102_1456第66回Festaは、15名の参加者が集まり、東京・亀戸の某所にて9/25(土)に開催されました。参加者の内訳は男性5名 女性10名。

まさに『隠れ家』となるプライヴェートなバンケットルームを貸し切り、極上の音楽と夜景を楽しむ、至福のひと時となったかと思います。


第1部

2010年9月、通信販売限定で発売開始された「ビバ・サンレモ - カンツォーネ・コレクション」(CD4枚組/日本盤)。

VIVA SANREMO(Light)

イタリアPOPSの日本での発売権の多くを保有するワーナー・ミュージック・ジャパンが長年の沈黙を破って、その豊富なライブラリーの中から厳選した80曲をCD4枚に収めて日本市場にリリース。

1951年のサンレモ音楽祭開始時期から1970年代前半までの20数年に渡り、サンレモ優勝曲を中心にしつつもサンレモ以外のヒット曲も網羅した、まさにこの時代のイタリアポピュラー音楽を知って味わうための教科書的な作品集。

また丁寧な解説はもちろんのこと、収録されている楽曲のバージョンに忠実な原詩を掲載したうえで、原詩のニュアンスや時代背景、歌い手のタイプを考慮した対訳を施しております。

まさに永久保存版になるべくして誕生した夢の大作と言ってよろしいかと思います。

本サイトでのリリース記事はこちら
http://piccola-radio-italia.com/archives/51863291.html

9月FESTAでは、その発売を記念して、6曲ほど紹介しました。せっかくですから、歌に合わせて対訳をプロジェクター映像に投射しながら。

1曲目は50年代を代表する1曲として、Sophia Loren(ソフィア・ローレン/76歳/Roma生まれNapoli育ち)の"Che m'e' 'mparato a ffa'(邦題:いったい何を教えたいの?)"(1957)。

そう、あのイタリアを代表する大女優ソフィア・ローレンが23歳の時に歌ってヒットチャート1位に輝いたナポリ弁の楽曲です。女優とは思えない立派な歌唱力。後年のソフィア・ローレンのイメージとは異なり、まだまだ可愛い少女っぽさも感じられるのが、この曲の最大の魅力だと思います。

いきなりサンレモ音楽祭出場曲でないこの曲を紹介したのには理由があって、ちょうど直後の10月にソフィア・ローレンの来日があるからです。

2010年の第22回「高松宮殿下記念世界文化賞」演劇・映像部門をソフィア・ローレンが受賞するのを記念した来日で、イタリア文化会館・東京では、10/14〜10/16に彼女が出演した映画の上映会を入場無料で開催し、10/14にはソフィア・ローレン自身が舞台挨拶に訪れるとのことです。(10/14のみ要予約/他日は予約不要)

詳細はイタリア文化会館のWebサイトで。
http://www.iictokyo.esteri.it/IIC_Tokyo/webform/SchedaEvento.aspx?id=370


2曲目は、Milva(ミルヴァ/71歳/Ferrara近郊Goro出身)のレパートリーの中から、"Il mare nel cassetto(ひきだしの中の海)"(1961)。

当時22歳のMilvaが1961年のサンレモ音楽祭で歌って3位に入って、ヒットチャートでも3位に入った楽曲。引き出しの中に箱庭の海があるという、絵本にでもなりそうなファンタジー溢れるお話になっています。

同CD-BOX中で最多収録(5曲)となったMilvaは、つい最近まで来日公演を何度も果たし、その度にホールを満員にする集客力を誇る、1960年代のいわゆるカンツォーネ黄金時代を通じておそらく日本で一番親しまれてきたイタリア人ポピュラー歌手と言って良いと思います。イタリア人歌手で唯一の『徹子の部屋』出演者だそうです。

そのMilvaも71歳となる2010年になって、とうとう体力の限界に達してしまったようで、つい先日、体調不良で入院したのをきっかけに、引退宣言を行いました。もうあの官能的なステージが見れないのかと思うと、今更ながら残念でなりません。


3曲目は、Wilma Goich(ヴィルマ・ゴイチ/65歳/Liguria州Savona近郊出身)の"Le coline sono in fiore(丘は花に満ちている/邦題:花咲く丘に涙して)(1965)。

日本でレコードが発売されたときには、『ウイルマ・ゴイク』と表記されましたが、イタリア国内では『ウィルマ・ゴイチ』と発音され、彼女の両親の出身国ユーゴスラビアでの発音は、『ヴィルマ・ゴイチ』だという事です。

この楽曲はWilma20歳時のサンレモ音楽祭初出場曲で、どこか独特のイタリア語の発音と、メルヘンチックなサウンドと世界観で注目を集めました。

おそらく兵役が理由で、離れ離れになってしまう恋人たちのやるせなく切ない気持が見事に歌い上げられています。




女性歌手ばかりが続いたので、男性歌手をひとりは入れておかなきゃ、と4曲目に選んだのはMassimo Ranieri(マッスィモ・ラニエリ/59歳/Napoli出身)が歌った"Quando l'amore diventa poesia(愛が歌になるとき/邦題:愛の詩)"(1969)。当時18歳。

Massimo Ranieriは、その後一時期は俳優業に転身してしまいましたが、やがて歌手としての活動も再開し、今もなおも一流の俳優&歌手として精力的に活動を続けている貴重な存在。

また紹介した楽曲"Quando l'amore diventa poesia(愛が歌になるとき/邦題:愛の詩)"(1969)は、当時のサンレモ音楽祭でも上位入賞とはならず、サンレモの後に別のヒット曲が出たことなどから、イタリアでは彼の代表曲として上がることは少なく、現在の彼のステージでも歌われることはあまりないようです。

ところが日本では、大ヒットしたジリオラ・チンクエッティの"La pioggia(雨)"とカップリングでシングル化されたため、当時の日本では『いわゆるカンツォーネを代表する楽曲』となっています。

ナポリっ子らしい情熱的なボーカルスタイルのMassimo Ranieriが、日本人の耳にも馴染みが良い『ティ・アーモ』というフレーズをサビの頭の部分で歌ったうえ、邦題が"愛の詩"と名付けられた功罪で、すっかり『イタリアらしいラブソング』と解釈されてしまい、当時の結婚式でもよく歌われていたとか。

実際は別れ歌の内容なので、決して結婚式などで歌ってはいけない曲なのですが。。。

ここでは最近の彼がTV番組でリクエストに応じて歌うシーンを貼っておきます。

※当サイトでのMassimo Ranieriの紹介記事はコチラ
http://piccola-radio-italia.com/tag/Massimo_Ranieri


5曲目は70年代に入って、Caterina Caselli(カテリーナ・カゼッリ)から『ビートの女王』のポストを受け継いだNada(ナーダ/57歳/Toscana州Livorno近郊出身)が歌った"Il cuore è uno zingaro(心はジプシー/邦題:恋のジプシー)"(1971)。

60年代のサンレモ人気を支えたダブルキャスト制(一つの曲を2人の歌手が別々に歌う/バージョン変えも多い)の最後の年となった1971年のサンレモ音楽祭で、作者のカンタウトーレNicola Di Bari(ニコラ・ディ・バリ)の歌唱と共に優勝に輝いた楽曲。

Nadaのは当然歌詞が女性バージョンとなり、Nadaのパンチのあるボーカルと当時18歳のはじける若さが、楽曲に魅力を添えた楽曲でしたね。




最後の6曲目には、やはり日本で絶大な人気を誇ったGigliola Cinquetti(ジリオラ・チンクエッティ/63歳/Verona出身)を。

10代で彗星のようにシーンに登場するや、サンレモ音楽祭やユーロヴィジョンコンテストで賞を総なめし、イタリア本国ではもちろん、日本を含む外国でも愛されるようになっていたアイドル的な存在で、『オーラ』という愛称で親しまれていました。

その彼女の収録曲の中から選んだ楽曲は"Alle porte del sole(太陽の扉へ/邦題:太陽のとびら)"(1973)。サンレモ曲ではありませんが、同年のカンツォニッシマで優勝を勝ち取り、ヒットパレードでもTOPに輝いた、オーラ26歳時の楽曲。

アメリカでも"To the door of the Sun"のタイトルで英語でカバーされて全米17位に輝いたという、スリリングなリズムの心地良さとイタリアらしいおおらかなメロディラインの絶妙なバランスを醸し出した傑作です。




注)記事中の歌手の年齢は、記載時点での誕生日の到来を考慮はせず、2010年に達する年齢で表記しています。

Continua alla prossima puntata.(続く)