:不思議な愛)」。あの印象的な新人部門優勝から1年経過し、すっかり落ち着いた応対をする成長を遂げている。

日本盤が発売されなかった2ndアルバム『Laura』に収められた「Un amico e` cosi`(意:男友達はこんなふう)」。TV出演時の映像で。

同じく2ndアルバム『Laura』に収められた「Lettera(邦題:手紙)」は、1995年のイギリス市場向けベスト盤に収録され、日本盤も発売された。ドイツのTV番組出演時の映像で。

3rdアルバム『Le cose che vivi(邦題:ローラの休日)』(1996)に収められた「La voce(邦題:声)」。

2013年6月、世界中の女性たちの教育や健康を含むエンパワーメントを目的にしたチャリティ・コンサート“The Sound of Change”(ロンドンで開催)に唯一のイタリア人歌手として出場し、マドンナやビヨンセら世界を代表する歌姫たちと同じ舞台に立った。披露した2曲のうち、イタリア語で歌ったのは「Io canto(意:私は歌う)」。2008年リリースのカヴァーアルバムのタイトル曲で、世界の舞台で歌うイタリア語曲としてこの曲を選んだのが興味深い。

※当サイトでのLaura Pausiniの紹介記事はコチラ
http://piccola-radio-italia.com/tag/Laura_Pausini


注)記事中の歌手の年齢は、記載時点での誕生日の到来を考慮はせず、2014年に達する年齢で表記。

Continua alla prossima puntata.(続く)