第48回Festaは、20名の参加者が集まり、東京・亀戸の某所にて3/14(土)に開催しました。参加者の内訳は男性9名 女性11名(うち、初参加者3名、イタリア人1名)。

まさに『隠れ家』となるプライヴェートなバンケットルームを貸し切り、極上の音楽と夜景を楽しむと同時に、極上の音楽を楽しむ、至福のひと時となったかと思います。

今回は2009年サンレモ音楽祭ネタを中心に紹介いたしました。



第1部

 

Sanremo 2009まずはサンレモ音楽祭2009が、世界のマスメディア向けに用意したShowreelから紹介しました。

世界向け、ということで音声は英語ですが、Sanremo市の紹介と、1951年より毎年開催されてきた音楽祭の歴史を印象的に6分20秒の映像にまとめています。

冒頭で『世界60カ国で放映されている音楽祭』というセリフが印象的。・・・しかしながら日本はこの60ヶ国に含まれていません。

そして『単なる歌のコンテストではない』という解説と共に、世界レベルの大スターのゲスト出演時の映像が、Perry Como(ペリー・コモ)、Paul MacCartney(ポール・マッカートニー)、Britney Spears(ブリトニー・スピアーズ)などなど幅広い年代に渡って走馬灯のように紹介されます。歌手だけでなく、俳優や文化人なども。

メインとなるイタリア人歌手では、Domenico Modugno(ドメニコ・モドゥーニョ)の"Nel blu dipinto di blu(邦題:ヴォラーレ)"、Tony Renis(トニー・レニス)の"Quando(クアンド)"、Pino Donaggio(ピーノ・ドナッジォ)の"Io che non vivo(邦題:この胸のときめきを)"、Eros Ramazzotti(エロス・ラマッツォッティ)、Laura Pausini(ラウラ・パウズィーニ)、Andrea Bocelli(アンドレア・ボチェッリ)など、世界的にヒットしたした楽曲や世界的に成功したイタリア人スターのメドレー。

面白いのは、一時期のサンレモ音楽祭で行われていた外国人歌手がイタリア人歌手とパートナーとなり、イタリア語で楽曲を歌うシーン。
Louis Armstrong(ルイ・アームストロング)、Paul Anka(ポール・アンカ)、Stevie Wonder(スティーヴィー・ワンダー)、Dionne Warwick(ディオンヌ・ワーウィック)、Ray Charles(レイ・チャールズ)など、そうそうたるメンバーが、イタリア語で歌うという不思議な違和感。しかしながらDionne Warwickが歌うイタリア語は、とてもきれいで違和感がありませんでした。


 

続いて実際のサンレモ音楽祭2009のオープニングとなったMina(ミーナ)の"Nessun Dorma(邦題:誰も寝てはならぬ)"を映像で。

1950年代の終わりから50年に渡りイタリア音楽界のTOPを走り続けてきた『女王』の異名を取るMinaが、1970年代以来、TVにもステージにも出演せずに来たその戒厳令を打ち破る? と開催前から最高の注目が集まっていたシーンです。

司会のPaolo Bonolis(パオロ・ボノリス)が小さな女の子と会話をするシーンから始まります。

Bonolis 『君は音楽が好きなんでしょ?』
女の子 『(首を縦に振る)』
Bonolis 『Minaってスゴイ歌い手さんがいるんだけど、知ってる?』
女の子 『(首を横に降る)』
Bonolis 『じゃあ、ごらん。一緒に見てみよう』

といったような会話の後、Minaのシーンへ。

Puccini(プッチーニ)の有名な歌劇『トゥーランドット』のアリアである"Nessun Dorma(誰も寝てはならぬ)"を、珍しい女声バージョンでMinaが再現してくれます。

この映像シーンは、RAIのサイトでも映像がカットされており、YouTubeに挙げられたものも、こまめにRAIが削除申請を掛けて、次々と公開ストップ化になっていることから推察するに、映像のアーカイブ化に関して、Minaとの契約条件がありそうですので、残念ながらこちらに映像のリンクは貼ることができません。

ご興味のある方は、YouTube上に挙げられた、削除前の映像をタイミングよくご覧になることをお勧めします。

やはり今回も生出演ではなく、サンレモ音楽祭の会場のスクリーンに映像で映し出される、という内容でしたが、それでも貴重なMinaの映像です。今年69歳を迎えるMinaですが、ここ10年ぐらいは外見が全く変わっていないように見えます。

スタジオに招集された豪華なオーケストラに合わせてMinaがマイクに向かうシーンの合間に、西暦1000年からのイタリア音楽の歴史を音楽家の顔写真のコラージュ映像が挿し挟まれます。1800年頃までは、いわゆるクラシックの作曲者たち。やがて伝説のオペラ歌手たちの映像とともに、サンレモ音楽祭に出場し、戦後のイタリア歌謡を支えた歌手たちが紹介されていきます。

現在、『クラシック音楽』と位置付けられているものも、その時代では流行音楽に過ぎなかった。現代の流行歌もやがてクラシック化して、またイタリア音楽の歴史に組み込まれていく・・・サンレモ音楽祭はその大きな支援を果たしている、といったメッセージ性を感じるよくできた映像作品に仕上がっています。

Mina/Sulla tua bocca lo diro`ちなみに音楽祭最終日にもこのMinaの"Nessun Dorma"の映像が流されたのですが、その際は今年のサンレモ音楽祭の4日間のステージを走馬灯のように振り返っていく映像に差し替えられていました。

Minaが披露したこの"Nessun Dorma"は、ちょうどサンレモ音楽祭4日目の2月20日金曜日に発売されたMinaのNewアルバム「Sulla tua bocca lo dirò(あなたの口に私はそれを言うだろう)」(2009)に収録されています。


 

3月FESTAはサンレモ音楽祭特集なのですが、音楽祭自体がMinaで幕を開けましたので、本編に入る前にMinaコーナーを設けることにしました。

Minaもデビュー50周年ということもあって、封印を破って映像出演したようですし、2008年末には10週間にわたって毎週DVD「Mina / Gli anni RAI」シリーズが計10本リリースされました(1958〜1978年のTV出演映像集)ので、そのDVDから、Minaの足跡を辿ることにしました。

Mina(ミーナ/69歳/Lombardia州Varese近郊生まれ→Cremona育ち)は、1958年(18歳)デビュー。La tigre di Cremona(クレモーナの牝虎)という異名とともに、常にセンセーショナルな話題を提供して、一躍世界的な名声を勝ち取ることに成功します。

Mina/Gli anni Rai 9最も世界的に知名度が高いのが"Tintarella di luna(月で日焼け/邦題:月影のナポリ)"(1959)。

世界的に到来していたビート・ロックのムーブメント、Domenico Modugno(ドメニコ・モドゥーニョ)の大成功で、世界中がイタリアの音楽に注目していた時期など、時代の流れをうまく捉えることに成功します。

日本でもかつては、森山佳代子、夏木マリ。最近ではW(ダブルユー/辻希美&加護亜依)なんかもカバーするほど、すっかりスタンダードナンバーになっている楽曲ですね。

現在のMinaしか知らない人には、全く別人と感じるほど、若くて弾けたMinaの映像をご覧いただきました。


(セールスを阻害しないよう、DVD商品とは異なる映像をリンクします)

続いては、これまた日本でもこぞって日本語カバーされた"Un buco nella sabbia(砂に掘った穴/邦題:砂に消えた涙)"。

来日歴もあるマエストロPiero Soffici(ピエロ・ソッフィーチ)が作曲した、耳覚えの良い、誰もの心に郷愁を感じさせるメロディーで、日本では弘田三枝子、伊東ゆかり、ザ・ピーナッツなどの歌唱で、すっかりスタンダードナンバー。

オリジナルがイタリアの楽曲であることなんて、あまり知られていないかもしれませんが、1964年に24歳のMinaがイタリアのヒットチャート1位に送り込んだ大ヒット曲です。


(セールスを阻害しないよう、DVD商品とは異なる映像をリンクします)

実はこの"月影のナポリ"と"砂に消えた涙"というヒット曲の間の1963年、Minaは非嫡出子を出産し、23歳にして未婚の母となるという、前代未聞の大事件を起こしています。

売り出しに成功して間もないアイドル歌手がこうしたスキャンダルを起こすと、現代でさえその芸能人生命は閉ざされてしまいかねません。まして1960年代初頭という時代と、まだ離婚さえも許していなかった封建的なイタリア社会という環境を考えると、とてつもなく大きなスキャンダルだったと思いますが、Minaは平然とその事実を公表し、乗り越えてしまいます。

父親は映画スターのCorrado Pani(コッラド・パーニ/1936-2005/68歳没)。生まれた子は、後に作曲家・編曲者として活躍するMassimiliano Pani(マッスィミリアノ・パーニ/45歳)。ここ10年ぐらい、母・Minaのアルバムのプロデュースも務めています。

この時代までが日本でよく知られているMinaの活動で、日本から見れば『あの人は今?』みたいな存在になりがちですが、Minaが芸術性の高い音楽活動にシフトして、歌手として真価を高め、イタリア社会で『イタリアの至宝』『女王』の異名を取るのは、むしろこの後。

中でも現在もMinaの代表曲のひとつとして必ず挙げられる芸術性の高い楽曲のひとつが"grande grande grande"。

さて、実はこの後にも世界的にヒットしたMinaの楽曲があるのですが、有名になったのは、カバー版の方。フランス語でDalida(ダリダ)とAlain Delon(アラン・ドロン)でカバーされた"Paroles paroles(邦題:あまい囁き )"

エジプト生まれでパリに渡って成功したDalidaですが、両親はイタリア人。

Mina/Gli anni Rai 2イタリアオリジナルのヒット曲をイタリア鈍りのフランス語でカバーするさまが、フランス人の心を捉えてスターダムに登ります。Alain Delonはフランス国籍ではありますが、地理的にはイタリアと言えるコルシカ生まれ。イタリア語放送の電波が入る環境で育ったと思われます。

本来フランス語では『Paroles パロール』と発音するサビのセリフを、思いっきりイタリア語の発音で『Parole パローレ』と歌うところもヒットの秘訣だったように思われます。

そのオリジナルとなったのは、Minaと映画俳優のAlberto Lupo(アルベルト・ルーポ/1924-1984/59歳没)のデュエット。こちらはイタリア語ですので、語尾の『s』が落ちた形のタイトルで、"Parole parole"。1972年、Mina32歳、Lupo48歳の時の映像です。

今回のMinaの10枚シリーズのDVDには、珍しい・貴重な映像シーンも多く収められており、そのひとつと言えるのが、後にイタリア芸能界の首領(ドン)となるAdriano Celentano(アドリアーノ・チェレンターノ)との"Parole parole"デュエットシーン。

本来なら女性が歌い、男性がセリフを囁くタイプのこの曲を、何と役割を逆転させて、Celentanoが歌い、Minaが囁くというアレンジ。女性が『もう飴なんかいらない。』と駄々をこねて歌う内容を、不良キャラのロックスターCelentanoがどのように歌うかが見所です。

また、オリジナルのデュエット相手の俳優Alberto Lupo自身が後半、2人の間に割って入り、『Che cosa siete?(あんたら、何なんだい?)』って問いかけるオチ付き。

オリジナルでは、スネて我儘を言う女性に対して男が囁く、『Che cosa sei?(君って何なんだい?)』をもじったギャグになっているのは、言うまでもありません。

Mina + CelentanoMina32歳。Celentano34歳。後にイタリア芸能界のトップに登りつめ、20数年後この2人がリリースしたデュエット・アルバム「Mina Celentano」は、空前の大ヒットを遂げますが、それの伏線となるような映像の記録です。

Mina/Gli anni Rai 1次に紹介したのもデュエット曲"So quel che sempre piacerà(いつも魅力的な男性を知っているわ)"で、Raffaella Carrà(ラッファエッラ・カッラ)との共演。

彼女もまたイタリアのショウガールのトップに君臨し続け、数々の冠番組を持つ永遠の大スター。2001年のサンレモ音楽祭の総合司会も務めた経歴を持っています。Minaの3歳年下で、当時31歳。

双子のKessler姉妹を中心にした楽しいステージを見せてくれます。この映像は、MinaのDVD「Gli anni RAI 1」(2008)にも、同時期にリリースされたRaffella CarràのDVD「Raffica baletti & duetti」(2008)にも収録されています。

Raffella Carra`/Raffica baletti & duettiこのRaffella CarràのDVD「Raffica baletti & duetti」(2008)には、Minaとの共演がもう1曲収録されており、なんとMinaのレオタード姿が拝める映像が。これは貴重です。収録年代のクレジットが無いのですが、おそらく1970年代で、2人ともアラサ―世代ぐらいの時かと思います。

Raffaella Carràは、66歳になる今でも抜群のスタイルを誇っていますので、驚きはありませんが、当時のMinaの美しい肢体には、目を見張るものがあります。英語曲"Bye bye baby"ではありますが、このMinaの脚を鑑賞するために(?)FESTAでも紹介しました。

Minaの最後の曲は、タイトルを伏せてまず映像を見てもらいました。1961年。21歳のMinaです。

Mina/Gli anni RAI 10日本語の歌詞で、FESTA会場にも驚きの声が上がったのは言うまでもありません。タイトルは"Anata to watashi(あなたと私)"。

1960年代前半には、イタリアと日本のミュージックシーンには交流があり、イタリアのヒット曲が日本の市場でもヒットしたり、イタリア語曲が盛んに日本語カバーされただけでなく、何人かのイタリア人歌手が日本語曲を吹き込んでいた事実を紹介できました。

それにしてもこのMinaの10枚ものDVDは、共演者が凄い。前出のAdriano Celentano(アドリアーノ・チェレンターノ)、Raffaella Carrà(ラッファエッラ・カッラ)をはじめ、Quartetto Cetra(クアルテット・チェトラ/歴史的な男女混合コーラスグループ)、Nilla Pizzi(ニッラ・ピッツィ/サンレモ音楽祭初代優勝者)、Giorgio Gaber(ジォルジォ・ガーベル/イタリア初のロックスター)、Gianni Morandi(ジァンニ・モランディ/永遠の青春スター)、Enrico Simonetti(エンリコ・スィモネッティ/ピアニスト/Goblinの活動で世界的に有名なClaudio Simonettiの父)・・・・などなど。

さらに映画スターとの共演が凄すぎます。前出のAlberto Lupo(アルベルト・ルーポ)をはじめ、Totò(トト)ことAntonio De Curtis(アントニオ・デ・クルティス/イタリア最高峰の喜劇スター)、Marcello Mastroianni(マルチェッロ・マストロィアンニ/日本語表記:マルチェロ・マストロヤンニ)、Alberto Sordi(アルベルト・ソルディ)、Giancarlo Giannini(ジァンカルロ・ジァンニーニ/日本語表記:ジャンカルロ・ジャンニーニ)などなど。Federico Fellini(フェデリコ・フェッリーニ/日本語表記:フェデリコ・フェリーニ)などとの対話の映像も収められています。

Minaがイタリアの芸能界の中で、一流の音楽家として称賛されている事実が改めて発見できると思います。



注)記事中の歌手の年齢は、記載時点での誕生日の到来を考慮はせず、2009年に達する年齢で表記しています。

 

Continua alla prossima puntata.(続く)