その2はコチラ
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第3部

2009年に満を持してデビューを飾ったChiara Canzian(キァーラ・カンツィアン/22歳/Treviso近郊出身)の2ndアルバム「Il mio sangue(私の血)」(2011)。今回のアルバムの装丁は、製本された12ページのブックレットスタイルとなりました。

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※日本のiTunesストアでダウンロード購入可能です。
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デビューアルバムでもそうでしたが、アーティストとして著名な父母の助けを一切得ずに、家族の中ではプロのドラマーとして活躍する実兄のPhil Mer(フィル・メール)のみに協力を得る形で制作しています。イタリアの中では特に独立精神が高いことで知られるVeneto人らしさを感じることができます。

※父はPoohのRed Canzian(レッド・カンツィアン)、母は歌手のDelia Gualtiero(デリア・グァルティエロ)

※当サイトでのChiara Canzianの紹介記事はコチラ
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今回もほぼ全曲に渡ってChiaraが曲作りを手掛け(そのほとんどが独りで書いています)、さらにアレンジも兄Philらと共に手掛けています。またドラムパートは当然、兄Philが務めています。

アルバムの奥付には、このアルバムは自分自身の為に制作したと書かれており、自身の方向転換、再生、進展、変化、喜びと努力、情熱と美しさ、犠牲そして流した血であると告白しています。自身の身を切り取って作ったような作品集であると。なるほど、だからアルバムタイトルが「Il mio sangue(私の血)」なんですね。

まずはアルバム発売に先行して2010年にリリースされていた楽曲"E ti sento(そして私はあなたを感じる)"を公式videoclipで。

アルバム発売後にシングルカットされたのは、"Scrivi d'oro(あなたは貴重な事を書く)"。公式videoclipで。


第3部の後半はガラっと装いを変えて、荒々しくも硬派なRockを。

1979年にイタリアの音楽史に残るような共演ライヴを敢行したFrancesco Guccini(フランチェスコ・グッチーニ/現71歳/当時39歳/Modena出身)とNomadi(ノーマディ/1963〜)。

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政治的主張を込めたプロテストソングを歌う事で知られていたカンタウトーレのGucciniと、ヴォーカルに故Augusto Daolio(アウグスト・ダオリォ/1947-1992/45歳没/Novellara出身)を擁していた第1期メンバーのNomadiとの共演は、世界的に混沌とした時代へと変わりゆく1979年当時の世界情勢を色濃く反映した歴史的なライヴとなりました。

同年にライヴアルバム「Album Concerto(コンサート・アルバム)」(1979)としてリリースされ、3年後の1982年にはそのライヴ映像がTV放映されたものの、その後30年間に渡ってこの映像の商品化がなされることはありませんでした。

ところが2011年になって突如DVD化され、同じライヴCDと2枚組セットで発売となりましたので、急遽この歴史的なライヴを紹介する事に致しました。

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Gucciniの作品をNomadiが演奏面で支える構成で企画されており、Gucciniのぶっきらぼうなヴォーカルとグループ名通り遊牧民風のテイストが漂うNomadiのパフォーマンスが不思議なケミストリーを発生させている事が感じられる貴重なライヴです。

1曲目はDVDの冒頭に収録されている"Atomica(原子爆弾)"。1967年の発表時には"L'atomica cinese(中国の原子爆弾)"というタイトルでクレジットされていた楽曲です。

西モンゴルの砂漠の方から、もし死の雲が湧き上がったとしたら・・・中国の大地に降り注いだ雨は、河を下り海へ、そしてどこに行くのだろう・・・という仮定の元に作られた歌。

このDVDが発売された2011年に、現実的に核の事故として発生したのは、cineseではなくgiapponeseなので、奇妙な因果関係を感じます・・・

ちなみにメガネをかけていないのがFrancesco Gucciniで、メガネをかけているのがNomadiのAugusto Daolioです。

そして"Canzone per un'amica(ある女友達への歌)"。自動車事故で亡くなった若い女性のことを歌っています。1967年の発表時には"In morte di S.F.(S.F.の死に際して)"というタイトルでした。

3曲目は"Canzone del bambino nel vento [Auschwitz](風の子の歌[アウシュヴィッツ])"。1967年の発表時には単に"Auschwitz"とクレジットされていた楽曲です。

Francesco Guccini & i Nomadiコーナー最後の楽曲は、"Dio è morto(神は死んだ)"。1965年にGucciniが書いて、2年後の1967年にNomadiが録音して発表した楽曲で、作者のGuccini単独のスタジオ録音が存在していない貴重なテイク。

もちろんこのタイトルは、ドイツの哲学者Friedrich Nietzsche(フリードリヒ・ニーチェ/1844-1900)の思想を引用したものですが、ニーチェがソクラテス以前のギリシャ思想への回帰を願ったものとは少し価値観が異なるようで、事実、1967年のNomadi録音時には"se Dio muore, è per tre giorni poi risorge(もし神が死んだら、3日後に生き返る)"という副題が添えられていました。

Gucciniの独白によると、アメリカのビート文学を代表する詩人Allen Ginsberg(アレン・ギンズバーグ/1926-1997)の『Howl(吠える)』に刺激を受けて書いた曲とのこと。なるほど、ヒッピー文化の元になったギンズバーグの作品ですから、長髪に伸ばし放題の髭がトレードマークだったGucciniらしさを感じる逸話です。

ちなみに当代きっての圧倒的な実力と人気を誇るカンタウトーレLigabue(リガブエ)が、2010年の年間アルバムチャート1位に輝いた「Arrivederci, Mostro」内に"Caro Il Mio Francesco(親愛なる僕のフランチェスコ)"というタイトルの曲を収録してGucciniの事を歌っており、ツアー会場にGucciniが足を運んだ際には、Ligabueが誇らしげにGucciniを紹介していたシーンが印象的でした。

※該当記事はこちら
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注)記事中の歌手の年齢は、記載時点での誕生日の到来を考慮はせず、2011年に達する年齢で表記しています。

Continua alla prossima puntata.(続く)