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第4部

2月FESTA最後の第4部は、白熱のライヴDVD特集。

イタリアのRockバンドの中で、おそらく最長の活動歴を誇るNomadi(ノーマディ)。1963年の結成以来、休むことなく45年間も活動を続けているのです。もちろん結成当初から残るオリジナルメンバーはキーボードのBeppe Carletti(ベッペ・カルレッティ/62/Modena近郊出身)ただ一人になってしまいましたが、看板ヴォーカリストだったAugusto Daolio(アウグスト・ダオリオ/1947–1992/45歳没/Novellara出身)の死という、バンドの存続の危機を見事に乗り越えて、新生Nomadiとしての活動もすっかり板について今日に至ります。

デビュー当初はご多分にもれず外国曲のイタリア語カバーを手がけるビートバンドとしての活動が主でしたが、早くも自作曲にもトライを始めています。しかし1960年代後半になると、まだ無名だったカンタウトーレFrancesco Guccini(フランチェスコ・グッチーニ/68/Modena出身)と行動を共にし、Gucciniの曲を積極的に歌うようになります。Francesco Gucciniはイタリア社会を鋭い切り口で捉えて描写する詩人としての才能が豊かで、故Fabrizio De André(ファブリツィオ・デ・アンドレ/1940-1999)と並んでイタリアで一目置かれている存在でもあります。

1990年ぐらいから、現在のメンバーが揃い始めます。Cico Falzone(チコ・ファルツォーネ/ギター)、Daniele Campani(ダニエレ・カンパーニ/ドラム) が1990年に加入。1992年のAugusto Daolioの死後、Danilo Sacco(ダニーロ・サッコ)が2代目リードヴォーカリストとして加入。1998年にはセカンド・ヴォーカリストのMassimo Vecchi(マッスィモ・ヴェッキ/ベース)、そしてNomadi(遊牧民)サウンドに欠かせないエッセンスを担当するSergio Reggioli(セルジォ・レッジォーリ/バイオリン&パーカッション)が加わり、現メンバーの顔触れとなります。

2006年のサンレモ音楽祭に出場した際、ヴォーカルDanilo Sacco(43/Asti出身)がスキンヘッドに作務衣のような衣装で登場して「お坊さんみたいだ」と話題になりましたが、実際にその2年前の2004年に在宅出家して仏門に入っており、Kakuen(カクエン)という出家名を持っています。どうやらチベット仏教の宗派のようですね。最近はアルバムのクレジットにもDanilo Kakuen Saccoとミドルネームの位置に入れるほどです。

比較的多くの映像作品をリリースしているNomadiですが、今回の「Live 2007 Nomadi & Omnia Symphony Orchestra」(2007)は、そのサブタイトル通り、オーケストラとの共演が見ものです。

Festaでは比較的最近のヒット曲から、"Io voglio vivere(僕は生きたい)"(2003)から始めることにしました。
Nomadiという名の通り遊牧民を感じさせるヴァイオリンの調べから始まるお馴染みのヒット曲ですが、いつものSergio Reggioliのヴァイオリンには、今回は大オーケストラが同期する分厚いサウンドにコーラス隊が加わって、まさに蒼い大草原を駆け抜ける遊牧民を彷彿とするサウンドではないですか!

Daniloの深くて温かみのあるヴォーカルが乗るともうご機嫌な世界。Massimo Vecchiがツボを抑えたベースラインを奏で、Daniele Campaniのタイトなドラム、Cico Falzoneの活かしたギターのリフ・・・ただでさえ長年ライヴバンドとしてのキャリアを積み重ねた百戦錬磨のバンドに、この大オーケストラが乗ると、何と雄大な世界が広がるのでしょうか!

2曲目はベースのMassimo Vecchi(38)から歌い始め、ギターを抱えたDaniloが加わって、ヴォーカルの掛け合いとなり、さらにギターのCico Falzone(52)までもがヴォーカルに加わるという、Nomadiにしては珍しい3人ヴォーカルを立てた"Canzone per un'amica(ある女友達のための歌)"(1967)。盟友Francesco Gucciniが書いた楽曲ですが、1967年の最初のバージョンは、歌い方もサウンドもSEもプロテスタントソングっぽい感じでした。このDVDでは新たに録音されたバージョンで演奏していますので、軽快なカントリーロック調のサウンドになっています。

NomadiのセカンドヴォーカルMassimo Vecchiのヴォーカルは、歴史的ロックバンドのボーカリストのような味わいがあり、これがまた洋楽ファンの魂をくすぐります。そうだな・・・The Band(ザ・バンド)の故Rick Danko(リック・ダンコ/1942-1999)のヴォーカルに似ているかな。ギターのCico Falzoneも澄みきった透明感のあるヴォーカルもまた素敵でしたね。

Nomadiのラストはやっぱりこの曲は外せません。"Io vagabondo(僕は放浪する)"(1972) Nomadiの最大のヒット曲と言って良いでしょう。ほとんどのイタリア人が口ずさめるお馴染みの曲のようです。

今回は美しいオーケストラアレンジでDaniloが歌い始めます。案の定、コンサート会場の客席は、オール・スタンディング・オヴェーションで、肩を抱き合って、垂れ幕を振りながら、大合唱です。

東京のFesta会場でも、古くからのNomadiファンはもちろんのこと、ほとんどNomadiを知らなかった参加者でさえもすっかりNomadiの魅力に打ちのめされていました。


 

さて2月FESTAのオオトリはBiagio Antonacci(ビアージォ・アントナッチ/45/Milano出身)。

大学で幾何学の学位を取得したBiagio Antonaciiは、子供時代からドラムの演奏を始め、カンタウトーレのRON(ロン/2008年1月FESTA参照)に憧れて自ら曲も書くようになり、25歳の時にサンレモ音楽祭の若手部門に初出場。翌1989年は師匠RONのプロデュースでアルバムデビューを果たします。2年後に2ndアルバムをリリースしますが、残念ながら彼にスポットライトが当たることはありませんでした。他の多くのベテラン大物カンタウトーレと同様、不遇時代のBiagio Antonacciはソングライターとして下積み経験します。1990年代初頭の時期にMietta(ミエッタ)やMia Martini(ミア・マルティーニ)に曲を書いています。

30歳を迎えた1993年、3rdアルバム「Liberatemi」が15万枚のセールスとなり、ようやくBiagio Antonacciはメインストリームに乗れる位置に着くことができるようになりました。そのチャンスを生かすべく、1994年、自身のアーティスト名をタイトルにした4枚目のアルバム「Biagio Antonacci」からはスマッシュヒットが3曲も生まれ、アルバムも30万枚のセールスを収めるヒット。5枚目のアルバム「Il Mucchio(堆積)」(1996)、そして6枚目「Mi Fai Stare Bene(君は僕を良い気持ちにさせる)」(1998)は70万枚のセールと急速に求心力を高め、人気アーティストに成長していきます。

 




自身の体の中に鳴り響くのドラムのビートを強く表に出すようなロック路線の楽曲にシフトし、そして激しいサウンドの合間に収められるオアシスのような美しい歌詞のバラード曲がイタリアの若者受けし、次第にカリスマ的な存在感を強めていったようです。1999年にはFestivalbarのツアー部門で優勝を果たします。

2000年に満を持してリリースしたベストアルバム「Tra le Mie Canzoni(僕の歌の間に)」、そしてLaura Pausiniに"Tra Te E Il Mare(あなたと海の間に)"を書き下ろし、これらがイタリアを超えて大ヒット。Biagio Antonacciがビッグな存在としてイタリア社会に位置づけられた年だったと言えます。

やがてスペイン語版のアルバムをリリースしたり、大御所Claudio Baglioni(クラウディオ・バリォーニ)のコンサートにゲスト出演したり、再びLaura Pausini(ラウラ・パウズィーニ)に"Vivim(私を深く感じて)i"を書き下ろすなど、精力的なコラボレーションを重ねながらも、ついに自らのプロジェクト『Convivendo』に着手します。

『Convivendo』とは、日本語訳では『同棲』になりますが、日本語ではどことなく秘めた感じや良識に反するニュアンスが依然として漂うものの、イタリア社会では非常にノーマルな社会概念です。

カトリック総本山のお膝元であるイタリアでは、宗教上の理由で1970年代まで離婚が認められていませんでした。ようやく離婚が許可されるようになったといっても、書類手続きだけで自由放免になる訳でなく、『separato/a(別居中)』という何年にも渡るかなり長い期間を経なければ離婚が認められない制度があるようです。(ちなみに日本では嫡子問題を理由として、女性側にのみ6か月の再婚禁止期間があるだけで、男性側の戸籍には制限はありませんよね)

従って、安易な結婚を避け、お互いの事を充分理解しあってから入籍するという風潮から、『Convivendo(同棲)』という概念がイタリア社会では市民権を得たようです。 また『Separato/a』の期間は新しい伴侶とは戸籍上入籍できないので、結果論として『Convivendo』という事実婚関係が続くというカップルも多いようです。

余談ですが、Biagio Antonacci自身もスタアGianni Morandi(ジァンニ・モランディ)の娘Marianna Morandi(マリアンア・モランディ)とconvivendoしていた時期があり、子供も2人生まれましたが、現在は彼らのconvivendo関係は解消しているようです。

Biagioが始めたConvivendoプロジェクトは「Convivendo parte 1」(2004)、「Convivendo Parte 2」(2005)という2枚のアルバム、ロングツアー、そしてそのライブ映像のDVD化という形で展開され、一大ムーブメントを引き起こしました。

「Parte 1」は2004年のFestivalbarのアルバム部門で優勝。「Parte 2」は2005年、イタリア国内の年間ヒットチャートの総合1位を記録。そして外国でもWorld Music AwardsのBest-Selling Italian Male Artist賞を受賞し、名実ともにイタリアでもっとも売れているアーティストとして大ブレイク。

2007年3月、2年ぶりのアルバム「Vicky Love」をリリース。そして6月30日、巨大スタジアムSan Siroに6万人の観客を動員したライヴを敢行。その白熱のステージを収録したのが、2月FESTAのオオトリにお届けすることになったライヴDVD「S.SIRO 07」(2007)。

女性初のSan Siroの舞台を踏んだLaura PausiniのライヴDVDを2008年1月FESTAで紹介したばかりですが、実際、Laura Pausiniのステージが2007年6月2日で、Biagio Antonacciのコンサートが同年6月30日だったということなので、この師弟関係とも言える2人が、奇しくも同年同月に同じステージに立ち、その映像をDVD化するということになった次第です。

Biagio Antonacciの魅力はその硬派なロックスピリット溢れるサウンドと同時に、女性の心のひだに入り込む絶妙な甘言の歌詞に最大の魅力があるようで、今回のライヴも多くの女性観客を動員に成功しています。

BiagioAntonacci/S.Siro071曲目は"Ritorno ad amare(愛するために僕はまた戻る)"。この曲を歌うBiagioの姿がDVDのジャケットにも採用されています。黒いサテン調のジャケットを羽織ったダンディな装いのBiagioは、真っ赤なハートが連なったクッションを握りしめ、静かにそして情熱的なヴォーカルを聞かせます。弦楽隊の調べがスリリングでサウンドに厚みを出すことに成功しています。

曲が盛り上がって来ると、その黒いアルマーニのジャケットを脱ぎ棄て、黒いタンクトップとウォッシュドのジーンズ姿に。なんて筋骨たくましい上半身なんでしょう。そしてスラットした下半身。40代半ばにしてこのルックス。参りました。Festa会場の女性たちもBiagioのセクシーな魅力にノックアウトされた方が続出していました。曰く『足がなが〜い』『かっこいい〜』そうです。

Biagioは、観客席に投げかけるようなポーズで歌いかけ、一瞬、客席に分け入るパフォーマンスさえサービスしてくれます。FESTAでは紹介しませんでしたが、DVDの他のトラックには、興奮した女性ファンがステージに駆け上がりBiagioに近づくシーンが収められています。屈強なスタッフ数人が素早く阻止しようとするのをBiagioは押し留めて、その女性ファンを招き入れ、愛おしそうに強く抱きしめたうえにキスまでサービスをしてからスタッフに引き渡します。とっさにこういう判断をして実行するところに素のBiagioが見えました。うん、こいつは女性にモテるのは当然ですね。

このコンサートはアルマーニのジャケットを着たちょっと『よそゆきモード』のステージから始まり、そしてこの"Ritorno ad amare"の曲間でジャケットを脱ぎ棄ててタンクトップになってからは、激しいロックサウンドの楽曲が続きます。

そして後半は、白いシンプルなカットソーを羽織った『自然体モード』のステージへ。深いVネックでダボっとした白いカットソーは、普通の男が着たなら、貧乏臭くなったり、だらしなくなりそうなもの。そんな衣装なのに一層ナチュラルさが引き立ってカッコよく見えるBiagioとは!

2曲目は"Così presto no(こんなに早いなんて)"。アルバム「Il Mucchio(堆積)」(1996)に収められていた大ヒット曲。最もロック色の強いアルバムだったからこそ、その良さが光る楽曲でした。

歌い出すその瞬間、Biagioは足もとから1本のバラを拾い上げ、終始バラを片手に持ったまま究極のバラードを歌い上げます。キザったらしくならずに粋に見えるのはさすが! 男につまづき、愛を失って嘆く女性を優しく見守り勇気づけようとするBiagioの言葉が女性の心を揺らします。

違うよ それは君にとって最後の愛の物語じゃない
そんなことはもう言わないで そんな風に思い込んでしまわないで
違うよ それは君にとって最後の晴れの日々なんかじゃない
そんなことはもう言わないで 悪く考えるはもう終わりにしよう
君が流す涙の中に まだ少しだけ彼が居るんだね
君は独りで涙を拭っている
君は気付いていないけれど 
今はもうこの歌が君にとって新しい愛の歌なんだよ

3曲目は2007年から現在までヒットを続けている"Sognami(僕を夢見てくれ)"。バックがアコースティック編成に変わり、Biagioもステージ中央に据えられた止まり木タイプの椅子に腰を下ろして、静かに歌い始めます。やがて小気味よいアコースティック・ギターのカッティングのサウンドに変わります。そして間奏はアコーディオンのレトロな調べ。どこか南米の香りが漂う世界観が漂うステージに一転します。タンバリンを奏でる女性のヴォーカルが混じって、アンニュイな雰囲気も醸し出しています。こういうタイプの曲が現在、Biagioのヒット曲になっているのは、少々不思議な感じですね。

さて、いよいよ2月FESTAの最後の曲になりました。"Iris - tra le tue poesie(イリス - 君の詩の間に)"(1998) を選択。曲を紹介する前に、ちょっとした余興を。

年の大半を外国で過ごしているFESTAメンバーのGATTONEROさんから贈っていただいたサウジアラビア土産のデーツ(ナツメヤシ)のチョコ菓子をメンバーに配りました。ヴァレンタイン・デイが差し迫ってもいましたのでね。

そこでそのお菓子のエピソードを。そのデーツは、サウジアラビアの王子様が経営する農園で作られたものということで、いわば『王子様からの贈り物』だと誇大妄想することが可能な訳です(笑)。ヴァレンタインに王子様からプレゼントなんて、おとぎ話風でロマンチックでしょ?

そしてそのお菓子にはこれから紹介する"Iris"のサビ部分の歌詞が書かれたメモが付けられているという仕込みをしました。

QUANTA VITA C'E' QUANTA VITA INSIEME A TE
TU CHE AMI E TU CHE NON LO RINFACCI MAI
E NON SMETTI MAI DI MOSTRARTI COME SEI
QUANTA VITA C'E' IN QUESTA VITA INSIEME A TE

こんなにも素晴らしい人生があるんだね 
君と一緒だと なんて素敵な日々なんだろう
君は愛してくれるし 束縛したりなんか決してしない
君はありのままの姿を見せるのを 決して止めたりしない
君と過ごすこの日々の中に こんなにも素晴らしい人生があるんだね

これはある意味、究極の愛の言葉じゃないですか!

実は今回のBiagio Antonacciのコンサートには『Anima Gemella(アニマ・ジェメッラ)』というテーマが存在していました。『双子の魂』という意味ですが、転じて『赤い糸で結ばれた運命の人』すなわり『究極の伴侶』を意味するイタリアに広く伝わる伝承といったところでしょうか。

このコンサートが始まる前のスタジアムでは、3人の女性仕掛け人が目ぼしい男の子や女の子に声を掛けては『あなたにはもうAnima Gemellaが居る?』をインタビューして廻り、まだ空家の2人を結びつけるというイベントが行われていて、そんなシーンもDVDのおまけ映像に収められていました。

1曲目の"Ritorno ad amare"のパフォーマンスの際、Biagioが握りしめていた真っ赤なハートのクッションもそのAnima Gemellaの象徴だった訳です。そしてこの"Iris"では、Biagioはサビ部分を何度も繰り返して、何度も観客に歌わせるのですが、その意図は

『この究極の愛の歌詞を、自身のAnima Gemellaに歌ってくれ』

ということ。コンサート会場のバックには真っ赤なハートが吹雪みたいに舞っていて。

それじゃあ、東京のFESTA会場でも映像に合わせて歌って覚えて楽しんでもらいましょう! と歌詞カードを配った次第。
耳馴染みの良いメロディに比較的簡単なイタリア語の歌詞が何度も繰り返されるので、初めての人でも口ずさめたようです。


 

こうして2月FESTAは大団円を迎えた訳ですが、何と言っても今回は、我がPiccola RADIO-ITALIAプロジェクトの創始者のCristinaが関西から駆け付けてくれて、MC等進行を助けてくれたことが大きかった。

Cristinaは大阪有線と名乗っていたころのUsenのカンツォーネチャネルに、現在のイタリアのヒット曲を盛り込む活動をしていた人物。『イタリアで日常的に聴かれているイタリアPOPSを日本でも普通に聴ける環境を創りたい』というPiccola RADIO-ITALIAのプロジェクトコンセプトは彼女の想いが原点になっている訳です。ありがとう、Cristina!今後もよろしくね。

 


 

注)記事中の歌手の年齢は、記載時点での誕生日の到来を考慮はせず、2008年に達する年齢で表記しています。