第74回Festaは、18名の参加者が集まり、東京・亀戸の某所にて7/9(土)に開催されました。参加者の内訳は男性9名 女性9名(うち、初参加者1名)。

IMG_8295_2まさに『隠れ家』となるプライヴェートなバンケットルームを貸し切り、極上の音楽と夜景を楽しむ、至福のひと時となったかと思います。

集合写真撮影
POP!ITALIANO
kazuma氏
http://musica.itreni.net/


第1部

Il Genio(イル・ジェーニォ/意:天才)は、BassのAlessandra Contini(アレッサンドラ・コンティーニ)とGuitar&KeyboardのGianluca De Rubertis(ジァンルカ・デ・ルベルティス)のデュオ・グループで、2008年に"Pop porno(ポップ・ポルノ)"がスマッシュヒットとなり、一躍注目を集めました。

※日本のiTunesストアでダウンロード購入可能です。

※当サイトでのIl Genioの紹介記事はコチラ
http://piccola-radio-italia.com/tag/Il_Genio

今回は、2ndアルバム「Vivere negli anni 'X (X年代に生きること)」(2010)から紹介しましょう。

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※日本のiTunesストアでダウンロード購入可能です。


まずは第1弾シングル"Cosa dubiti(あなたは何を疑っているの)"。全編に渡って、AlessandraとGianlucaが会話するように歌っています。


そして第2弾シングル曲"Tahiti Tahiti(タヒチ・タヒチ)"。イタリア人の発音では、『タイティ』となります。Alessandraのウイスパー系ヴォーカルの魅力を前面に押し出した、能天気さが心地良い楽曲。

そして2011年になってリリースされたNewシングル"Roberta(ロべルタ)"は、同アルバムには未収録で、TV連続ドラマ『Romanzo criminale(犯罪小説)』のコンピレーションCD「Romanzo criminale - Il CD」に収録された楽曲です。


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このコンピレーションアルバムには、アーティストの未発表曲11曲が収められているのが特徴です。

【収録曲】
Francesco Sarcina (Le Vibrazioni) - “Libanese il Re”
Rezophonic - “Vita da Dandi”
Pierluigi Ferrantini (Velvet) - “Il sangue è freddo”
Marta sui Tubi - “Il commissario”
Aimée Portioli - “Call me Patrizia”
Roberto Angelini - “Spara, Bufalo!”
Marco Cocci (Malfunk) - “Fiero di Combattere”
Il Genio - “Roberta”
The Niro - “Nero il sole”
Bud Spencer Blues Explosion - “Io sono il Terribile”
Calibro 35 - “Come un romanzo…”




さて、次に登場するのはIl Volo(イル・ヴォーロ/意:飛翔)。

『Il Volo』と書くと、往年のイタリアロックファンには、1970年代にスーパーセッションマンが集結した、あの伝説のバンドプロジェクトをすぐに思い浮かべる方が多いと思います。確かに1970年代のIl Voloの名の下に集まった6名のミュージシャンたちは、現在もなお、イタリアのミュージックシーンを支える重鎮メンバーとして活動し続けていますので、その功績は確かに称賛に値するものです。

ですが、今回紹介しますIl Voloは、21世紀のIl Volo。2009年に未成年対象のタレントショーTV番組『Ti lascio una canzone(意:君に歌をひとつ残して行くよ)』出身の3人のテノール少年によるユニットです。メンバーは、Piero Barone(ピエロ・バローネ/19歳/メガネの少年)、 Ignazio Boschetto(イグナツィオ・ボスケット/18歳/ポッチャリ系少年)、Gianluca Ginoble(ジァンルカ・ジノブレ/18歳)。

2010年11月30日にリリースされたデビューアルバム「Il Volo」は、瞬く間にゴールド・ディスクを勝ち取りました。

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まずは、"'O Sole mio"の公式videoclipを。

彼らIl Voloのプロデュースを務めたのは、Tony Renis(トニー・レニス)とHumberto Gatica。

Tony Renisは、1960年代に"Quando quando quando"の大ヒット曲を持つ歌手であり、カンタウトーレでもありますが、1970年代よりアメリカに移住し、『Mister Quando Quando Quando』という愛称で親しまれるアメリカで最も有名なイタリア人のひとり。Humberto Gaticaと組んで、Andrea Bocelli(アンドレア・ボチェッリ)やZucchero(ズッケロ)のアメリカ進出を手掛けたという、プロデューサーとしての実績も誇っています。

この2人がプロデュースを務めたことからも推測できるように、最初からアメリカ進出をターゲットに据えていたようで、2011年5月17日にはインターナショナル盤アルバムとスペイン語版をリリース。

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さらにアメリカの人気タレントショーTV番組『American Idol(アメリカン・アイドル)』に出演し、大喝采を浴びました。

結果、BillboardのTop10にランクインする快挙を果たし、ヨーロッパ各国を始め、メキシコやオーストラリア、ニュー・ジーランドのヒットチャートも賑わせる大成功を収めました。

そのIl Voloが生まれたTV番組『Ti lascio una canzone』出場時の映像で、"Un amore così grande(こんなにおおきな愛)"、"Il mondo(世界)"を紹介しました。

前者は1976年にMario Del Monaco(マリォ・デル・モナコ)が歌い、Claudio Villa(クラウディオ・ヴィルラ)やLuciano Pavarotti(ルチァーノ・パヴァロッティ)、Andrea Bocelli(アンドレア・ボチェッリ)らにもカヴァーされた作品で、後者は1965年にJimmy Fontana(ジミー・フォンタナ)が歌った大ヒット曲。


未成年が歌う懐かしのメロディを楽しんだので、ここでデビュー50周年を果たしたDon Backy(ドン・バッキー/72歳/Pisa近郊出身)を紹介する事にしました。

1960年代に登場したRock系カンタウトーレながら、繊細な曲作りで一世を風靡したDon Backyですが、自らが歌ったバージョンよりも、遥かに人気と実力を誇る歌手たちが歌ったバージョンの方が有名になるという宿命を余儀なくされた人物でもあります。

具体的に彼の代表曲をいくつかご紹介しましょう。
"L'immensità(無限/邦題:涙に咲く花)"(1967)

こちらは、Johnny Dorelli(ジョニー・ドレルリ)が歌ったバージョンの方がやや有名ですが、ごく最近になっても人気RockバンドのNegramaro(ネグラマーロ)や実力派VocaristのFrancesco Renga(フランチェスコ・レンガ)らもこぞってカバーするという、時代を超えて歌い継がれる名作と化しています。

そして"Casa Bianca(カーザ・ビアンカ)"(1968)

こちらは、Marisa Sannia(マリーザ・サンニア)やOrnella Vanoni(オルネッラ・ヴァノーニ)が歌ったバージョンの方が有名。

そして"Canzone(歌)"(1968)

これは、Milva(ミルヴァ)やAdriano Celentano(アドリァーノ・チェレンターノ)のバージョンが有名です。

1968年のサンレモ音楽祭では、"Casa Bianca"が2位、"Canzone"が3位と、歌の善し悪しを評価する音楽祭の主旨からすると、大成功を収めたはずのDon Backyですが、当時のダブルキャスト制時代なのにも関わらず、彼自身は歌手としての出場は果たせませんでした。

当初Don Backyは、Milvaとペアで出場し"Canzone"を歌う予定だったのですが、Ornella Vanoni(オルネッラ・ヴァノーニ)が、彼の作品"Casa Bianca"に惚れ込み、ぜひこの曲でサンレモ音楽祭に出場させて欲しいと依頼して来たのです。

しかしながら、当時のサンレモ音楽祭の規定では、カンタウトーレは2曲以上の曲をエントリーしてはならないというルールがあったので、暗礁に乗り上げてしまったのです。

そこで彼の所属事務所ClanCelentano(クランチェレンターノ/Adriano Celentanoの事務所)が知恵を絞り、Don Backyと異なる作曲者名で登録することで、ルールの網の目をかいくぐって、この2曲をサンレモ音楽祭に送りこむことにしました。

結局、Ornella VanoniはMarisa Sanniaとペアで"Casa Bianca"を歌い、そしてDon BackyはMilvaとのペアの出場権を事務所のボスAdriano Celentanoに譲るという組み合わせでサンレモ音楽祭に挑む事となりました。

前出の通り、この同じ作曲者が作った2曲が2位と3位を勝ち取るという前代未聞の快挙を果たし、Don Backyは『歌わずに勝った』という、不思議な名誉を与えられる事となりました。(ちなみに優勝したのは、Sergio EndrigoとRoberto Carlosが歌った"Canzone per te")

問題が生じたのはその後で、サンレモ出場の為に偽名を使ったのが原因で、作曲印税がDon Backyに充分に回らず、事務所の売上(つまりAdriano Celentanoの売上)として計上されていると、Don BackyはAdriano Celentanoと論争を展開。

結局1974年になってようやく和解をするものの、当時既に発言権の強い大スターであり、現在は芸能界の首領(ドン)的な大物のAdriano Celentanoと大喧嘩をすることで、芸能生活に少々ケチを付けることになってしまったというのがDon Backyというアーティストとも言えるでしょう。

そんな波乱万丈のアーティスト人生を生き抜いたDon Backyが50周年を記念してリリースしたCD「Il mestiere delle canzoni(歌の職人)」(2009)。

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※日本のiTunesストアでダウンロード購入可能です。

このCDにさらにDVDを付加したスペシャルパック「50 anni di mestiere delle canzoni(歌職人の50年)」(2010)を追加リリースしています。

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FESTA会場では、付属DVDに収録された公式videoclipから"Vent'anni(20歳)"を楽しんでいただきました。videoclip内では、彼のアイドルだったJames Dean(ジェームズ・ディーン)やMarlon Brando(マーロン・ブランド)のコスプレをしてご満悦の様子や、Agaton(アガトン/Don Backyの前の芸名)時代を息子とともに演じているなど、レアなシーンも盛りだくさん。

ここではTVライヴ映像を貼っておきます。


注)記事中の歌手の年齢は、記載時点での誕生日の到来を考慮はせず、2011年に達する年齢で表記しています。

Continua alla prossima puntata.(続く)