その1はコチラ
第2部
第2部は第1部の流れを引き継いで20代のアーティストから始めました。
今秋に新作アルバム「A.M.E.」の発表が期待されているTiziano Ferro(ティツィアーノ・フェッロ/28/Latina出身)ですが、2006年6月に発表した3rdアルバム「Nessuno è solo(誰もが独りじゃない)」が売れに売れて、翌2007年のダイアモンド・ディスクを受賞しています。
2006年8月FESTAで既に紹介しているアルバムですが、その後もシングルカット曲が相次いでなされ、とうとうこのアルバム1枚から通産5枚ものシングル曲が発表されました。
アルバム発売からなんと1年と少し経過した2007年夏、4枚目のシングル曲として発売されたのが"E Raffaella è mia(そしてラッファエッラは僕のもの)"。アルバムに収められていた時は、単にRaffaellaという名の『僕だけのマドンナ』的な女性を崇める、ややストーカー気味の歌詞の曲だと思っていましたが、実はこのRaffaellaとは親子ほども年の離れたRaffaella Carrà(ラッファエッラ・カッラ/65/Bologna出身)の事だとは気付きませんでした。
Raffaella Carràは、1970年代以降、彼女の名前を冠した数多くのTV番組を持つ、『歌って踊れるスター』の元祖的な存在。きれいな金髪に、鍛え抜かれた抜群の肢体を持ち、きわどい衣装を身にまとう事が多いものの、淫靡さのない健康的な魅力に溢れていたところがイタリアのお茶の間受けしたようで、本当に子供から大人までに親しまれる『TVのお姉さん』といった存在の、イタリアを代表するショウ・ガール。
1980年生まれのTizianoですら、Raffaellaの番組を見て育ち、『Raffaellaこそが憧れのスター』といった状態になっているようです。確かにTizianoのパフォーマンスも『歌って踊る』が基本になっていますので、Raffaellaを見て育った影響がかなり大きいと想像できますね。
歌詞の内容をそのまま映像化したようなヴィデオ・クリップも作られていますので、その映像で紹介しました。
日本のiTuneストアにも登録され、アルバムはもちろん、ヴィデオクリップも購買できるようになっていますので、日本に居ながらにして簡単にデジタル音源はもとより、公式PVまで入手できるようになっています。
(このリンクから"E Raffaella è mia"のPVが入手できます→)
Tizianoが一人3役を務めた設定になっており、TV番組の司会者、アーティストTiziano Ferro、そして金に糸目をつけずにRaffaellaグッズを買い集めるコレクター青年としてそれぞれ登場します。
『Il magico mondo di Raffaella(ラッファエッラの不思議な世界)』というタイトルのTV番組が始まり、Tizianoが扮する司会者が『若くて現代的な若者で、ダンス魂が身体に溢れる Tiziano Ferro!』とアーティストTizianoを紹介。
アーティストTizianoが"E Raffaella è mia"を歌い出し、TVには憧れのRaffaella Carràの映像が流れます。TVの前のコレクターTizianoはポップコーンをまき散らすほどの慌てぶりで、ブラウン管にかぶりついてRaffaellaを鑑賞します。そして嬉しそうに音楽に合わせて踊り出します。
すると再び司会者Tizianoが登場し、『最も重要なサプライズ・コーナーに移りましょう。これから生Raffaella鑑賞の当選者発表します』といったナレーションをします。当選者の名前が入った封筒が司会者Tizianoに手渡され、『さて、幸運の当選者は・・・・・Ferro, Tiziano!』
コレクターTizianoは大興奮!! やがて、コレクターTizianoの部屋の玄関から、金ラメのロングドレスを身にまとった、文字通り女神さまのようなRaffaellaが登場。
E Raffaella canta a casa mia(ラッファエッラが僕の家で歌ってくれる)
E Raffaella balla a casa mia(ラッファエッラが僕の家で踊ってくれる)
というサビが響き渡る中、コレクターTizianoはあまりにもの栄誉にたじろぎ、目と口を見開いたまま腰を抜かしてソファに座ったまま。するとRaffaellaはそんな情けないコレクターTizianoの目の前に立ち、優しく両手を差しのべて、一緒に歌って踊ろうと誘います。
TV画面ではアーティストTizianoの横にRaffaella Carràが現れ、アーティストTizianoと巧みなダンスを披露します。それにしても若々しいRaffaellaです。この映像が制作された時には既に64歳のはずですが、プラチナブロンドのストレート・ロングヘアをなびかせて踊るその肢体は、子供の頃のTizianoが見ていたであろう1980年代と全く変わりません。
最後に司会者Tizianoが『そろそろお開きとなります。さて次のRaffaella è miaの当選者は誰でしょう?』と問いかけて、ビデオ・クリップは終了します。
Tizianoが本当にRaffaellaの事が大好きなんだなぁ、と実感できる写真が、シングル盤の裏ジャケットに収められています。
さて、ブラック・ミュージックの要素を取り込んで、イタリアは元より、ヨーロッパや南米でも大成功を収めたTiziano Ferroですが、彼のような20代の若者をも魅了し続けるRaffaella Carràというアーティストは、歌手という枠に納まらない、ショウ・ガールであり、TVスターであり、ミュージカル・スターだったので、日本の60年代カンツォーネ・ファンにも、イタリアPOPSファンにも、その真の魅力と功績が充分に認識されていないことが残念。そこで第2部はRaffaella Carràを中心に紹介することにしました。
ちょうど2007年秋に、Raffaella Carràの芸能生活をまとめたCD2枚+DVDの3枚組アルバム「Raffica Carrà(カッラ連発)」がリリースされましたので、このDVD映像から紹介しました。
まずは最も最近のRaffaella Carràの姿を確認してもらうため、2006年に収録されたRaffaellaの名を冠したTV番組『Amore』の主題歌"Assulaie"。この曲は2003年のZecchino D'oro(ゼッキーノ・ドーロ/子供による歌のコンテスト)の参加曲"Il mio fratellino a distanza/Assulaie'(遠くに居る私の弟/アッスライエ)"という曲のカバーになっています。(オリジナルのZecchino D'oroの映像をリンクしておきます)
天使のような表情の子供たちに囲まれ、純白のスーツに身を包んだRaffaella Carràが優しく、低い声で歌い始めます。プラチナ・ブロンドのロングヘアーと白いスーツですから、神々しいオーラがRaffaellaの周りに漂っています。やがて子供たちのコーラスがRaffaellaの歌に絡んできて、微笑ましいシーンに変わっていきます。当時63歳のRaffaellaですが、2000年代になってもまた新しい世代の子供たちに影響を与え続けている姿を目の当たりにできます。
2曲目は思いっきり時代を遡り、1970年のCanzonissimaのモノクロ映像から"Ma che musica Maestro(まぁ先生、なんて素晴らしい音楽なんでしょうか!)"を選択。27歳当時のRafaellaの姿と絶妙なパフォーマンスを堪能することにしました。
それにしても素晴らしい舞台演出です。広大なステージをたくさんのダンサーをひきつれて、アクロバティックなダンスを踊りながら、見事に歌うRaffaella。そして実に軽快で、楽しい、ミュージカルナンバーのような行進曲風にアレンジされた親しみ易い曲で、フル・オーケストラのダイナミズムを活かし切ったアレンジも見事。未だにイタリアの若者にも歌い継がれている曲なのも納得です。(DVD商品セールスを阻害しないよう、翌1971年のCanzonissimaの映像をリンクします)
3曲目はカラー放送となった時代から1978年のTV番組『Ma che sera con Raffaella Carrà』から、"Tanti auguri(おめでとう)"を紹介。ヒットメーカーDaniele Pace(ダニエレ・パーチェ)のペンになる楽曲。
当時のイタリアはディスコ・ブーム全盛の時代ですから、この曲もまさにディスコ調のアレンジが施されたダンサブルな楽曲。35歳当時のRaffaellaが、例によって健康的な魅力を振りまきながら、踊り&歌います。セットがイタリアの各都市の有名な建物を1/25ぐらいに縮小した建築模型になっています。Romaの遺跡群、Veneziaのサンマルコ広場、FirenzeのDuomo&Giottoの塔、MilanoのDuomo、BolognaのDue torri、Napoliのタマゴ城、Pisaの斜塔、AssisiのSan Francesco寺院などなど。そして背後にはMonte Bianco(モンブラン)やDolomiti(ドロミテ)の山々まで配するという、かなりのお金と手間のかかっていそうなセット。
RomaのColosseoに腰かけたり、サン・ピエトロ寺院の広場に肘をついてみたりしながら歌うRaffaella。よく見ると小さな噴水まで、ちゃんと水を噴き出しているではありませんか!現代ならば、CG処理等でごまかしてしまうであろう規模の制作物を実際に作ってしまっているのですから、Raffaellaの番組の予算はかなり贅沢に使わせてもらえていた、すなわちそれだけの人気番組をいくつも持っていたRaffaellaの人気をうかがい知ることができる貴重な資料とも言える映像作品だと思います。
Festaでは紹介しませんでしたが、特に1980年代以降のRaffaellaは、英語やスペイン語で歌う曲も多く、現在でさえ誰もが英語堪能ではないイタリア社会の中では、英語も自在に操って歌い踊るRaffaellaの姿は憧れでもあり、同時に芸能界入りを夢見る子供や若者の目標となったことは容易に想像ができます。きっとTiziano Ferroもそうだったのでしょう。
こうしてイタリアのTV番組の顔として活躍したRaffaella Carràは58歳の時、21世紀の初めとなる2001年のサンレモ音楽祭のオーガナイザーに大抜擢されます。この時の映像をバックに"E' la mia musica(これが私の音楽)"を紹介しました。
サンレモ音楽祭に出場するアーティストたちが、会場となるAriston劇場へ続く花道を歩むシーンが収められており、優勝したElisa(エリーザ)、2位となったGiorgia(ジォルジァ)、3位のSilvia Mezzanotte(スィルヴィア・メッツァノッテ)時代のMatia Bazar(マティア・バザール)、以下、Michele Zarrillo(ミケーレ・ザッリッロ)、Paola Turci(パオラ・トゥルチ)、Jenny B(イェニー・ビー)、Alex Britti(アレックス・ブリッティ)、Gigi D'Alessio(ジジ・ダレッスィオ)、Fabio Concato(ファビオ・コンカート)、Anna Oxa(アンナ・オクサ)、懐かしいところではPeppino Di Capri(ペッピーノ・ディ・カプリ)、Gianni Bella(ジァンニ・ベッラ)、Morgan(モルガン)率いるBluvertigo(ブルーヴェルティゴ)らの面々。新人部門では、Gazosa(ガゾーザ)、Francesco e Giada(フランチェスコ・エ・ジァーダ)、Francesco Renga(フランチェスコ・レンガ)、Paolo Meneguzzi(パオロ・メネグッツィ)らの顔も。
続いて人気TV番組『Carramba! Che sorpresa』からの映像で、"Roba da matti(奇抜なもの)"。Biagio Antonacci(ビアージォ・アントナッチ)、Laura Pausini(ラウラ・パウズィーニ)、Gigi D'Alessio(ジジ・ダレッスィオ)、Renato Zero(レナート・ゼロ)らの番組出場時の映像が流れるのが、イタリアPOPSファンとして見逃せないところ。
Raffaella Carràの魅力に酔いしれて、すっかり幸せな気分になったFESTA会場でしたが、ここで訃報をお知らせすることに。
4月FESTAの僅か5日前の2008年4月14日、Marisa Sannia(マリーザ・サンニア/1947-2008/61歳没/Sardegna州Iglesias出身)が、急病により他界してしまいました。
『モデル出身の痩せっぽちの女の子』の外見にぴったりマッチした細い声のヴォーカルが、また一段と彼女の魅力と個性になっていた歌手でしたが、昨2007年に発売されたSergio Endrigo(セルジォ・エンドリゴ)の追悼コンサートにも、『まだまだ現役』という美しい姿を見せてくれただけに、非常に残念・無念でなりません。
FESTA参加者の中では、まだ誰もこの訃報を知らなかったようで、イタリア人をはじめ、往年のカンツォーネ・ファン、女性歌手ファン、古くからのイタリアPOPSファンなどが、顔を覆ったり、激しく落ち込んだりしてしまいました。
4月FESTAではMarisa Sannniaの逝去に哀悼の意を表し、在りし日の映像を紹介しました。
"L'amore e' una colomba(邦題:恋は鳩のように/1970)。大阪万博のこの年、日本でのサンレモ音楽祭のアーティスト団の一員として来日公演を果たしています。ちなみに前年1969年には、Don Backy(ドン・バッキー)が書いたイタリア歌謡史に残る名曲"Casa Bianca(白い家)"を歌い、急速に注目を集めていたことを思い出させます。
最後の曲は、2007年のSergio Endrigo追悼ライブから、Endrigoのカバーで"Come stasera mai(今夜のように)"。相変わらず細い体に美しい金髪が揺れ、実年齢よりも10歳以上も若く見える上品な女性。1970年代は、Endrigoにプロデュースされ、Endrigo作品を多く歌うようになった、まさに師弟関係にありました。
注)記事中の歌手の年齢は、記載時点での誕生日の到来を考慮はせず、2008年に達する年齢で表記しています。
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