その3はコチラ
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第4部

1月FESTA第4部は、2011年4月〜5月にかけて来日ステージが予定されている2グループを紹介しました。

2011年5月7日(土)と翌8日(日)に来日公演が決定したのが、Area (アレア)。主に1970年代に自称『International Popular Group』と名乗っていたJazzとRockをベースに地中海音楽を取り入れた独特の音楽を奏でていたArea。
(東日本震災の影響で、残念ながら来日公演中止となりました。4/19付)

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特にヴォーカルを務めていた故Demetrio Stratos (デメトリオ・ストラトス/1945-1979/34歳没/エジプト生まれのギリシャ人)が、まるで『人間楽器』のように人間の声の可能性を深く探求した歌唱法を取り、多くの後進たちに絶大な影響を与える事になりました。

まずはその絶頂期のAreaの演奏を1976年頃のTVライヴでご覧いただきました。"Luglio Agosto Settembre nero (7月・8月・9月・黒)"と"La Mela Di Odessa (オデッサのリンゴ)"

この稀代のヴォーカリストDemetrioは30代早々に白血病に侵され、New Yorkで闘病生活に入るのですが、そのDemetrioにエールを贈ろうと、PFMやBanco(バンコ)ら、オルタナ系バンドだけでなく、Antonello Venditti(アントネッロ・ヴェンディッティ)やEugenio Finardi(エウジェニオ・フィナルディ)、Roberto Vecchioni(ロベルト・ヴェッキォーニ)、Angelo Branduardi(アンジェロ・ブランドゥアルディ)、Francesco Guccini(フランチェスコ・グッチーニ)、Teresa De Sio(テレーザ・デ・スィオ)といったPOP系カンタウトーレたちもこぞって立ちあがり、一大イベントを企画するのです。

1979年6月14日に開催するべく準備を進めていたところ、その前日の13日にDemetrioはNew Yorkで息を引き取ってしまい、闘病応援コンサートは急遽、追悼コンサートとなってしまいました。

その追悼コンサートの模様を収録したライヴアルバムが「1979 il concerto - Omaggio a Demetrio Stratos(1979年コンサート - デメトリオ・ストラトスに捧ぐ)」です。

当時リアルタイムに発売されたこの2枚組ライブアルバムでは、出演アーティストは哀しみとショックのせいで取り乱したパフォーマンスとなる部分が多々あり、それがまた一層リスナーの哀しみを誘い、そういう意味の『名盤』としてイタリア音楽界に受け継がれていました。

ところがその没後30周年となる2009年、このコンサートの映像がDVDとして突如リリースされたのです!

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そのDVDからDemetrio抜きで演奏するAreaの面々による"L'Internazionale"をご覧いただきました。

1979年にDmetrioを白血病で失ってからも、しばらくAreaは活動を続けますが、やがて解散してしまいます。

元Areaメンバーたちは、その後はその凄腕ぶりをJazzシーンなどで発揮して、その世界でも一流ミュージシャンとして成功しますが、2009年、Demetrioの没後30周年を機に、再結成したのです。

残念ながらドラマーのGiulio Capiozzo(ジゥリオ・カピオッツォ)が2000年に亡くなってしまっていたので、同じドラマーである息子のChicco Capiozzo(キッコ・カピオッツォ)がサポートメンバーに入り、ギターにはPaolo Tofani(パオロ・トファニ)、ベースにAres Tavolazzi(アレス・タヴォラッツィ)、そしてキーボードにPatrizio Fariselli(パトリツィオ・ファリセッリ)という面々。

そしてその2009年の第2期Area再結成に大きな役割を果たしたのがMauro Pagani (マウロ・パガーニ/65歳/Brescia近郊Chiari出身)で、サポートメンバーとして第2期Areaに参加し、故Demetrioのヴォーカルパートを積極的に歌っているようです。

※当サイトでのMauro Paganiの紹介記事はコチラ
https://piccola-radio-italia.com/tag/Mauro_Pagani

Paganiは、彼自身がAreaの大ファンだったと、インタビューに答えており、自分のライブステージでもAreaの曲のカバーを演奏する事もあったようです。

Mauro Paganiは最早、元PFMという肩書が全く必要がないぐらい、むしろPFM脱退後にイタリア音楽界に築いた功績が大きく、地中海音楽の第一人者であり、Fabrizio De Andre(ファブリツィオ・デ・アンドレ)、Ligabue(リガブエ)やNegramaro(ネグラマーロ)ら、重要なアーティストたちを支えるMaestroとして、イタリア中部地震復興支援曲"Domani"の作者として、イタリア音楽界に於いて無くてはならない大御所となっています。

そのMauro PaganiがPFM脱退後にリリースしたソロデビューアルバムが、地中海音楽の方向性を決定付けた名盤「Mauro Pagani」(1978)でした。

Mauro Pagani

思えば、このアルバムには故Demetrioを含むAreaの面々が参加した楽曲が数曲ありますので、きっと来日ステージでも演奏されると思い、2曲紹介しました。

"L'albero di canto(歌の木)"はDemetrioの奔放なヴォーカルが充分に活かされた楽曲。

そして地中海音楽を代表する名曲となった"Europa minore(少数派のヨーロッパ)"

こうしてMauro Paganiのバックで演奏するAreaを聴いていると、なるほど、彼らが自称していた『International Popular Group』の意味が理解出来てきます。

これはイタリア語の『Guruppo popolare internationale』というニュアンスの英訳ですね。
英語のPopularとイタリア語のPopolareは語感は同じですが、意味は大きく異なり、イタリア語の場合は、『土着の民族音楽』という意味に大きく傾くからです。

つまりAreaはイタリアを超えて地中海を取り巻く世界(=Internazionale)の民族音楽(=Popolare)を奏でるグループという意味だったのだと思います。


そして2011年4月30日(土)の一夜限りの初来日公演が決定しているのが、Latte Miele(ラッテ・ミエーレ)。こちらも主に1970年代初頭を中心に活動していたバンドで、当時はバンド名をLatte e Miele(ラッテ・エ・ミエーレ)とクレジットしていました。

LatteMiele

1972年のデビューアルバム「Passio Secundum Mattheum(マタイによるキリストの受難/邦題:受難劇)」は、そのタイトル通り、イエスの受難(=処刑を受ける)という壮大なテーマに、ドラム、キーボード、ギターのトリオ編成ながら、大規模な混声合唱団を起用したコンセプトアルバムだったのです。

Passio Secundum Mattheum

しかもその3人のメンバーの最年少が16歳で、すなわち10代のバンドに寄ってこの壮大なテーマの作品が作られたという驚愕の事実が、後世のファンたちに伝説として伝わる事となりました。

ちなみにその最年少メンバーのドラマーAlfio Vitanza(アルフィォ・ヴィタンツァ)は、1992年にNew Trollsのドラマーに就任し、2006年・2007年には来日公演も果たしています。

最初のメンバー編成で2ndアルバム「Papillon(パピヨン)」(1973)にリリース後、Marcello Dellacasa(マルチェロ・デッラカーザ/ギター)Oliviero Lacagnina(オリヴィエロ・ラカニーナ/キーボード)が脱退してしまい、事実上バンドは解散となります。

残ったAlfioが新メンバーのキーボード2名とベースを迎えた4人編成で、バンド名をLatte Miele(ラッテ・ミエーレ)とマイナーチェンジし、3rdアルバム「Aquile e scoiattoli(鷲と栗鼠)」(1976)をリリースし、バンドの存続に尽力しますが、結局このアルバムを最後にバンドの活動は停止してしまします。

約30年経過後の2008年、初期の3人に3rdアルバムに参加していたベースのMassimo Gori(マッスィモ・ゴーリ)を加えた4人編成で再びLatte Miele名義で再結成され、まずはライブアルバム「Live tasting」をリリース、翌2009年には新作のコンセプトアルバム「Marco Polo...sogni e viaggi(マルコ・ポーロ...夢と旅)」をリリースし、再び新たな感動を提供してくれました。

今回の来日メンバーの詳細は発表されていませんが、12,000円と言う高額のチケット代から想像するに、おそらくはこの再結成時の4名のメンバーに加え、特に最初期の2枚のアルバムの再現に不可欠な要素となる混声合唱団やオーケストラが投入されることが期待されています。

1月FESTAでは、彼らのデビューアルバム「Passio Secundum Mattheum(マタイによるキリストの受難/邦題:受難劇」(1972)に集中して紹介する事にしました。

アルバム冒頭の"Introduzione(序曲)"から"Il giorno degli azzimi(聖別パンの日/邦題:過ぎ越しの日)"、"Ultima cena(最後の晩餐)"、"Getzemani(ジェッツェマニ/邦題:ゲッセマネ)までの、キリストによる裏切り者の予言、イエスがゲッセマネで三度の祈りの後、自らが犠牲になることを決意する場面から、イスカリオテのユダがイエスを裏切るシーンを再現したパートを字幕付きで聴いていただきました。

このパートではイスカリオテのユダによる象徴的なセリフが2つあり、一つ目は:

Son forse io, Signore? 主よ まさか私の事ではないですよね?

で、イエスが最後の晩餐の時に裏切り者を予言した際、弟子たちが次々に言いだした部分を混声合唱で表現した後、同様にイスカリオテのユダが口にした部分が再現されているのが印象的です。

新約聖書の冒頭に収められたマタイによる福音書では、イスカリオテのユダが言った時にだけイエスは『いや、あなただ』と答えたと記されています。

そして、イエスが神に祈り、自らを犠牲に差し出すことで人類を救おうと決意するシーンの直後、イスカリオテのユダのセリフ:

Salve Maestro! 先生 お元気ですか!

がフィーチャーされます。

イエスを捉える為に集まった群衆に対して、誰がイエスなのかを知らせ、逮捕の合図として、イスカリオテのユダはイエスにくちづけをするのですが、その際にイスカリオテのユダがイエスにかけた言葉として有名です。

そしてLatte e Mieleというグループが歌モノとしての魅力を発揮している楽曲"Il pianto(悲嘆)"を1月FESTAのd最後の曲にしました。

なお、バンド名のLatte e Mieleとは『ミルクとハチミツ』という意味ですが、この『ミルクとハチミツ』という表現は聖書の中に何回も出てきますので、このバンド名自体がこの1stアルバムを手掛けるために付けられたものであると容易に想像できます。

聖書の出エジプト記で、モーセが目指した約束の地カナンを表現する言葉として『ミルクとハチミツの溢れる地』であると記されています。


注)記事中の歌手の年齢は、記載時点での誕生日の到来を考慮はせず、2011年に達する年齢で表記しています。

次回2月FESTAは、2月26日(土)の開催予定です。