その1はコチラ
http://piccola-radio-italia.com/archives/51951879.html


第2部

1951年から60年以上続いているサンレモ音楽祭から。

まずは2011年2月に開催されたサンレモ音楽祭2011から、2人のアーティストを。

※サンレモ音楽祭2011の結果はこちら
http://piccola-radio-italia.com/archives/51907414.html

新人部門でファイナリストに残らなかったものの、そのサンレモ向きの美しい旋律の楽曲が印象に残った楽曲が"Tra tegole e cielo(瓦と空の間)"。歌ったのは21歳になったばかりのMarco Menichini(マルコ・メニキーニ/21歳/Latina出身)。

サンレモ音楽祭2011出場時の映像で。

公式videoclipはこちら。

サンレモ出場後の2011年6月5日にリリースされた7曲入りのミニアルバム「Capitolo primo(第一章)」(2011)には、上記のサンレモ2011出場曲の他、元Pooh(プー)のStefano D'Orazio(ステファノ・ドラツィオ)が曲作りに参加している楽曲や、人気と実力を誇るカンタウトーレBiagio Antonacci(ビアジォ・アントナッチ)の楽曲"Se e vero che chi sei(君が居るのが本当なら)"のカヴァーも。

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同アルバムからのシングル曲第2弾となったのは、Marco自身が作詞に参加したダンサブルな楽曲"Inevitabile(回避できない)"。同郷の先輩で、若くして大成したカンタウトーレTiziano Ferro(ティツィアーノ・フェッロ)の影響を感じさせるタイプの楽曲です。

また、Marco Menichini自身から日本の皆さんへのメッセージを頂きましたので、ご紹介しました。

Mando un MEGA-abbraccio ai miei fans in Giappone,
con l'augurio di una vita felice e piena di musica!!!
Siete nel mio cuore, nella mia mente e nella mia voce...

Con affetto
Marco

(和訳)
日本の僕のファンにメガ級の抱擁を贈るよ。
音楽に満ち溢れた幸せな生活を祈ってるよ!!!
あなたたちは僕の心に 僕の想いの中に そして僕の声の中にいるからね...

愛情をこめて
マルコ

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※Festa会場にて。(nella sala per la festa)


サンレモ音楽祭2011出場者から2人目のアーティストは、Giusy Ferreri(ジゥズィ・フェッレーリ/32歳/Palermo出身)。最終日まで残るファイナリストとなりましたが、残念ながら上位入賞は叶いませんでした。

タレント・オーディション番組X Factorの初年度(2008年)に出場してブレイクし、結果は2位に甘んじたものの、同年出場者の中で最も成功したシンデレラガールとして今日に至ります。

その2008年のX Factor出場の直前までは、スーパーのレジ打ちで生計を立てていたという逸話も残っています。

※当サイトでのGiusy Ferreriの紹介記事はコチラ
http://piccola-radio-italia.com/tag/Giusy_Ferreri

サンレモ音楽祭2011参加曲"Il mare immenso(広大な海)"は、カンタウトーレのBungaro(ブンガロ)の他、Giusy自身も曲作りに参加し、プロデュースとアレンジは名匠Corrado Rustici(コッラド・ルスティチ)が手掛けた意欲作。

※当サイトでのCorrado Rusticiの紹介記事はコチラ
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サンレモ音楽祭2011の第4夜、恒例のゲストを迎えるステージでは、人気RockバンドLe Vibrazioni(レ・ヴィブラツィォーニ/1999〜/Milanoにて結成)のヴォーカリストFrancesco Sarcina(フランチェスコ・サルチナ)を迎えてのデュエットを楽しませてくれました。

※当サイトでのLe Vibrazioniの紹介記事はコチラ
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サンレモ音楽祭2011出場中の2011年2月16日にリリースされた3rdアルバム「Il mio universo(私の宇宙)」からシングル曲第2弾に選ばれたのは、"Piccoli dettagli(ちょっとした詳細)"。ゴスペル調の雰囲気が漂うこの楽曲を公式videoclipで。

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サンレモ音楽祭関連の締めくくりは、1970年代のイタリア経済の破綻以来、存続の危機に苛まれていたサンレモ音楽祭を見事に救い出し、後に『La rinascita di Sanremo(サンレモの復興)』と称される事となる1981年のサンレモ音楽祭から。

※日本では1970年代に既にTV放映が打ち切られ、キングレコードからサンレモの日本盤LPが発売されるのみの状態のままでしたが、この1981年のサンレモ音楽祭復興後もその状況は改善されることもなく、世界的な音楽レーベル再編の流れの中で、キングレコードがイタリアものの販売権を失うと、レコードすら発売されなくなり、さらに悪化の道をひたすら突き進み今日に至ります。

この1981年のサンレモ音楽祭はAlice(アリーチェ)が"Per Elisa(エリーザのために)"で優勝し、Alice自身も長らくの不遇時代を経てようやくブレイクしてスター街道を突き進むことになった年でもあり、主にTV司会者として活躍していたLoretta Goggi(ロレッタ・ゴッジ)が後に彼女の代表作となる"Maledetta primavera(呪われた春)"で2位に、数多くの歌手に作品を提供し続けているカンタウトーレDario Baldan Bembo(ダリオ・バルダン・ベンボ)が3位に入った他、Eduardo De Crescenzo(エドゥアルド・デ・クレシェンツォ)が”Ancora(アンコーラ)"という、後に1980年代を代表する名曲を歌ったり、後にイタリアを代表する女性歌手に成長するFiorella Mannoia(フィオレッラ・マンノイア)も初出場、そしてGianni Bella(ジァンニ・ベッラ)、Luca Barbarossa(ルカ・バルバロッサ)、Michele Zarrillo(ミケーレ・ザッリッロ)、Franco Fasano(フランコ・ファザーノ)といった実力派カンタウトーレたちがこぞって出場していたことからも、その成果を想像する事ができるでしょう。

その1981年と翌1982年の司会に大抜擢され、サンレモ音楽祭の復興に大きな役割を果たした功労者と考えられているのが、当時ラジオDJとして頭角を現し始めていたClaudio Cecchetto(クラウディオ・チェッケット/現59歳/当時29歳/Venezia近郊出身)。

その後はFestivalbarなど数々の音楽イベントの司会も手掛け、すっかりイタリアミュージックシーンの立役者としての信頼を寄せられる存在となり、現在までにプロデューサーやタレント発掘者としても大活躍し、Jovanotti(ジョヴァノッティ)、Fiorello(フィオレッロ)、883(オット・オット・トレ)、Finley(フィンリー)などを見出した功績も大きく評価されています。

このClaudio Cecchettoがサンレモ音楽祭の復興の年となった1981年に、同音楽祭のテーマ曲として使ったのが"Gioca Jouer(ジォーカ・ジュエ)"。Giocaはイタリア語で遊び、Jouerはフランス語で遊びを意味しますので、日本語風で言うと『プレイ遊び』みたいな語感でしょうか。

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このシングル盤の裏面には16コマの解説図が。ナレーションに合わせての振りが指定されており、皆で踊って楽しもうという意図が明確に示されています。

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Dormire 眠る
Salutare あいさつする
Autostop ヒッチハイク
Starnuto くしゃみ
Camminare 歩く
Nuotare 泳ぐ
Sciare スキーする
Spray スプレー
Macho マッチョ
Clacson クラクション
Campana 釣り鐘
Okey オッケー
Baciare キスする
Capelli 髪の毛
Saluti あいさつ
Superman スーパーマン

当時の世界的なディスコブームが背景にあったとはいえ、この"Gioca Jouer"は、リリース月の月間チャートNo.1を制する大ヒットとなりました。

またこの楽曲は当時、映画『Suspiria(邦題:サスペリア)』などのサントラを手掛け、世界中に評価されていたGoblin(ゴブリン)のメインメンバーだったClaudio Simonetti(クラウディオ・スィモネッティ)がプロデュースしていたことも興味深いところ。

このGioca Jouerはヨーロッパ中でも大ヒットを博しただけでなく、単に一過性の流行作品に留まらず、幼稚園の子どもたちのお遊戯曲としても定番となり、イタリアでは老若男女が一緒に踊って楽しめる楽曲として、定番中の定番のダンス曲。外国人のイタリア語初級学習者にとっても楽しみながらイタリア語を覚えられる効果も高そうです。

2007年には25周年を祝して、中国語、フランス語、英語、スペイン語、ドイツ語を織り交ぜたワールドバージョンも発表されました。

そして2011年、30周年を迎えて制作されたのは、過去YouTube等に投稿された映像の中からClaudio Cecchettoの息子らが中心になって選んだシーンを繋ぎ合わせたもの。

もちろん、8月FESTAの会場でも参加者全員で踊って楽しみました!

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注)記事中の歌手の年齢は、記載時点での誕生日の到来を考慮はせず、2011年に達する年齢で表記しています。

Continua alla prossima puntata.(続く)