その3はコチラ


 

第4部

4月FESTA最後のアーティストは、ベテラン歌手Massimo Ranieri(マッスィモ・ラニエリ/57/Napoli生まれ)。

2006年暮れにデビュー40周年を記念して発売された2枚組アルバム「Canto perché non so nuotare…da 40 anni(僕は歌う 泳げないから・・・・40年間も)」、そしてそのツアーが大ヒット。

このツアーは楽器演奏者を全員女性で揃えたのが特徴で、特に2007年初期の公演は、ダンサーもゲストアーティストも全員女性に限定して『Tutte donne tranne me(僕以外は皆、女性)』というサブタイトルを付けられて注目を浴びました。この『Tutte donne tranne me』については2007年3月FESTAにて紹介いたしました。(Massimo Ranieriのバイオグラフィも紹介してありますので、ご参照ください)

MassimoRanieri/CantoPerche'NonSoNuotareDa40Anni(Live)翌2008年早々に発売になったのは、『Tutte donne tranne me』以外の時期のライヴ映像を収めた2枚組DVD「Canto perché non so nuotare…da 40 anni」。1枚目は2007年のライヴ映像で、演奏者は全員女性であることは変わりませんが、ダンサーやゲスト・アーティストには男性も出演しています。そして2枚目はデビュー当時からの代表曲の映像を収めた記録集になっています。

FESTAでは時代順に紹介することとし、最初は2枚目の過去の映像資料から。Canzonissima1969出場時、すなわち18歳当時の映像で"Rose rosse(赤いバラ/1969)。Johnny Dorelli(ジョニー・ドレッリ)がMassimo Ranieriの曲紹介をしています。
(DVD商品セールスを阻害しないよう、収録されたものと異なる映像をリンクします)

極貧生活の子供時代を過ごし、遊んだり学校へ通う代わりに下働きをしてきたというだけあって、18歳にはとても見えない落ち着いた雰囲気。でも時折見せる天心爛漫の微笑みは、いかにもナポリっ子らしい明るさに満ちています。結婚式場で歌う仕事をも引き受けていただけあって、既に抜群の歌唱力を見せつけてくれます。この曲はCantagiroのコンテストで、13週間に渡りヒットチャートのNo.1を続けたという大ヒット曲になりました。

3年後のCanzonissima1972、21歳当時の映像から"Erba di casa mia(故郷の牧草/1972)"。司会がLoretta Goggi(ロレッタ・ゴッジ)に替わり、Massimoとの問答形式で楽曲紹介をしてくれています。Amore(愛)とNostalgia(郷愁)とRomantico(感傷)が含まれた曲だと、Massimoが答えています。

さて、ここでいよいよ1枚目のDVDに移り、SiciliaはAgrigentoの遺跡群(世界遺産)の広場での野外コンサートを楽しむことにしました。もちろん、闇夜にライトアップされたギリシャ文化の遺跡を眺めながら、Massimo Ranieriという40年モノの豊潤な香りと味を楽しめるのですから、もう最高の贅沢ですね。

FESTA向けの選曲は、本当に苦労しました。オリジナル曲も、ナポリ歌謡もカバー曲も、どれもが素晴らしいパフォーマンスなので、これはぜひ紹介したいと思える曲が両手の指で足りないほどあるのですから。苦肉の策で3曲程に絞り込んで紹介することに。

1990年代中盤のMassimo Ranieriのプロデューサーを務めていたGianni Togni(ジァンニ・トーニ)とTogniの盟友Guido Morra(グイド・モッラ)のペンになる楽曲で"Ti parlerò d’amore(君に愛を語ろう/1997)"。

ステージ中央にはバレリーナが縄跳びを始めます。ステージの中央から上手寄りに、椅子の背を前に回して跨り、疲れた表情の演技をしながら歌い始めるMassimo。やがて縄跳びバレリーナが徐々に増えて4人〜6人に。疲れた苦悩の表情を浮かべるMassimoに対し、バレリーナ達は穏やな無邪気な表情。1980年代初頭に大ブレイクをしたTogni-Morraのコンビによる楽曲は、Aメロもサビも思わず一緒に歌いたくなる魅力を撒き散らしてくれます。願わくばGianni Togniにもゲスト出演して貰いたかったところ。

Gianni Togniからバトンを受け取る形で、2000年前後のMassimoのプロデュースを務めたのがMauro Pagani(マウロ・パガーニ)。元P.F.M.という枕詞などもう必要のない、地中海音楽の第一人者ですね。そのMauroがヴァイオリニストとしてゲスト出演した"La rumba degli scugnizzi(悪ガキどものルンバ/2001)。ナポリ語で歌われるこの曲は、ダンサブルなリズムの楽曲で、女性ダンサーと共にタップダンスを踊りながら歌うMassimoが楽しめます。

これはスゴイ。タップを踏みながら、息も乱れずにヴォーカルを務めるのですから。Mauro Paganiも相変わらず民俗音楽調のヴァイオリンの早弾を楽しませてくれます。

次がラストソングの予定だったのですが、少し時間に余裕があったことに加え、Massimoのタップダンスを見ていたらぜひとも紹介したい名演が頭から離れなくなってしまったので、その曰くの曲"La cura(心遣い)"を。Franco Battiato(フランコ・バッティアート)作品のカバーです。

クセの強いBattiato作品を、全くBattiatoの面影の無いMassimo Ranieriの作品にしてしまっているのも見事なんですが、紹介したかったのはMassimoのステージパフォーマンス。まるでアスレティック・ジムに居るかのようなエクササイズをしながら歌っているのです。膝まづいた状態から上体反らし&戻しをしながら。あるいは腕立て伏せをしながら、息も乱れず、ロングトーンも揺れず、ヴォーカルだけは普通に歌い切っているのです。

FESTAでは紹介しませんでしたが、前出の"Erba di casa mia"のパフォーマンスは、草原に寝転がるシーンを再現して、仰向けに寝転がったままのヴォーカル。実際にヴォイストレーニングでも使われるメニューだけあって、正しい腹式呼吸ができていないと、ほとんど歌うことができない姿勢です。Massimoはその仰向けの状態で歌いながら、脚と上体を『く』の字ににキープする腹筋エクササイズのポーズを取り始めるのです。もちろん普通に歌いながら。そしてロングトーンの歌い伸ばしも。

何という身体能力なんでしょう!

何という鍛え方をしているのでしょう!

Massimoのプロ根性をここに垣間見ることができました。

ここでDVDの中表紙に収められたMassimoの写真と添えられたコメントをご紹介しました。

MassimoRanieri_confessoDa bambino lavoravo invece di giocare,
ma da quarant’anni faccio un lavoro
che  è il gioco più bello del mondo.
Massimo Ranieri

子供の頃から 遊ぶ代わりに 僕は働いてきた
でも この40年間 
世界一素晴らしい遊びだといえる
仕事をしていると思っているよ。
マッスィモ・ラニエリ

何という重みのある言葉なんでしょう。
誇らしい自信に溢れた言葉なんでしょうか!

さて、いよいよ本当に最後の曲。やっぱりこの曲じゃないとMassimo Ranieriコーナーは終われませんね。"Perdere l'amore(愛を失う/1988)"。1970年代後半から映画俳優として脚光を浴びて、歌手としての活動を控えていたMassimoが、サンレモ音楽祭1988年に出場して優勝。歌手としての活動を再開したきっかけとなったイタリア歌謡史に残る名曲中の名曲です。実際このDVDでもラストソングとして納められています。
(『Tutte donne tranne me』版からSilvia Mezzanotteとのデュエット映像をリンクしておきます)

おそらくコンサートでも最後、またはアンコールの曲だったのでしょう。コンサート会場では、席から立ち上がり、ステージ前に押し掛けるたくさんの観客の姿が写されています。いや〜、本当に最高のDVD作品です。



注)記事中の歌手の年齢は、記載時点での誕生日の到来を考慮はせず、2008年に達する年齢で表記しています。

 

次回5月FESTAは、5月17日(土)の開催予定です。