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第3部

 

サンレモ音楽祭2009は、昨2008年の視聴率不振の巻き返しの使命を負っており、司会者も往年のサンレモ音楽祭を支えた名司会者Pippo Baudo(ピッポ・バウド)から、Paolo Bonolis(パオロ・ボノリス)にバトンタッチ。

サンレモ音楽祭の司会者は、単に決められた台本通りに会の進行役を務めるのではなく、企画段階から中心者として参画するため、司会者の思惑やカラーが色濃く反映し、音楽祭そのものの成否に強く影響するからですね。

そして2009年は、ベテラン部門からも落選するという緊張感のある方式や、新人部門にもゲストを招いてのステージの機会を提供したりと、昨2008年にはなかった要素を取り入れました。しかもこの新人部門のゲストが凄かった。

Massimo Ranieri(マッスィモ・ラニエリ)、Ornella Vanoni(オルネッラ・ヴァノーニ)、Gino Paoli(ジーノ・パオリ)、Roberto Vecchioni(ロベルト・ヴェッキオーニ)といったベテラン中のベテランの歌手が、まだまだ駆け出しの新人歌手たちのパートナー役を買って出たのです。

もちろん新人にはそんな大それた人脈はないですから、音楽祭の成功を真剣に願った運営者側(おそらくは司会Paolo Bonolis)の手引きが大きく働いたと思います。

Karima(カリマ)は、海外からなんとBurt Bacharach(バート・バカラック)を招いてのステージを見せてくれましたし、Irene(イレーネ)は、父親のZucchero(ズッケロ)、PoohのDodi Battaglia(ドディ・バッタリア)、Maurizio Vandelli(マウリツィオ・ヴァンデッリ/元Eqipe 84)、Fio Zanotti(フィオ・ザノッティ/名アレンジャー)をバンドメンバーとして引き連れた豪華な編成。

出場曲を書き下ろしたうえにゲストステージへも登場しのが、Riccardo Cocciante(リッカルド・コッチャンテ)、Lucio Dalla(ルチォ・ダッラ)、Pino Daniele(ピーノ・ダニエレ)といった面々。

Sanremo 2009ベテラン部門も第4夜にゲストを招いたステージを見せてくれましたが、新人部門に比べて、少々派手さには掛けがち。

ところがひとりだけ、最も派手なステージを見せたベテラン歌手がいました。Patty Pravo(パッティ・プラヴォ/61歳/Venezia出身)です。Pattyは、海外から世界を股に掛けて活躍するスーパーTOPミュージシャンをバックバンドに従えて登場したのです。

ドラムがDave Weckl(デイヴ・ウェックル/チック・コレアのサポートで有名)、ベースがNathan East(ネイサン・イースト/エリック・クラプトンやスティーヴィー・ワンダーのサポートで有名)、ギターにTodd Rungren(トッド・ラングレン/アヴァンギャルド作品の名プロデューサー、ユートピアのリーダー&ギタリスト)という夢の顔合わせ。

これらの天才たちは、それぞれ異なるフィールドで実力を光らせているため、通常ならば同じステージに立ってひとつの曲を奏でることは、まず見られないかと思います。

これだけの鬼才を招集した割に、それを活かし切るアレンジの楽曲ではないのが残念でしたが、楽曲自体はとても芸術性を感じる佳曲でした。"E io verrò un giorno là(そして私はいつかあそこに行くだろう)"

なんといっても後日、盗作疑惑が沸き上がるというケチがついてしまったのが残念。何でもインディーズバンドがPatty Pravoを意識して作って歌った楽曲に瓜二つなんだとか。


 

3日目の新人部門の歌手たちのサポート役として招かれた大御所たちは、自身のステージも披露していったのですが、Simona Molinari(スィモーナ・モリナリ)のステージのゲストを務めたOrnella Vanoni(オルネッラ・ヴァノーニ/75歳/Milano出身)は、亡くなったカンタウトーレたちに捧げるステージを見せてくれました。

1967年に他界したLuigi Tenco(ルイジ・テンコ)の"Vedrai vedrai(君には解るだろう 解るだろう)"、2009年初頭に他界してしまったMino Reitano(ミーノ・レイターノ/1944-2009/64歳没)の"Una ragione di più(もっと理性を)"をメドレーで歌ってくれました。どちらの楽曲もOrnellaの50年に渡る長い歌手人生の中で大事に歌ってきた楽曲です。

前者のLuigi Tencoは、1967年のサンレモ音楽祭出場中でしたが、落選に対して抗議をする目的で、その晩、ひとりホテルで自殺してしまった伝説のカンタウトーレ。

ダブルキャスト制が組まれていた同年のサンレモ音楽祭で、Luigi Tencoのパートナーを務めたのが、第1部でも紹介したフランスで活躍するイタリア人歌手Dalida(ダリダ)でしたが、単なる歌のパートナーではなく、1年足らずの間に急速に新しい恋を育て始めていた2人。そしてそのTencoの死の第一発見者となってしまったのもDalidaという悲劇が襲いかかったのです。

この日のNews映像が記録に残っています。『もうあの曲(出場曲)は聴きたくない』と泣き崩れるDalidaの痛々しさ。後半にチラと映るTencoの遺体の生々しさ。

遺書にはこう書かれていたそうです。


イタリアの大衆が大好きだった

無益にも 僕は彼らに5年の人生を捧げた

僕がこうする(自殺する)のは 人生や全てに疲れたからじゃない

でも“Io tu e le rose(私、あなたと薔薇/Orietta Bertiが歌った楽曲)” を決勝に送り込んだ大衆と

“La rivoluzione(Gianni Pettenatiが歌った楽曲)”を選んだ委員会への抗議として

誰かへの想いをはっきりさせる助けになればと願う。

チャオ

ルイジ


Luigi Tenco(ルイジ・テンコ/1938-1967/28歳没/Alessandria近郊出身)は、生前よりもむしろ死後に大きく評価され、今日まで語り継がれる偉人です。

自分の内面の深淵を見つめ、飾ることなく、包み隠さずに表現し続けたその作品は、彼の死後、多くの歌手にカヴァーされ、彼の自身の命を掛けた抗議は、結果としては成功したようです。

そして彼の死をきっかけに、彼が属していたジェノヴァ派と呼ばれる音楽ムーヴメントにも大きな注目が寄せられ、イタリアの大衆音楽に新しい風を吹き込む事に成功。今日まで続くイタリアのカンタウトーレブームの一面を支える要素になっていることは間違いありません。

彼が28歳という短い人生を閉じたSanremoの地では、毎年サンレモ音楽祭とは別に、Targa Tencoと呼ばれる、楽曲の芸術性の高さと歌手の活動を評価するコンテストが開催されています。

Luigi Tenco/Per la testa grandi ideeそんな不世出の鬼才Luigi Tencoの数少ない映像をまとめたDVD+ブック「Per la testa grandi idee(頭には偉大な考え)」(2008)が出版されましたので、3月FESTAでピックアップいたしました。

まずは前出のOrnella Vanoni(オルネッラ・ヴァノーニ)との共演から"Se qualcuno ti darà(もし誰かが君に与えるなら)"。

Luigi Tencoは、もともとAdriano Celentano(アドリアーノ・チェレンターノ)のデビューの際、Sax奏者としてバンドに参加していたことを論証してくれる映像です。このバンドはギターにGiorgio Gaber(ジォルジォ・ガーベル)、ピアノにEnzo Jannacci(エンツォ・ヤンナッチ)がラインナップされていたという、その後、それぞれがイタリア音楽界で偉大な功績を残す面々によるスーパーバンドでした。もちろん、当時はまだ皆、駆け出しのミュージシャンに過ぎませんでしたが。

それにしても、Luigi Tencoは、Saxを吹いても味があります。

"Ho capito che ti amo(君を愛していると判った)"は、彼の死後、多くの歌手にカバーされた名曲(邦題:愛のめざめ)ですが、このDVDには2テイクの画像が収められており、そのうちのひとつは何とカラー版。おそらく唯一のLuigi Tencoのカラー映像ではないでしょうか。1964年26歳当時のTencoの美青年ぶりが堪能できる貴重な映像です。

"Lontano lontano(遠く 遠く)"もTencoの名曲としてすっかりスタンダードナンバー化し、多くの歌手にカバーされ、リバイバルヒットも生んでいます。

ところでこのDVD+ブックのタイトル「Per la testa grandi idee(頭には偉大な考え)」とは、歌詞の一部から取られたフレーズで、その歌は"Ragazzo mio"。この場合のRagazzoは、少年でも彼氏でもなく、息子のこと。

Luigi Tencoはこの世に2世を残さなかったはずですので、空想の中で自分の息子に語りかけているのだと思いますが、自分が長く生きられないのを予感しているかのような歌詞ですし、残された次の時代に対して『息子よ』と語りかけていると解釈すれば、Luigi Tencoが我々の世代に託した遺言のように、重みのある作品ではないでしょうか。

息子よ 
いつか父のことを誰かから聞くことだろう
父は頭にいくつも大志(Per la testa grandi idee)を抱いていたと 
でも結局は・・・ 何もやり遂げなかったと

信じちゃいけない そう ヤツらはお前のことを言いたいだけ
普通の男だと 帆のない小舟だと

でも 信じないで欲しい そう やがて海が目覚めて
思慮の足りない男たちは 最初に 底に沈む

息子よ・・・いつかお前の友達が言うだろう
大きな愛を見つけて 
世界に背を向ければ 充分だろうと

いや いや 信じるな 
存在しない遠い島々を夢を見てはいけない
信じるべきじゃない でも愛する人を愛したいのなら
お前は・・・何も与えられないことをヤツらには訊くな

息子よ いつか人々が言ってることを聴くだろう
世界はうまく行っていて 何もしなくても日々が過ぎていくと

いや いや 信じるな
お前までが 夢追い人になってはいけない

信じるべきじゃない 羨ましがってはいけない
明日の世界と 無益に戦って生きるヤツを

Luigi Tencoは生前、孤独癖があり、激高することもよくあり、徹底的に妥協を排する部分があったそうですので、人づき合いは良くなかったようですし、音楽仲間やマスコミにも彼の味方は少なかったようです。

主にGenova派に属する音楽家とのみ交流していたそうですが、Genova派の代表格のGino Paoli(ジーノ・パオーリ)がStefania Sandrelli(ステファニア・サンドレッリ)とスキャンダルを起こした際(2007年2月FESTA参照)には絶交するなど、かなり好き嫌いが激しい性格だったようです。

大衆にとっても、人気歌手たちに埋もれて目立たない内向的な音楽家、という微妙な立ち位置にいたと思われ、TV番組のスタジオライヴでのTencoの映像の背後には、彼を半分奇異の目で見つめる若いオーディエンスたち。彼の当時の存在感が奇妙に感じ取ることができるかと思います。曲は"vedrai vedrai(君には解るだろう 解るだろう)"。Tencoが魂の叫びをほとばしらせてのピアノの弾き語りの名演です。

まだ28歳の彼が、おそらく同世代以下のオーディエンスには理解できないようなシチュエーションを歌っているのが、この違和感のある奇異の眼差しの理由かと思います。

夜になって僕は家に帰る
僕には何も話す気力がない

僕をあんなに優しいまなざしで見つめないでくれ
まるで小さな子供がしょんぼりして帰って来たかように
 
そう 僕は解っている
こんなの 君が夢見ていたような 2人の生活じゃないって
 
解るだろう 解るだろう
変わっていくのが 解るだろう
多分 明日ではない けれど
美しい日々は 変わってしまうんだ
 
解るだろう 解るだろう
終わったんじゃないんだ
どんな風に いつ とは 言えないけれど
変わってしまいそうなのは 君にも解るだろう

君が泣いているのを 知りたい
君が失意に沈むほど 僕を叱って
君がいつもそんなに優しいのを見たくない
僕にやってくるあらゆるものを受け入れたい
君への想いを 諦めさせてくれ
君にもう何も与えられない僕を

解るだろう 解るだろう
変わっていくのが 解るだろう
多分 明日ではない けれど
美しい日々は 変わってしまうんだ

解るだろう 解るだろう
違うんだ 終わったんじゃない
どんな風に いつ とは 言えないけれど
美しい日々は 変わってしまうんだ

3月FESTA最後の楽曲は映像はありませんが、Luigi Tencoの歌詞の世界の深さを味わっていただくために"Quando(その時)"を歌詞と共に鑑賞していただきました。まだ22歳(1960年)だったLuigi Tencoは、晩年よりも少しだけ明るめに彼の世界観を綴っています。Peppino Di Capri(ペッピーノ・ディ・カプリ)に書き下ろした楽曲だと言われています。          

僕の処に 愛する人が戻ってきたら
空には
星が輝くだろう

星は消えてしまったんだ
僕の夢が消え去った時から
愛する人が
僕から逃げてしまった時から

僕の処に 愛する人が戻ってきたら
海では
真珠が生まれるだろう

星が泣いて落とした涙が流れる
淋しい僕の心に

僕の処に 愛する人が戻ってきたら
あたりには
ヴァイオリンが響き渡るだろう
 
優しい音楽が
僕の心に湧き上がるだろう

そして 時は 止まるだろう
僕の処に 愛する人が戻ってきた時だけ

僕の処に
僕の処に


とても美しい表現で綴られた究極のラヴソングなのですが、全体が未来形で語られているものの、2節目のみ過去形。つまり、実は彼は現在、失恋のどん底に居るんですね。そして、(おそらくは実現性が低い)未来を美しく歌い上げるという歌。

Luigi Tencoの歌詞には、そんなに難しい単語は出てこないのですが、動詞の時制活用が豊富なうえ、接続法や仮定法などの複雑な話法も多用しているので、外国人にとって、とても良いイタリア語の教材になると思います。

Luigi Tencoの書く歌詞は、内省的で、後悔を引きずったような内容が多いため、こうした微妙な心のヒダを表現するような、繊細な表現が多くなる訳です。

Io non credevo che questa sera sarebbe stato davvero un addio
(今夜が永遠の別れになるなんて、思いもしていなかった/半過去+接続法半過去)・・・・"Angela"より

Oh, se non m'avessero detto mai
(あぁ、やつらが僕に言いさえしなければ・・・/条件法過去)・・・"Il mio regno(僕の王国)"より

Ti ricorderai di me quando mi avrai perduto
(君は僕の事を思い出すだろう 僕を失った時に / 未来+先立未来)・・・"Ti ricorderai(君は思い出すだろう)"より

本来ならば、このあと、いつものように第4部を行う予定でしたが、今回のFESTAは時間切れとなってしまいましたので、第3部にて終了となりました。第4部に予定していたSonohra(ソノーラ)のライヴ映像は、次回FESTAに順延いたします。



注)記事中の歌手の年齢は、記載時点での誕生日の到来を考慮はせず、2009年に達する年齢で表記しています。

 

次回3月FESTAは、4月18日(土)の開催予定です。