夢のようなClaudio Baglioniの東京公演(2010年11月4日)の当日のこと。

最初のイタリア文化会館の館長さんの挨拶には通訳さんが付いて日本語で訳してくれましたが、いざステージが始まったら、Claudio Baglioniはイタリア語でしか話さず、通訳さんも付かなかったので、理解できなかった方も多いと思います。

せっかく貴重な公演を楽しむ幸運に恵まれた観客の方々なのに、ここで消化不良のまま終わってしまってはもったいないところですので、筆者が日本語訳をしてみました。

ところどころざっくりとした訳になっているところもありますが、ご了承ください。
 



1曲目:Solo(独り)

 

どうもありがとう! ありがとう、そして今晩は。お招きいただき、歓待していただいてありがとう。

イタリア文化会館の館長さんのお言葉の最後の方に、僕への感謝の言葉が有りましたが、僕の方こそ感謝しています。僕のこの旅の素敵な伴侶にこのピアノFazioliを用意してもらえて。

Paolo Fazioliは、間違いなく常軌を逸したイタリア人で、ほんの少し前にピアノを製造することを決心したのです。(訳注:1980年創業) 既に日本やアメリカに巨大メーカーが存在しているというのに、こんな素晴らしい楽器を作ってしまったのです。

西暦1700年に初めて製造されたこの楽器がイタリア人たちの手によって作られたと想像すると、とても素敵な事に感じます。

イタリア文化会館の館長さんは、このスタジオにこのままFazioliを置いていって欲しい、とお願いしていましたよ!そうなったら最高ですね!

こうした個人的な気遣いをしてもらえてとても嬉しかったです。

このような機会を与えてもらえてどうもありがとう、何故ってこのコンサートは特別なものだから。

僕は数ヶ月間世界を巡り、USAから始めて、カナダ、ほぼ全ヨーロッパ、そしてロンドンのRoyal Albert Hallでの素晴らしいコンサートで第1期を終えました。

それから再びミュージシャンやスタッフを招集して、南アメリカ、中央アメリカを巡りました。そして少しジャンプして、上海、北京の特別なコンサートを経て、今夜は東京へ戻って来ました。

18年前に僕はこの素晴らしい都市を訪れた事がありましたが、それからたくさんの時が過ぎ去ったことを後悔していて、今回は2回目として、ここに居られる事がとても幸せに思っています。歓待してくれてありがとう。

そしてある楽器、旅する楽器、ギターも持って来ました。なぜならこのツアーはある音楽家の旅なのだから。

この特別な“ソロ”コンサートでは、僕のいつものサポートミュージシャンを廃して、何日か彼らを家で休ませることにしました。彼らは疲れていたし、音楽家には家での休息が必要だから。

だけど僕は、独りでこのステージに立つことを許されたのです。僕の歴史を歌うことを、僕の歌の歴史、40年の詩と曲を。

いつも素敵で素晴らしかったんですよ、僕の通って来た道は。"Strada facendo"

2曲目:Strada facendo(道往きながら)

道は長く幸運でしたし、毎回演奏するステージは楽しかったんです。
そして僕はちょっとした歌を作りました。
"A modo mio"という歌で、言わば "My Way"。

3曲目:A modo mio(僕のやり方で)

音楽家という旅人は、自身の音楽に最も身近なんです。

旅は行き過ぎ、誰もが自分自身のやり方で人生を渡っていくけれど、いつも最初には、旅はある誕生から生まれるのです。

僕は何年か前に(訳注:実際は28年前の1982年)この歌を息子に捧げました、彼が生まれたその日に。

4曲目:Avrai(君は持つことになるだろう)

"Avrai"は、誕生の歌で、旅の始まりの歌。

いつも"Avrai"を他の曲と結び付ける時には、僕の曲の中で"I vecchi(老いたものたち)"という曲を演るのですが、今夜は、違うプログラムでやってみたいのです、決してこんな風に演ったことが無い楽曲で。

旅の終わりには安らぎを求めるもの。内面の安息と外面の安息を。この楽曲は"Pace(安息)"と言います。

5曲目:Pace(安息/平和)

人生の中でのように、音楽家には生まれて初めての楽曲というものが有るのです。芸術的かつ音楽的な楽曲が。

僕は16歳になった時にこの曲を書きました。つまり何ヶ月か前のことですね(笑)。こんな歌です。

6曲目:Signora Lia(リア婦人)

ありがとう。"Signora Lia"は僕が初めて書いた楽曲でした。

次の楽曲は"Niente più"。あるアルバムのエンディングテーマ曲であり、そのアルバムは音楽的な物語である現代版オペラ。1972年のアルバムにインスピレーションを受けて、この2年間で創り上げました。

このアルバムにはたくさんのイタリア人アーティストが参加してくれました。
Ennio Morricone、Mina、Andrea Bocelli、Laura Pausiniなどの他、たくさんのオーケストラの演奏者、そして音響技術者たちなど。この歌は" Niente più"と言います。

7曲目:Niente più(もう何も)

そして旅の歌は永遠に継続します。

8曲目:Poster(ポスター)

僕には本当に限定的に2度ほど演ったことがある、ある曲が有るのです。
それが次の曲なのですが、Pescara(イタリアのAbruzzo州都)へ行った時に出会ったナポレターナ(ナポリの歌)。

この歌は旅を、移民たちの旅を語っていて、おそらく古の楽曲の中で最も美しい楽曲。
この楽曲は"Santa Lucia luntana"と言います。

9曲目:Santa Lucia luntana(邦題:遥かなるサンタ・ルチア)

ありがとう。ナポリ万歳!

ナポレターナは世界的な賛歌だったと思います。

他にも賛歌があります。僕の時代は、作曲家たちが依頼を受けてたくさんの賛歌を書いています。
スポーツ大会など重要なイベントに対して、例えばTorino冬季オリンピックなどに。

僕はこのような機会に賛歌を書きました。Torino冬季オリンピック2006、世界水泳ローマでは1994年と直近の2009年の2回、サッカーワールドカップ1998年、これはサッカー協会発足100周年記念行事でもありました。

僕はたくさんの事を書きました。時の流れの中には賛歌になるようなたくさんの愛される事象があり、FalconeとBorsellinoという2人の判事がPalermoで殺害された(訳注:1992年)後、僕はそれを歌いました。彼らはマフィアの暴力に立ち向かって殺されてしまった判事でした。

1971年に歌った宗教的な賛歌"Fratello sole, sorella luna(邦題:ブラザー・サン・シスター・ムーン)"は、Franco Zeffirelliの素晴らしい映画のサントラにもなりました。

しかしながら作曲的に偉大な、偉大な賛歌を歌ってみたいんです。これは僕にとって本当に初めての事なのですが、今夜は試してみたいんです。

ナポリ万歳、そして我が国万歳。この瞬間に万歳、あなたたちのご厚意と賛同に万歳。あらゆるイタリアに万歳。

10曲目:Inno di Mameli(マメリの賛歌/イタリア国歌)

これぞ賛歌、RAI(イタリア国営放送)の賛歌であれ無かれ(笑)、少なくとも公式の賛歌(=国歌)ですよね。

そして世界中で本当にたくさんの人に歌われて来た歌があります。
それはDomenico Modugnoの歌で、その歌は1958年にイタリア大衆音楽の流れを変えました。

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僕は"O' Scia"のイベントで50人のアーティストと一緒にこの曲を歌いました。"O' Scia"とは、8年に渡るシチリアのランペドゥーサ島での活動で、異民族、異文化の融合を目指しています。それじゃあ、少しだけ聴いてください。

11曲目:Anni '60[Medley](1960年代メドレー)

 Nel blu dipinto blu[Volare](青の中に青を描く[飛ぶ]/邦題:ヴォラーレ)

この旅には、僕が4〜5年前に経験したある体験も入れておきたいと思います。
大学で建築学の博士号を得て(訳注:2004年)、建築修復についての論文を書いた時、同時に音楽家としては、1960年代の優れたイタリア軽音楽の存在に気が付いたのです。たくさんの作家が優れた楽曲を、偉大な情熱と偉大な心で、偉大な度量を持って書いていたのです。

そして僕は2枚組のアルバムを出しました。今夜はリクエストに応えてメドレー形式で演奏しますので、皆さんも想い出に浸ってみてください。

最初の曲は、この時代に予め用意されていた音楽家とも言えるUmberto Bindiが書いた楽曲です。

-Il nostro concerto(僕らのコンチェルト)

やはり1960年代から偉大な作曲家を。Trieste出身ながらジェノヴァ派カンタウトーレに所属したSergio Endrigoです。

-Io che amo solo te(君だけを愛する僕)

もう一人の作家は天才Pino Donaggioです。

-Io che non vivo(僕は生きられない/邦題:この胸のときめきを)

おそらく最も寂しいのは、かつてない万能の天才だったLuigi Tencoが逝ってしまった事です。

-Vedrai vedrai(君には判るだろう、判るだろう)

僕は、この最高に偉大な作曲家を歌った事はありませんでした。
Ennio Morriconeは、映画音楽の巨匠として、歴史的に偉大な映画の音楽を手掛けていますが、歌モノはほんの少ししか書いていません。こんな曲です。

-Se telefonando(もし電話しているなら)

最後の曲は"Il mondo"と言います。Jimmy Fontanaが書いた楽曲です。

-Il mondo(世界)

偉大な作家たち。偉大な楽曲たち。
このメドレーの後では難しいんですが、でも僕は独りでうまく切り抜けてみますね。

それじゃあ、僕が初めて書いたセレナーデを演奏しましょう。

1970年に書いて1972年に発表した楽曲で、この楽曲は僕の街を語っており、僕はそこで生まれ、今もそこに住んでいます。今は数ヶ月ほど帰れていないけれどね。

その歌は"Con tutto l'amore che posso"と言います。

12曲目:Con tutto l'amore che posso(ありったけの愛を込めて)

"Con tutto l'amore che posso"は僕が初めて書いたセレナーデでしたが、しばらく経ってから(訳注:1990年)別のセレナーデを書きました。

僕はこの曲をとても愛していて、この曲が書けた事を幸せに思っています。

13曲目:Mille giorni di te e di me(君と僕の千日)

どうもありがとう! ありがとう!

この拍手喝采を、既に何日か前にオーストラリア入りしている先発部隊のスタッフにも味わってもらいたかったし、共に分かち合いたかったと思います。

でも今夜は世界中から信頼を寄せられているサウンドエンジニアのAlberto Butturiniさんがいます。
彼の働きに感謝しています。きらびやかなサウンドの位相をステージに作りだしてくれて嬉しく思っています。

そして大いなる感謝を述べたい人々がいます。東京に呼んでくれてこのスペシャルコンサートを実現させてくださった方々です。
この来日が、次の機会に繋がればいいなと願っています。

僕らの招待主であるイタリア文化会館さんは、僕らを昨日から今夜も、そして明日もこの素晴らしい街を楽しませてくれるでしょう。Umberto Donati館長に感謝を捧げます。

僕が最初行った有名な旅は、1972年のアルバムに収められたこのちょっとしたモチーフでした。
その楽曲は2週間チャートの1位に輝きました。

舟歌からヒントを得てローマのとある市場での寓話を書いた"Porta Portese"です。こんな曲です。

14曲目:Porta Portese(ポルテーゼ門)

それで僕らは市場で会計し、あらゆる舟歌が楽譜になり、僕は400曲以上書いたから全てを演奏したいところですが(笑)
でも何曲かは時が過ぎても旅を止めていないんです。ある曲は1973年のこんな曲です。

15曲目:Canzoni[Medley](歌曲[メドレー])

 Amore bello(美しい愛)

次の年に書いたのは・・・

-E tu(そして君)

-Sabato pomeriggio(土曜日の午後)


(アンコール1)

僕は演ったことがない劇場的な事を試してみたかったんです。
日本語はしゃべれないから、まさにあなたたちのために叫ぶ事なんです。こんな風に

16曲目:Buona fortuna(幸運あれ[ア・カペラ])

17曲目:Questo piccolo grande amore(この果敢なくて大きな愛)

18曲目:La vita è adesso(人生は今)


(アンコール2)

(この感謝の気持ちは)言葉で表せないほどです!

まさに・・・・

あなたたちにありがとう!

全て演ってしまいましょうか・・・素晴らしいのは全て・・・
今ある特別な言葉が浮かんできました・・・

観客:"Ragazza dell'Est(東から来た少女)"を!

いえいえ、僕はある曲を演りたかったので、それを演りますよ。
なぜなら重要な曲だからなのです。

僕は何度かレコード会社を変えたけれど、ここ日本のレコード会社はまだなので、日本のFIMI(訳注:イタリアの著作権協会のようなもの)に登録していないとスキャンダルになってしまうかもね(笑)

ではこの曲を始めましょう。

19曲目:E tu come stai?(君は元気かい?)


※当サイトでのClaudio Baglioniの紹介記事はコチラ
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