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第3部

 

ちょうど10年前の1999年1月11日、イタリア人の心を捉え続けて20世紀最大の詩人と評されたFabrizio De Andre(ファブリツィオ・デ・アンドレ/1940-1999/58歳没/Genova出身)が他界してしまいました。

10周忌となる2009年1月11日に向けて、2008年の終わり頃から様々なムーヴメントが沸き起こり、いつもは事前準備がお世辞にも上手と言えないイタリア社会において、珍しく用意周到に準備されていたことも大きく評価すべき記念事業だったと思います。まさにイタリア人の心の拠り所として国民的英雄であったことを改めて思い知ることができました。

奇しくもDe andreの死の直前の1998年9月9日には、これまたイタリア人の魂を歌った国民的英雄のLucio Battisti(ルチォ・バッティスティ)を亡くし、世紀末論の根強いイタリア社会が大きな失意に伏せたのは言うまでもありません。

Lucio Battistiは主に作曲面において感性を発揮した人でしたが、De Andreは作詞に才能を開花させます。疎外された者、反逆者、娼婦など、一般社会の辺境に位置する人々の視線で歌いあげる彼の作品は、イタリア大衆の心をがっちりと捉え、イタリア文壇でも良く引用されるほど幅広い評価を得ており、まさに詩人として現在もなおイタリア人のアイデンティティに問いかけ続けてる偉人と言えるでしょう。

Fabrizio De Andre'/in concerto彼の10周忌に向けて出版、TV番組を始め、CDやDVDも企画されましたが、音楽作品として鑑賞できる映像作品はなく、ドキュメンタリー映像ばかり。つまり映像作品としては既発売であり、亡くなる年に収録された最後のコンサート映像作品DVD「in concerto」(1998)しか存在していないようです。

Festaでは、まずFabrizio De Andre自身のことを紹介しなければ始められませんでしたので、このDVD「in concerto」から、彼の遺作となったアルバム「Anime salve(安全な魂)」(1996)に収められていた"Dolcenera(甘草/カンゾウ)"を紹介いたしました。

民族音楽的な女性コーラスが特徴的な楽曲で、この晩年のライヴでは実娘のLuvi De Andre(ルヴィ・デ・アンドレ)が、3人の女性コーラス隊の真ん中に立って父のステージを支えております。先妻との間に生まれたCristiano De Andre(クリスティアーノ・デ・アンドレ)も父の斜め後ろに位置して、様々な楽器を奏でております。(この楽曲ではパーカッション)

Fabrizio De Andre'/Effedia-sulla mia cattiva stradaさて、彼の10周忌に向けて発売されたものの中で、レアな音源やプライヴェートな映像も収録されていて、一番資料性が高く、ファン必携のアイテムになりそうなのが、2CD+DVDの3枚組アルバム「effedia-sulla mia cattiva strada(僕の劣悪な道程で)」(2008)ではないでしょうか。

"La canzone di Marinella(マリネッラの歌)"は、De André作品の中でもっとも有名な作品のひとつですが、このアルバムにはMina(ミーナ)とデュエットしている音源が収録されています。Minaが単独でカバーしている音源や映像は知っていましたが、こんなのあったんですねぇ。この2人のデュエットなんて。

添付のDVDでは、De André自身が作品の生まれた背景などを語っており、有名な逸話通り、犬死にしてしまう娼婦を歌った歌であり、ある新聞記事で目にした実在の事件をモデルにしていることなどを伝えてくれています。冷徹な立場でその無情な死に様を描写しながらも、彼女に美しい死に化粧を施すような彼の詩の世界が、永遠の名作として今もなお輝き続けているのを感じ取ることができます。

DVDには『1979』と題されたチャプターがありますが、後に彼の後妻となるDori Ghezzi(ドリ・ゲッツィ)と1974年に知りあい、2人の間に娘Luviが生まれたこの1970年代の後半の時期を綴ったドキュメンタリーのシーンです。

Sardegnaに渡って隠遁生活を送っていた時代で、新しい伴侶となるDori、娘Luvi、先妻との間に生まれたCristianoや気心知れた音楽仲間なども交わって、De Andréが浮世を離れて、もっとも人間らしく日常を謳歌していた時代だったかもしれません。

それまでの時代は、古参の優れたカンタウトーレのひとり、といった存在だったDe Andréは、この家族的な触れ合いの時期を通して、絶対無二のカンタウトーレに昇華したと言えるかもしれません。

1978年に収録されたと思われる、Dori GhezziとCristianoが加わって、"Andrea〜Rimini"をメドレーしている貴重なシーンがこのDVDに収録されています。まだ若々しい少年の面影のCristianoと、アイドル出身とはいえ、依然として抜群の美少女の雰囲気のままのDoriの姿を垣間見ることができます。

PFM/Canta De Andre'さて、その1979年にDe Andréを再び世の中に引っ張り出して伝説のジョイントコンサートを行ったのが、PFMことPremiata Forneria Marconi(プレミアータ・フォルネリア・マルコーニ)の面々。彼らが残した2枚のライブアルバムは、この歴史に残る伝説のコンサートを記録した名盤と言えるでしょう。

そんな盟友De Andréの10周忌に向けて、彼らPFMはDe Andréのカバーを演奏するツアーを敢行、その様子をCD+DVDのアルバム「PFM canta De André(PFMがデ・アンドレを歌う)」(2008)をリリースしました。

 

FestaではもちろんDVDのライヴ映像で、De Andréの有名な楽曲"Bocca di rosa(薔薇の口)"と"Il pescatore(漁師)"を紹介いたしました。現在のPFMの正式メンバーは3名ですが、ステージ上には2006年の来日時のメンバーのままの編成で、テクニックを駆使しながらも安定したサウンドを聴かせてくれています。


QuelliさてPFMが出てきたのならば、2008年に日本盤が発売された彼らの前身バンドQuelli(クエッリ)も紹介しておきましょう。

1969年に発売されたオリジナルアルバムに、Quelli名義で現存するシングル曲をボーナストラックとして詰め込んだ仕様で、この1枚でほぼQuelli時代の作品を網羅できる内容になっているのが特筆すべき事項です。

当時のメンバーは、現存するバンドメンバー、Franz Dicioccio(フランツ・ディ・チォッチォ/ドラム)、Franco Mussida(フランコ・ムッスィーダ/ギター)の2名。後にPFMのオリジナルメンバーとしてデビューするFlavio Premoli(フラヴィオ・プレモリ/キーボード)とGiorgio Piazza(ジォルジォ・ピアッツァ/ベース)の2名に加え、現在はコメディアンやTVタレント、パーソナリティとして活躍する芸能人Teo Teocoli(テオ・テオコリ/リードヴォーカル)の5人編成。

彼らが活躍した60年代のイタリアのバンドは、ビートバンドの全盛期。後にプログレッシヴロックの形式美をまとって世界で最も有名なイタリアのロックバンドとしての名声を手にするPFMでさえも、この時代は英米もののイタリア語カバーを中心としたビートバンドの様相そのもの。面白いところではお隣フランスに音楽的革命を起こして成功したMichel Polnareff(ミシェル・ポルナレフ)の"La poupée qui fait non(邦題:恋するノンノン人形)"のイタリア語カバーも収められています。

Festaではイタリアものにこだわって、1970年のサンレモ音楽祭で歌われた"Pa' diglielo a Ma'(パパ、ママにそう言って)"のカヴァーを聴いていただきました。この時代のイタリアロック特有のヘッドを緩めに張ったドラムスによるバタバタサウンドが多少耳につきますが、素直に原曲をPOPサウンドとしてカバーしているのが聴き取れます。


ここでオリジナル歌手のバージョンも紹介することにしました。ちょうどこの1970年までのサンレモ音楽祭は、ダブルキャスト制と呼ばれた、1曲を2人の歌手が歌い比べて、楽曲自体を評価する『歌のコンテスト』がの要素がメインでしたので、この"Pa' diglielo a Ma'(パパ、ママにそう言って)"も男性歌手と女性歌手によって歌い分けられました。

男性歌手の方はRosalino(ロザリーノ/当時16歳)と名乗っておりますが、これが後のRon(ロン/56歳/Pavia近郊Dorno出身)。ルックスはまさに美少年そのもの。今でも綺麗な金髪のRonですから、当時のマッシュルームカットだったら、きっとお伽噺の王子様のような外見だったことでしょう。

しかしながら外見だけでなく、狂いのない太い低音から張りのあるシャウト部分まで、既に大歌手としての片鱗を見せているのが特筆する点です。オケのアレンジもテンションが効いた緊張感のあるイントロ、途中のピッツィカート奏法の部分など、聞きどころ満載です。

それにしても第2部で紹介した大物カンタウトーレに成長したBiagio Antonacci(ビアジォ・アントナッチ)が、実はRonに憧れて芸能界入りし、師匠Ronのプロデュースによりデビューすることになるのですから、隔世の感がありますね。

Ron 2008ちょうど年末年始にRonからメールの挨拶をいただいていたので、Festaの場で紹介いたしました。発信者がRosalino名義になっているところにも注目!


From: Rosalino
ロザリーノより

CIAO YOSHIO, BUON NATALE ANCHE A TE DI CUORE,
SPERO SARA‘ UN ANNO BUONO,
チャオ ヨシオ、君にも心から
メリークリスマスとよいお年を贈るよ

CON SERENITA‘ E TANTO CORAGGIO
PER VIVERE PIU' DIGNITOSAMENTE LA NOSTRA VITA.....
僕らの人生をより尊厳を持って生きるための勇気と冷静さを願うよ

IL MIO SOGNO E' DI VENIRE UN GIORNO IN GIAPPONE,
僕の夢はいつの日か日本を訪れることさ

STO LEGGENDO UN LIBRO BELLISSIMO DI UNO SCRITTORE GIAPPONESE
僕は今 日本人作家の素敵な本を読んでいるよ

CHE SI CHIAMA MURAKAMI HARUKI, IL TITOLO DEL FANTASTICO ROMANZO E‘
その作家は村上春樹で、そのロマンティックな小説のタイトルは

"KAFKA SULLA SPIAGGIA“
『海辺のカフカ』だよ

....SPERO DAVVERO DI VISITARE PRESTO IL TUO PAESE AFFASCINANTE.
本当に君の魅力的な国を訪れてみたいよ

A PRESTO YOSHIO, UN ABBRACCIO
じゃあまたねヨシオ、抱擁を

RON
ロン


 


Rosalinoと共に"Pa' diglielo a Ma'(パパ、ママにそう言って)"を歌い合ったのは、同じ16歳のNada(ナーダ/56歳/Toscana州Livorno近郊出身)。

彼女も可愛いルックスで、お人形さんのよう。16歳の美形の少年少女が同じく歌ったステージは、当時も大きな話題になったことでしょう。

Nada 2008Nadaの方はすぐにブレイクして、第1部で紹介したGiusyもカバーした"Ma che freddo fa(なんて寒い)"などのヒット曲を生みますが、RosalinoことRonの方は、Lucio Dalla(ルチォ・ダッラ)やFrancesco De Gregori(フランチェスコ・デ・グレゴリ)らの弟子について、10年近く修行してから、ひとり立ちしていくことになります。

また、当時のサンレモ音楽祭のダブルキャスト制は、特にこのような男女の歌手が歌い分けることによって、同じ曲に必然と男性向け歌詞と女性向け歌詞が生まれるという副産物もあったと思います。

Rosalinoが『Sono stanco』とか相手を『ragazza』と歌っている部分は、Nadaでは当然『Sono stanca』、『ragazzo』となったりする訳です。単に形容詞や名詞の性を変えるだけで済む曲もありますが、どちらかの性特有の行動や心理描写を歌っている場合は、歌詞の一部分から大部分を書きなおす必要が生じます。英語曲ではあまり必要のない歌い変えが生じるのも、イタリア語曲特有の魅力ではないかと思います。

"Pa' diglielo a Ma'(パパ、ママにそう言って)"では、Rosalinoは一人前の男になるため、恋人を置いて修行の旅に出る若者の立場で歌っており、『パパだって僕の歳の時にそうしたんでしょ?』と歌っています。

Nadaは、恋人と駆け落ちしようと、黙って家を出て行く親不孝について、母親に謝罪の気持ちを伝えて欲しいと父親に願う状況を描写しています。こちらは、『ママだって私の歳の時にはパパに夢中だったでしょ?』という内容に変えられています。


 

第3部のラストソングは、再びFabrizio De Andréの特集に戻り、民族音楽要素を取り入れるようになった1980年代以降のDe Andréのサウンドを支えた盟友Mauro Pagani(マウロ・パガーニ)と、息子のCristiano De André(クリスティアーノ・デ・アンドレ/47歳/Genova生まれ)とのデュエットで、これまた名曲の"Creuza de Mä(海への坂道)"の映像でお送りいたしました。

まさに10周忌となる2009年1月11日の晩、Genovaの港からのライブ映像。同日3時間を超える追悼番組『Che tempo che fa Special』の最後に中継された部分の映像です。3時間超という長尺番組ながら、イタリア国内では20%に迫る視聴率があった、という事実からして、いかにFabrizio De Andréがイタリア人にとっての英雄なのかを推し量ることができると思います。

未亡人となったDori Ghezziは60歳を過ぎたにも関わらず、相変わらず可愛く美しい女性のまま。Cristianoは父親が歌った反逆者の魂を受け継いだようで、レジスタンス運動の危険人物として、2004年ごろから投獄されていたので、久々のシャバといったところだったと思います。もしかするとこの10周忌に合わせて仮出所できたのかもしれませんね。

Fabrizio De Andre'の生家にある碑またFesta参加の常連メンバーとなってくださっているCDショップTactoのEmikoさんから、GenovaにあるFabrizio De Andréの生家の写真をいただきましたので、紹介いたしました。Emikoさんの娘さんが、かの地のごく近所に嫁がれているそうなんです。

Fabrizio De Andre'の生家

注)記事中の歌手の年齢は、記載時点での誕生日の到来を考慮はせず、2009年に達する年齢で表記しています。

 

Continua alla prossima puntata.(続く)