Marcella Bella(マルチェッラ・ベッラ/マルチェラ/67歳/Sicilia州Catania出身)のデビュー50周年記念アルバム『50 anni di Bella musica(意:50年の美しい音楽/=ベッラの音楽50年)』(2019)。新曲2曲の他は2019年4月のライヴ音源集だ。
Marcella Bella - 50 anni di Bella musica_1

新曲「Ti Mangerei(意:あなたを食べちゃおうかな)」は、Marcellaの3人の兄のうち、Antonio(アントニオ)とRosario(ロザリオ)の2人が書き下ろしている。

「Aria latina(ラテンの雰囲気)」は「Nell'aria(意:空中に)」(1983)のリメイクヴァージョン。

ここからはMarcellaの絶頂期を遡って紹介しよう。「Tanti auguri(意:誕生日おめでとう)」 (1987)はサンレモ音楽祭1987第6位。作曲は実兄Gianni Bella(ジァンニ・ベッラ)で、作詞は実はベテラン・カンタウトーレGino Paoli(ジーノ・パオリ)だが、彼は名前を伏せるのを希望していたため、サンレモ音楽祭出場時にはGianni Bella単独で書いた曲と紹介されていた。

実兄Gianni BellaはMarcellaの最初期からずっと楽曲を書き下ろし、その非凡な才能を発揮し、妹のブレイクに貢献。のちに自身もカンタウトーレとしてソロデビュー。1980年ごろから次第にGianni Morandi(ジァンニ・モランディ)らにも楽曲を提供し始め、とうとう1999年に国民的な大スターAdriano Celentano(アドリァーノ・チェレンターノ)のブレーンに迎え入れられ、多くの名曲を提供し作曲家として大成した。

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「L'ultima poesia(意:最後の詩)」 (1985)は、その実兄Gianni Bellaと公式には最初のデュエット作品としてヒットした。GianniとRosarioのBella兄弟作曲、作詞は大御所Mogol(モゴール)。

「Canto straniero(意:外国の歌)」(1981)は、兄Antonioと当時の気鋭カンタウトーレDario Baldan Bembo(ダリオ・バルダン・ベンボ)との共作。Marcellaのオリジナル曲としては初めてGianni Bella以外が作曲した楽曲となった。

Marcellaは1970年代、Caterina Caselli(カテリーナ・カゼッリ)に始まった“ビートの女王”の称号を受け継ぎ、イタリアのディスコ・ミュージックの先駆けとなってブレイク。日本でも1970年代中頃から後半にかけて、本国とリアルタイムにヒットし、60年代カンツォーネと一線を画す新時代のイタリア音楽の旗手として君臨した。

Marcellaの1970年代の楽曲群は、イタリア音楽エッセンスの結晶ともいえる珠玉の作品が揃っている。時代はアナログからデジタルへの変遷期ゆえ、生のオーケストラに熟練のロックミュージシャンたちの演奏を掛け合わせ、そこに新時代の象徴たるシンセ音が載せられた、現代から考えると、とても贅沢なサウンドで構成されている。ストリングス・アレンジ&オーケストラ指揮は1960年代カンツォーネ黄金時代から活躍するマエストロFranco Monaldi(フランコ・モナルディ)で、ロック系ミュージシャンはLucio Battisti(ルーチョ・バッティスティ)を支え、のちにイタリアン・ロック最高のスーパーバンドと語り継がれるIl Volo(イル・ヴォーロ)の面々が主体なのだ。作詞は名匠Giancarlo Bigazzi(ジァンカルロ・ビガッツィ)とGianni Bellaの黄金コンビで書かれた作品がほどんどだ。

「Abbracciati(意:抱き合って)」 (1977)は、サンレモ音楽祭1977のゲスト出演時に披露されてスマッシュヒットとなった。同年2度目の来日(初の単独コンサート)ステージでも披露された。同曲の収録アルバムの先行シングルであったため、日本の観客には知られていない楽曲だったが、その美しい楽曲はすぐに観衆を魅了した。

「Nessuno mai(意:誰も決して/邦題;炎)」 (1974)は、今ではイタリアン・ディスコ・ミュージックの最初の作品のひとつと称されている。しかし単なるダンス・ミュージックには留まらず、高度な編曲とそれを再現する熟練の手腕の演奏家たちに紡がれたサウンドで、まるで豪華な万華鏡のようだ。煌めくシンセ音、めくるめく生ストリングス、縦横無尽なベースプレイなど、聴きどころ満載だ。50周年アルバムでは女性歌手Silvia Salemi(シルヴィア・サレミ)と共演している。

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「Io domani(意:私は明日.../邦題:燃える明日) (1973)フェスティヴァルバール1973で優勝し、Marcellaが一躍Topスターに躍り出たきっかけとなった楽曲。フェスティヴァルバールとは、バールに設置されたジュークボックスの再生回数で順位を競うこの時代ならではのコンクールだった。バラード調のこの楽曲が優勝という快挙を考えると、当時のMarcellaの勢いの凄さが想像できるかと思う。

「Montagne verdi(意:緑の山々/邦題:青い山脈) (1972)は、サンレモ音楽祭に初出場したMarcellaの出世作だ。自身がSiciliaの田舎から大都会Milanoに出てきた時のことが歌われている。列車に乗って出発すると、どんどん遠ざかっていく故郷の山々。大都会で思い出すのは故郷の太陽と山々と愛しい人。

Marcellaは1969年、17歳の時にデビューするが当時撮影された映像が見つかっている。「Il pagliaccio(意:道化師)」(1969)だ。これは彼女のアイドルだった初代ビートの女王にして後の大音楽プロデューサーCaterina Caselli(カテリーナ・カゼッリ)のドイツ語曲(ドイツ市場向け)「Si si signorina(意:はい、はい、お嬢さん)」(1969)の替え歌だ。映像の中の17歳のMarcellaはまだ垢抜けていない。

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注)記事中の歌手の年齢は、記載時点での誕生日の到来を考慮はせず、2019年に達する年齢で表記。