第4部
第3部に引き続きGianni Togni(ジァンニ・トーニ/60歳/Roma出身)特集。第4部では、彼の過去の話題曲やその曲が与えた影響などを紹介。
Gianni Togniはイタリア本国で人気に火が付いたリアルタイムとなる1981年に来日している。ヤマハ世界歌謡祭に出場するためだった。その時、本国に先駆けて披露したのが「Vivi(邦題:恋するビビ)」で、最優秀賞を獲得し、日本盤シングルも発売された。
そしてTogniと共に、彼を支えるMaurizio Fabrizioをはじめとする主要バンドメンバーが揃って来日したのも画期的な出来事だった。
現存する公式ヴィデオクリップには、当時世界で初めて日本企業が開発し、世界中で爆発的にヒットしていた"初代ウォークマン"をフィーチャーしている点にも注目したい。
同曲は、イタリアでは翌1982年のアルバム『Bollettino dei naviganti(意:航行報告書)』に収録された。
1984年のヒット曲「Giulia」もTogniの代表曲のひとつとなった。
第3部で紹介したように、21世紀になってリミックスされてダンス音楽としてリバイバルヒットしたGianni Togniの楽曲のうちのひとつだ。
さらに1981年のヒット曲「Semplice(意:シンプルな)」はさらに大きなリバイバルヒット&独自の発展を遂げる。まずは原曲から。
同曲はイタリアのプロサッカーチームのサポーターの間で替え歌が応援歌として定着する。最初に採用したのはTogniの地元SS Lazio(ラツィオ)。
続いてさらに歌詞を変えて新採用したのがSerieBのSalernitana(サレルニターナ)。
Gianni Togniの原曲に合わせて歌って踊る若い女の子たちの海辺のパーティの動画などもネットにUPされている事から、原曲自体の新たな世代の認知度もかなりのものと推測できる。
E' festa "Semplice"
7月FESTAのラストは、Gianni Togniが楽曲提供&プロデュースを行っていたこともあるベテラン歌手&俳優Massimo Ranieri(マッスィモ・ラニエリ/マッシモ・ラニエリ/65歳/Napoli出身)のTV番組に、2016年にTogniが共演した時のシーンを。「Luna」、「Giulia」、「Per noi Innamorati(意:僕ら恋する者たちのために)」、「Mi troverai(意:君は僕を見つける事だろう)」をデュエット。
Massimo Ranieri e Gianni Togni
※当サイトでのMassimo Ranieriの紹介記事はコチラ
http://piccola-radio-italia.com/tag/Massimo_Ranieri
※当サイトでのGianni Togniの紹介記事はコチラ
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注)記事中の歌手の年齢は、記載時点での誕生日の到来を考慮はせず、2016年に達する年齢で表記。
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