その1はコチラ
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第2部

rip-lucio-dalla

第2部は、3/1の訃報を聞いて、急遽FESTAのプログラムに差し入れる事にした『Lucio Dalla追悼コーナー』。

もちろんBGMは彼の初期の出世作であり、自身の故郷Bolognaの風物詩であり、そして葬儀の地となった"Piazza Grande(グランデ広場/大広場)"(1972年作品)。

葬儀日のPiazza Grande。参列者は5万人とも8万人とも報じられています。
LucioDalla Funerali

棺の搬入時
LucioDalla-la-bara

lucio-dalla-bara

Lucio Dalla(ルチォ・ダッラ/1943-2012/68歳没/Bologna)は、JAZZクラリネット奏者として音楽家人生をスタートさせたものの、自ら曲を作って歌うカンタウトーレスタイルの音楽活動にシフトし、1971年のサンレモ音楽祭で衝撃的な楽曲(後述します)を歌い、一躍注目を集めるようになりました。

1980年代から1990年代にかけて、音楽家として円熟期を迎え、ジャンルの垣根を越えた活動を行い、イタリアでも屈指の音楽家・作曲家として大成します。

2000年代に入っても2年に1作のペースで新作を発表を続け、ますます円熟味を増し続ける人間国宝的な音楽家だったと言っても過言ではありません。

イタリア国家より勲章(イタリア共和国功労勲章)も2つ授与していることからも、イタリアの至宝と呼ぶにふさわしい存在であることが推し量れるかと思います。

1986年にCommendatore(コンメンダトーレ/意:司令官)、2003年にはその上位となるGrande Ufficiale(グランデ・ウッフィチァーレ/意:上級士官)を授与しています。

※イタリアの勲章については、Webコラム『イタリアPOPSのススメ』をご覧ください。
05.勲章を与えられたアーティストたち
https://www.c-light.co.jp/modules/column/index.php/Iwasa_10/iwasa_10_05.html

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その死の2週間前にはサンレモ音楽祭2012に元気に出場していたので、誰もLucio Dallaの死など、予想だにしていませんでした。そのあまりの突然の訃報を信じる事が出来ず、イタリア中が深い悲しみに沈んだのは言うまでもありません。

ヨーロッパツアーに出かけた矢先、スイスのMontreuxのホテルでの心臓マヒ。突然死でした。

その3/1朝の訃報は、瞬く間にイタリア中に伝播し、その日行われたイタリアのサッカーリーグ『Serie A』の全てのスタジアムでは、Lucio Dallaの写真が掲げられました。

LucioDalla-SerieA

イタリアでの最後の舞台となったのが、サンレモ音楽祭2012のステージ。若手カンタウトーレのPierdavide Carone(ピェールダヴィデ・カローネ/24歳/Roma出身)をプロデュースする形での共演ステージとなりました。そのオーケストラの指揮をしながら歌う姿にしびれた方も多かったようです。遺作となった楽曲は、このサンレモ音楽祭2012出場曲であり、Pierdavideとの共作曲でもある"Nani(ナニー)"。筆おろし相手の娼婦ナニーに恋をした少年の物語を歌っています。

PierdavideCarone-NaniEAltriRacconti

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そしてサンレモ第3夜の"Viva l'Italia nel mondo"と銘打った『世界に輝くイタリア(の歌)』特集では、デンマークからMads Langerを迎えて、ナポレターナの名曲"Anema e core(アネマ・エ・コーレ/魂と心)"を歌いました。この楽曲は、Lucio Dallaのラストアルバムとなった「Questo e amore(これぞ愛)」(2011)に収録されている楽曲でもあります。

LucioDalla-QuestoE`Amore

Lucio Dalla自身はもともと、サンレモ音楽祭2012に出場する予定は無かったものの、サンレモ音楽祭の総合司会を務める事になったGianni Morandi(ジァンニ・モランディ/68歳/Bologna近郊Monghidoro出身)から頼み込まれため、指揮をしながら歌うという不思議な登場の仕方になりました。

なぜなら、Lucio DallaとGianni Morandiは同郷出身であり、ほぼ同い年ということもあり(Morandiが1歳下)、大親友同士だったから。

サンレモ音楽祭2012出演時
Dalla-Morandi-R2012

その2週間後、Lucio Dallaの棺を前にした痛々しいGianni Morandi
Morandi-BaraDiLucioDalla

この2人は、1989年に「Dalla Morandi」として、歴史に残る共演コンサートも敢行しています。その共演時期に生まれたヒット曲が"Vita(人生)"。不思議な事にこの楽曲はLucio Dalla作ではなく、Mogol作詞、Mario Lavezzi(マリォ・ラヴェッツィ)作曲です。

Dalla Morandi in concerto

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Lucio Dallaが亡くなったのは3/1ですが、その3日後には満69歳となる誕生日だったため、3/4を葬儀日にすることになりました。3/4が彼の誕生日であることは、イタリアではとても有名なことでしたので(後述します)、ごく自然にそうなったのでしょう。

3/4のこの葬儀日には、たくさんのイタリアPOPスターたちが参列しました。

長年Lucio Dallaの専属コーラスを務めたIskra(イスクラ)
LucioDalla-Iskra

Lucio Dallaの愛弟子だったRon(ロン)
LucioDalla-Ron3

サンレモ音楽祭2012に同じく出場したSamuele Bersani(サムエレ・ベルサーニ)
LucioDalla-Bersani

Ligabue(リガブエ)
LucioDalla-Ligabue

Renato Zero(レナート・ゼロ)背後にLigabue(リガブエ)
LucioDalla-renato-zero-ligabue

Roberto Vecchioni(ロベルト・ヴェッキォーニ)
LucioDalla-roberto-vecchioni

LigabueとRoberto Vecchioniのレアな2ショット
LucioDalla-Ligabue-Vecchioni

Jovanotti(ジォヴァノッティ)とEros Ramazzotti(エロス・ラマッツォッティ)
LucioDalla-jovanotti-Eros

Ornella Vanoni(オルネッラ・ヴァノーニ)とEros Ramazzotti(エロス・ラマッツォッティ)
LucioDalla-eros-ramazzotti-ornella-vanoni

Gigi D'Alessio(ジジ・ダレッスィオ)、Biagio Antonacci(ビァージォ・アントナッチ)、Eros Ramazzotti(エロス・ラマッツォッティ)のレアな3ショット
LucioDalla-D'Alessio-Eros-Antonacci

Pooh(プー)のRoby Facchinetti(ロビー・ファッキネッティ)
LucioDalla-Roby

Gianluca Grignani(ジァンルカ・グリニャーニ)
LucioDalla-gianluca-grignani

Paola Turci(パオラ・トゥルチ)
LucioDalla-paola-turci

ところが、Lucio Dallaのもう一人の大親友Francesco De Gregori(フランチェスコ・デ・グレゴーリ/61歳/Roma出身)は、とうとう葬儀に顔を出さなかったそうです。

3/1の訃報を聞いて以来一切のコメントを出そうとせずにおり、単に『molto triste(とても悲しい)』との一言だけを、第三者を通じて伝えたのみに留まっています。

Lucio Dallaとの絆があまりに深く長いものであった故、相当なショックを受けていることが、この2人の歴史を知る者たちには、とても痛々しく感じ取ることができるかと思います。

この2人の歴史的な共演ライヴは1979年の『Banana Republic(バナナ共和国)』。この2人をメインに押し出しつつも、当時はまだ駆け出しのカンタウトーレだった前出のRon(ロン)と、後に独立したバンドとして活躍するStadio(スターディオ)の黎明期の演奏が楽しめるのも、このライヴが歴史に残ると言われる所以です。

Dalla De Gregori / Banana Republic

この『Banana Republic(バナナ共和国)』からDallaとDe Gregoriが共作して、ライヴのエンディングで歌われた楽曲"Ma come fanno i marinai(それにしても水兵たちは何をするのだろう)"を。

その31年後の2010年には再びこの2人が『Work in progress(進行中の仕事)』というプロジェクト名で共演し、また新たな歴史を刻んでくれました。当時のTV番組での共演映像から"Non basta saper cantare(歌えることは充分ではない)"

Dalla De Gregori / Work in progress

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そしておそらく日本で最も有名なLucio Dallaの楽曲が"Caruso(カルーソー)"(1986)。稀代の名テノールEnrico Caruso(エンリコ・カルーソー/1873-1921/Napoli出身)に捧げられた楽曲ですが、現代の名テノールだったLuciano Pavarotti(ルチァーノ・パヴァロッティ/1935-2007/Modena出身)が歌ったことで世界的に注目された楽曲で、Andrea Bocelli(アンドレア・ボチェッリ)やMina(ミーナ)なども挙ってカヴァーしたこともあり、それほど古い楽曲ではないにもかかわらず、既にセミクラシック的な位置付けの名曲扱いになっています。

Dalla-Pavarotti

Lucio Dalla追悼コーナーの最後は、2011年暮れのTV出演映像から。

1971年のサンレモ音楽祭で歌って一躍注目を集めた楽曲"4 marzo 1943"(1971)。その曲名はLucio Dallaの誕生日そのもの。そしてその歌の内容は、敗戦国イタリアの女性が名前も知らぬアメリカ兵に凌辱されて子供を産み落としたというショッキングなものでした。その父親知らずの子どもの事を、周囲の人々が『Gesu Bambino(幼子イエス)』と呼んで愛しんで育ててくれたという物語。

イエス・キリストが無原罪で生まれた故事から、『父親知らずのその子もイエス様と同じ』という周囲の暖かさでこの物語を締めくくっている訳ですが、その曲名に作者でもあり歌唱者でもある自分の誕生日を掲げたことから、当時Lucio Dallaの登場はセンセーショナルなものとなり、Lucio Dallaの誕生日はこの曲と共に人々の記憶に残り、葬儀もこの日に充てられることになるのです。

1977年に発表した楽曲"Quale allegria(あの陽気さ)"、そして"Anche se il tempo(例え時が)"は、共に前出のラストアルバム「Questo e amore(これぞ愛)」(2011)に収録された楽曲です。

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注)記事中の歌手の年齢は、記載時点での誕生日の到来を考慮はせず、2012年に達する年齢で表記しています。

Continua alla prossima puntata.(続く)