まずは2017年2月に開催された第67回サンレモ音楽祭のオープニング映像から。前年のオープニングは歴代優勝曲のオムニバス映像だったが、その流れを受けた第2弾とも言える、"優勝しなかったもののヒットした楽曲"のオムニバス映像。どちらも素晴らしい。

そしてそのオムニバス映像の最後は、50年前の1967年に巻き戻され、Luigi Tenco(ルイジ・テンコ/1938-1967/28歳没)にスポットが当てられて終了する。そう、67年間に渡る長大なサンレモ音楽祭史上、最も忌まわしい大事件となったCaso Tenco(テンコ事件)から50年が経ったのだ。

Luigi Tencoは当時イタリア音楽界に革命を起こしつつあったジェノヴァ派に属する気鋭のカンタウトーレだったが、影的な立ち位置だったこともあり、一般大衆にはあまり支持されていなかった。サンレモ音楽祭1967に出場したものの、予選敗退となってしまった晩、ホテルの自室で拳銃自殺を遂げたのだ。その傍らには、彼の楽曲を落選させた審査員や大衆への抗議文を残していたと言われている。

自らの命を賭した彼の抗議は結果として成功し、死後ようやく彼の作品は大きな評価を受けることとなる。その後のサンレモ出場曲の中には、同様に予選敗退したり、最下位で終わったものの、そのアーティストの代表曲となるほど大ヒットしたり、優勝曲よりも良いセールスを示した楽曲は枚挙にいとまがない。それも受けて、サンレモ2017のオープニングは、"優勝しなかったヒット曲"オムニバスとなったのだろう。

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Luigi Tenco没後50周年を受けて、Tencoの「Mi sono innamoto di te(意:僕は君に恋をした/邦題:君に恋して)」のカヴァーを披露したのは、初日のスーパーゲスト出演を果たしたTiziano Ferro(ティツィァーノ・フェッロ/37歳/Lazio州Latina出身)。

Tiziano Ferroはその後、サンレモ2017のステージで自身の持ち歌2曲を歌う。アルバム『Il mestiere della vita(意:人生の仕事)』(2016)収録曲で、同アルバムは2016年12月2日発売なので、集計期間僅か1ヶ月足らずにも関わらず、年間アルバムチャートの第2位にランキングする大ヒットとなっている。フルオリジナルアルバムとしては5年振り。16歳の時の気持ちに戻って、急がずに丁寧にアルバム制作にあたったと本人の弁。敏腕プロデューサーMichele Canova Iorfida(ミケーレ・カノーヴァ・イォルフィダ)の監修。アルバムジャケットは米国Los Angelesロケで撮影された。
Tiziano Ferro - Il mestiere della vita

FESTAではサンレモ2017ゲスト出演時の映像で紹介したが、現時点では本家RAIサイトから削除され、大手動画サイトにもUPされていないため、ここでは公式ヴィデオクリップで紹介する。「Potremmo ritornare(意:僕らは戻れるのかも)」。米国Californiaロケでシュートされている。

同曲は、Tiziano本人の弁に寄ると、「Alla mia eta`(意:僕の年齢で)」(2008)の続編であり、Franco Califano(フランコ・カリファーノ/1938-2013/74歳没)のサンレモ2005出場曲(Califano自身とTiromancino/ティロマンチーノとの共作)「Non escludo il ritorno(意:僕は戻ることを否認する)」に影響を受けて書いた楽曲とのこと。

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そして2曲目は「Il conforto(意:心の支え)」。アルバム収録内容と同様、Carmen Consoli(カルメン・コンソリ/43歳/Sicilia州Catania出身)をサンレモのステージに招いて共演した。

Tizianoの弁に寄ると、Carmenは彼のお気に入りの歌手とのこと。2人の初コラボはCarmenのアルバムに収録された楽曲「Guarda l'alba(意:夜明けをごらん)」(2010)を共作したことに遡る。Carmenの故郷Cataniaでレトロなディーゼル列車を動かしてシュートされた秀逸な公式ヴィデオクリップも話題となった。

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第1部2人目に紹介したのはGiorgia(ジォルジァ/46歳/Roma出身)。アルバム『Oronero(意:黒い黄金→石油)』(2016)。アルバムチャート最高2位、2016年・年間アルバムチャート25位(総合28位)にランクイン。
Giorgia - Oronero

前出のTiziano Ferroも手掛けている敏腕プロデューサーMichele Canova Iorfidaとのコラボを始めた前2作『Dietro le apparenze(意:見かけの後ろに)』(2011)、『Senza paura(意:恐れずに)』 (2013) に続く3作目にして、この3部作の完結編になるアルバムとのこと。この3部作の共通コンセプトは、今までの成功に甘んじることなく、新たな境地に挑むことであり、その象徴として、3作とも過度な厚化粧をしていない自身の顔を大きく映し出したアルバムジャケットとし、今までの成功を脱ぎ捨てる意を込めた裸の背中を見せるなどの決意を表明している。
Giorgia-DietroLeapparenze
Giorgia - Senza Paura

シングル第1弾はアルバムタイトル曲「Oronero」。これは造語で直訳すると"黒い黄金"だが、本人の弁に寄ると、石油を意味しており、人類にとって貴重な資源であるけれど、使い方を間違えると毒にもなりうる、というニュアンスを込めているとのこと。Giorgiaの8歳年下の婚約者で、カンタウトーレ&ダンサーでもあるEmanuel Lo(エマヌエル・ロー)が書き下ろしている。

Giorgiaもサンレモ2017の第2夜のスーパーゲスト出演を果たし、前出のアルバムからのシングル第2弾「Vanita`(意:うぬぼれ)」、そして自身のサンレモ出場曲の中から「E poi(意:そしてそれから)」(1994/新人部門7位)〜「Come saprei(意:どうしたらいいの)」(1995/優勝)〜「Di sole e d'azzurro(意:太陽の、そして青空の)」(2001/第2位)のメドレーを披露した。途中ドレスがずり落ちてきて、バストが露出しそうになるハプニングが発生し、あわや生放送ゆえの放送事故になりかねなかった。ずり落ちそうなドレスの胸元を押さえながら、Giorgiaが発したコメント「scusate, non sono molto dotata(ゴメンなさい私、あまり天分に恵まれていないの(=ナイスバディじゃないの)」が粋だった。そのこともあってか、ネット上でこの動画は大方削除されているので、ここでは公式ヴィデオクリップを掲載する。

なお、前出のメドレー曲のうち、サンレモ2001出場曲「Di sole e d'azzurro」はZucchero(ズッケロ)が書き下ろした楽曲で、同年の優勝曲はElisaが歌った「Luce [tramonti a nord est](意:光[北東への日没])」であったが、この楽曲もまたZuccheroの書き下ろし。つまり歌い手は違えど、Zuccheroの楽曲が1位&2位を独占する偉業を達成した年となった。そんなZuccheroの来日公演が2017年5月29日に行われる。その予習を兼ねて、FESTA第2部はZucchero特集に移る。

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注)記事中の歌手の年齢は、記載時点での誕生日の到来を考慮はせず、2017年に達する年齢で表記。

Continua alla prossima puntata.(続く)