第3部

Gianni Togni(ジァンニ・トーニ/60歳/Roma出身)の9年振りの新作アルバム『Il bar del mondo(意:世界のバール)』から。

Gianni Togni - Il bar del mondo

「La cosa piu normale(意:最も普通のこと)」は、アルバムジャケットデザインに採用されたレンガの壁に投影された本人の映像を撮影した作風。

1980年代に瑞々しい感性で一世を風靡しただけでなく、アイドル並みのルックスを誇ったカンタウトーレだったが、次第にソロとして表舞台に立つよりも、プロデューサーや作曲者、特にミュージカルの分野でのこれらの業績を積み重ねるようになった経歴の実力者。

60歳となる今でも充分に男前なのだが、かつてが麗し過ぎただけに、このヴィデオクリップの製作方針は正解だったかも。

1980年に初めてブレイクし、彼の代表曲となったのが「Luna(意:月)」(1980)だ。Togni24歳。

ブレイク前は19歳にしてジャズ系ミュージシャンを起用してガットギターを中心とした渋いサウンドの音楽をやっていたTogniだが、Pooh(プー)の前座を務めるようになって刺激を受け、ピアノで楽曲を作り、ピアノを弾いて歌うスタイルに大きくイメチェンしたのが功を奏した。実際に初期の何曲かはPoohのRedがプロデュースしたり、Dodiがギターで参加するなどしていた。

そしてPoohの元プロデューサーだったGiancarlo Lucariello(ジァンカルロ・ルカリエッロ)の元で、Togniはポップス歌手として輝かしい80年代を迎える事になる。

また最初期からTogniの楽曲の作詞はGuido Morra(グイド・モッラ)が担当していたことも特筆する点だ。事実Morraの作詞家デビューはTogniの1stアルバムなのだ。MorraはTogniと数々のヒット曲を生み出しただけでなく、その後、Riccardo Fogli(リッカルド・フォッリ)のサンレモ1982優勝曲「Storie di tutti giorni」や、Renato Zero(レナート・ゼロ)の名曲「I migliori anni della nostra vita」(1995)などを生み出すこととなるのだ。

そしてLunaを出した時のTogniの陣営はアレンジャー&ギターにMaurizio Fabrizio(マウリツィオ・ファブリツィオ)、ベースにGigi Cappellotto(ジジ・カッペッロット)、ドラムにAndy Surdi(アンディ・スルディ)、ギターにRoberto Puleo(ロベルト・プレオ)と、1970年代後半にAngelo Branduardi(アンジェロ・ブランドゥアルディ)をブレイクさせた、言わばチームMaurizio Fabrizioの面々が!

Maurizio Fabrizioの後は、当時はまだ若きFio Zanotti(フィオ・ザノッティ)が引き継ぐ。彼は後にPoohやAdriano Celentano(アドリアーノ・チェレンターノ)、Claudio Baglioni(クラウディオ・バリォーニ)、Zucchero(ズッケロ)など超大物を手掛けるアレンジャーとして大成する。

このように初期の頃からTogniの周りには、当時の新進気鋭の面々や、後に大成する大物人脈が多いことが実感して貰えるだろう。これも彼の才能や持って生まれた資質なのかもしれない。

そしてTogniは90年前後からソロとして表舞台に立つことがなくなっていくのだが、21世紀になって新進気鋭のDJたちが次々にTogniの80年代の代表曲をリミックスして発表。本人の関与しないところでディスコの定番曲となっていく第二次ブームが発生する。かくしてGianni Togniのことは知らなくても、Togniの往年の曲を歌って踊る、若い世代が育成されることになる。

さて、Togniの新作アルバムの紹介に戻り、「Invisibili ma eroi(意:目には見えないヒーローたち)」はアルバムタイトル名をフィーチャーした、役者が演技する格調高い公式ヴィデオクリップ。

「Nel '66(意:1966年に)」は、世界に散らばるTogniのファンクラブメンバーが歌詞の一部を掲げて次々に登場する公式ヴィデオクリップ。

「La comparsa(意:登場)」

「Il giocatore(意:遊び人)」

最後の2曲は、ミュージカルを手掛ける最近のTogniの実力が感じられる作風。

※当サイトでのGianni Togniの紹介記事はコチラ
http://piccola-radio-italia.com/tag/Gianni_Togni


注)記事中の歌手の年齢は、記載時点での誕生日の到来を考慮はせず、2016年に達する年齢で表記。