第2部

2013年5月27日、癌の療養中だったLittle Tony(リトル・トニー/1941-2013/Roma近郊Tivoli生まれ)が、72歳で永眠。

Little Tony RIP2

Little Tonyこと本名Antonio Ciacci(アントニオ・チャッチ)は、音楽一家の中で生まれ育ち、早くから音楽に目覚めています。(2人の兄がそれぞれギタリスト、ベーシストとして、イタリアの黎明期のロックシーンで兄貴分的な存在だった)。17歳の時にイギリス人の興行主の目にとまり、イギリスでLittle Tonyの芸名でデビュー、ロックンロールに目覚めて情熱を注ぐことになりました。

1961 年にイタリアに戻り、Adriano Celentanoと組んでサンレモ音楽祭に出場し、「24 mila baci(邦題:2万4千のキッス)」を歌い、惜しくも2位に甘んじたものの、世界的な大ヒットとなり一躍知名度を上げました。実はこのサンレモ出場には裏話があって、今でも強烈な個性を放ち、芸能界の頂点に君臨するCelentano故、出場曲が彼の強烈なカラーに染められるのが必至だったため、イタリアでは誰もがCelentanoのサンレモ出場パートナーになるのを嫌がったそうです。そこでイギリスで活躍していた、イタリア事情に疎そうなLittle Tonyに白羽の矢が当たったという逸話です。

※当サイトでのAdriano Celentanoの紹介記事はコチラ
https://piccola-radio-italia.com/tag/Adriano_Celentano

しかしLittle Tonyは潰れることなく、イタリアの芸能界で躍進を続け、後年にもCeletanoと仲良く共演して同曲を披露してくれています。

1966 年Cantagiroで歌った「Ridera(意:あの人は笑うことだろう/邦題:明日を信じて)」がミリオンヒット。

翌1967年サンレモ音楽祭で歌った「Cuore matto(邦題:狂ったハート)」も記録的なヒットとなり、その人気を絶対的なものにしています。ここではCanzonissima1968出演時の映像で。

また1970年サンレモでも「La spada nel cuore(邦題:心の剣)」をPatty Pravoをパートナーに歌い、自身の代表曲の一つにしています。ここではCanzonissima1972出演時の映像で。

1974年の出場後、長らくサンレモ音楽祭から離れていたLittle Tonyは、約30年ぶりとなる2003年に、同じエルヴィス・フリークのBobby Soloと組んで出場し、健在ぶりをアピールし、翌2004年には、イケメンDJ、Gabry Ponteをフィーチャーした意欲作「Figli di Pitagora(意:ピタゴラスの息子たち)」を発表しています。

その5年後の2008年のサンレモで「Non finisce qui(意:ここで終わらない)」を披露しています。サンレモのステージでも公式ヴィデオクリップでも、実兄Enrico Ciacciがギターを、愛娘Cristianaがコーラスを務める微笑ましい姿を見せてくれました。

こうして"イタリアのエルヴィス・プレスリー" として、イタリア人に根強い人気を持ち続けていたLittle Tonyですが、実は国籍はイタリアではなく、七代続くサンマリノ国籍の家系に生まれています。しかしずっとイタリアに暮らしながらも、生涯イタリア市民権も請求する事なく一生を終えています。

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注)記事中の歌手の年齢は、記載時点での誕生日の到来を考慮はせず、2013年に達する年齢で表記しています。