その1はコチラ
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第2部

第1部後半から続いてサンレモ音楽祭2010出場者にスポットを当てることとし、ベテランカンタウトーレToto Cutugno (トト・クトゥーニョ/67歳/Toscana州Massa e Carrara近郊出身)を選択。

今回のサンレモ2010でなんと合計15回目のサンレモ出場となったToto。発売になったアルバムはその歴史を振り返る意図を込めたタイトル「15 i miei Sanremo(僕のサンレモ出場15曲)」で、出場曲のCDに加え、サンレモでのステージ映像をDVDに収めたCD+DVD2枚組という、とても嬉しい企画。さらに日本のiTunesストアでも購入できるのも嬉しいところ。

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Salvatoreの愛称Totoを芸名にしている通り、彼はSiciliaの血を引いていて(父親がSicilia出身)、音楽家としてはドラマーとしてスタートしたそうです。

いくつかのバンドを経て、やがてAlbatros(アルバトロス)を結成。Toto Curtugnoの栄光は、このAlbatros(アルバトロス)から始まることになります。

メンバーにはTotoの弟Robertoも在籍していたAlbatrosは、インスト部分やスキャット、セリフ部分が多い独特の音楽スタイルでまずは隣国フランスから人気が出たという経歴を持っています。

デビュー曲"Africa"はフランスで大ヒットした後、その他21ヶ国のヒットチャートにランクイン。フランスでは彼らの音楽に『Climat(ムード)』という言葉を当てはめることになります。

そのAlbatros名義で、1976年、1977年と2年連続でサンレモ音楽祭に出場しますが、3月FESTAでは、記念すべき初出演となった"Volo AZ 504(アリタリア504便/邦題:別離のローマ空港)"(1976)をピックアップ。

まさにAlbatrosらしい、女性のセリフが小気味イイ楽曲。空港での男女の別れの会話を演出した楽曲で、サンレモ音楽祭では総合3位を勝ち取りました。時にToto Cutugno33歳。

このAlbatrosとしての活動と並行して、1976年にソロ名義でシングル盤を出したり、作曲家としてAdriano Celentano(アドリアーノ・チェレンターノ)の楽曲を提供したりして徐々に頭角を表したTotoは、1980年にはソロとしてサンレモ音楽祭に出場するや、いきなり総合優勝に輝くことになります。Toto Cutugno37歳。

優勝曲"Solo noi(僕らだけ)"は、大ヒットし、Totoの代表曲となっただけでなく、1980年代のイタリアのヒットソングには必ず数えられる名曲として熟知されることとなりました。

まさにいきなりスターダムにのし上がったToto Cutugnoは、嬉しいことに同年秋に来日し、『東洋のサンレモ』の異名をとっていた『ヤマハ世界歌謡祭』に出場を果たします。

イタリアでの注目度・人気とリアルタイムに連携した来日は、この後の時代になると急速に萎んでいくことなりますので、まさにタイムリーな来日ステージとなりました。

参加曲"Francesca no sa(フランチェスカは知らない/邦題:僕のフランチェスカ)"は、1975年に書いた楽曲のためか、イタリア本国では彼の代表曲に挙げられることは少なく、音源を入手するのはやや困難。

YouTubeでもやっとスロヴァキアのTV放送の動画が上がっているのみです。逆に当時のTotoの人気はヨーロッパ全土に届く勢いだったことを実感できるかと思います。

さて1983年にソロとして2度目のサンレモのステージを踏んだToto Cutugnoは、これまた印象的な楽曲"L'italiano(イタリア男)"を発表します。

ギターを片手に愛を歌い、スパゲッティはアルデンテで・・・とイタリア男の在り様を幾分ステレオタイプに歌った楽曲。Toto Cutugnoが歌うと、パロディやお笑いにならないのが不思議なところ。

1980年代後半になると1986年より連続5年に渡りサンレモ音楽祭に出場。うち4回が総合2位という驚異の成績を残します。1980年代は通算7回ものサンレモ出場となり、文字通り1980年代の顔として大活躍したのがToto Cutugnoということになります。

連続5回出場の最後の年となる1990年には、名曲"Gli amori(恋人たち)"で出場。この年は既に大物だったPoohが初出場して総合優勝をさらってしまったため、成績こそ総合2位に留まったものの、この楽曲はまたしてもTotoの代表曲となっただけでなく、イタリアの美しいラヴソングの中に必ず数えられるほどのスタンダードナンバーとなります。時にToto47歳。

また、この1990年のサンレモ音楽祭は、サンレモ音楽祭人気の再燃・復興を真剣に目指し、Poohのようなアンチサンレモの大物スターの出演にこぎつけただけでなく、往年のサンレモのように外国人歌手とのダブルキャスト制を組むことになりました。

Toto Cutugnoのペアとなった大物アーテイストは、なんとRay Charles(レイ・チャールズ/1930-2004/米ジョージア生まれ)。

Albatros時代から影響を受けたアーティストとして、この『ソウルの神様』の異名をとるてRay Charlesの名を挙げ続けていたTotoが、ついに夢の人と同じステージを踏み、その神様に自分の曲を歌ってもらうという栄誉を手中に収めることになりました。


そして同1990年、『ヨーロッパのサンレモ』の異名をとるユーロフェスティヴァル(ユーゴスラビアで開催)に、楽曲"Insieme:1992(一緒に:1992年)"でイタリア代表として出場したTotoは、ここでも優勝してしまうのです。

Insieme_1992

ユーロフェスティヴァルでイタリアが優勝するのは、1964年のGigliola Cinquetti(ジリオラ・チンクエッティ)以来の、実に16年ぶりという快挙となりました。また、当時既に35年の歴史がある同音楽祭の優勝者としては、作詞者・作曲者・歌手が完全一致する初めてのアーティストとなりました。

しかし毎年のようにサンレモ音楽祭に出場していたTotoは、以降はやや足が遠のき、1990年代には3回、2000年代には2回という出場ペースになります。

2005年には8年ぶりにサンレモ音楽祭に"Come noi nessuno al mondo(私たちの様なのはこの世に居ない)"で出場。

ミスイタリアにもなった盲目の女性歌手Annalisa Minetti(アンナリーザ・ミネッティ/29歳[現34歳]/Milano近郊出身)とのデュエットを楽しませてくれました。そしてClassic部門での首位に輝きます。時にToto62歳。

そして2010年。5年ぶりにサンレモ音楽祭に出場したToto Cutugnoは、67歳になるというのが信じられないほど、相変わらずのダンディさを振りまきながら、美しい楽曲"Aeroplani(飛行機)"を披露してくれました。


注)記事中の歌手の年齢は、記載時点での誕生日の到来を考慮はせず、2010年に達する年齢で表記しています。

Continua alla prossima puntata.(続く)