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Ornella Vanoni/Piu` di me第4部は大御所Ornella Vanoni(オルネッラ・ヴァノーニ/74歳/Milano生まれ)の超話題作「Più di me(私よりもっと)」(2008)を紹介しました。

 

2008年の春ごろからこのアルバムの発売が噂されており、大手の日刊新聞Corriere della Sera(コッリエーレ・デッラ・セーラ/意:夜の伝令)でも、

Ornella VanoniがMinaを始めとする大物歌手たちとのデュエットアルバムをリリースする企画がある、

と発表されていたほど、イタリア社会では大きな前評判を呼んでいたアルバムが2008年10月17日に発売になりました。

いつものFestaでは、1アーティストあたり2〜4曲、1部あたり2〜3アーティストを紹介するのですが、あまりにも評判の話題作、ということもあり、第4部を全部使って、Ornella Vanoniの新作アルバム「Più di me」だけを紹介いたしました。

始めにOrnella Vanoniの経歴をおさらいしておきましょう。

Milanoで製薬会社を経営する社長の令嬢として誕生したOrnella Vanoniは、カトリック系の女子高(聖ウルスラ修道会)で学んだ後、一流のエステティシャンになることを夢見て、スイスやフランス、イギリスの短期大学に留学をしています。フランスのソルボンヌ大学にも在籍していたという説がありますが、ソルボンヌ大学も聖ウルスラを守護聖人とした大学ですので、あり得る話だと思います。

19歳の時(1953年)Milanoに戻り、演劇学校に入学。幕間に仰々しい声音を使ってフランス革命のバッラータを歌うようになります。22歳(1956年)に女優として正式デビュー。やがて後にノーベル文学賞を受賞する劇作家Dario Fo(ダリオ・フォ)らと舞台を伴するようになり、風刺劇を演じ、古い方言のバッラータを歌うなどして活躍。こうした経験が『知性派歌手オルネッラ・ヴァノーニ』のイメージを形成していくことになります。

25歳の時(1959年)Ricordiと契約し、プロ歌手としての扉が開かれることになります。1960年に天才カンタウトーレGino Paoli(ジーノ・パオリ)と運命的な出逢いを果たし、数々のヒット曲を連発。その後2人は男女の枠を超えた長い付き合いを続け、芸術的な面でお互いに刺激しあえる相棒関係に育んでいくことになります。

1960年代は、サンレモ音楽祭の全盛期でもあり、Ornella Vanoniも度々サンレモ音楽祭に出場し、いつしかイタリアを代表する女性歌手のひとりに成長を遂げます。当時はイタリア歌謡が世界に数々のヒット曲を送り出していた時期でもあったので、日本でもOrnella Vanoni、Mina(ミーナ)、Milva(ミルヴァ)を『三大プリマドンナ』などと呼んでいた時期もありました。

1970年代の中頃から、トータルアルバム的な作品が多くなり、歌手として芸術的な完成度を高めていきます。様々なアーティストとコラボレーションを図ります。例えばNew Trollsの協力の下、傑作2枚組アルバム「Io dentro, Io fuori(私は中に、私は外に)」(1977)をリリースし、ロングツアーに出かけ、同時にイタリア版Play Boyにヘアヌードを披露するなど、脂の乗り切った活動を続けます。時にOrnella43歳。

その後も1990年代の中ごろまでは、ほぼ毎年のようにオリジナルアルバムをリリースするという精力的な活動が続き、2000年前後の数年間は、ライブアルバムしか出ない時期がありましたが、2001年からは再び毎年のようにアルバムをリリース。三度(みたび)となるGino Paoliとのジョイントライヴツアーを決行。1985年に行った同様のツアーの20年後、それぞれに美しく年齢を重ねた艶姿を披露してくれました。

さてこうして、常に第一線を突っ走ってきたOrnella Vanoniも、もう歌手として50周年を迎えることとなり、それを記念して企画されたのが、今回のアルバム「Più di me」。名匠Celso Valli(チェルソ・ヴァッリ)がMario Lavezzi(マリオ・ラヴェッツィ)に協力を仰いでプロデュースするという強力な万全体制で、まさに50周年を記念するにふさわしい、超話題作として誕生しました。

11曲収められた楽曲は、2曲が新曲で、9曲はOrnellaが歌ってきた数々のヒット曲。それをイタリアの実力派歌手、大物歌手、注目の新人歌手などとのデュエットで、全曲を仕上げているのです。

Jovanotti(ジォヴァノッティ)、Pooh(プー)、Gianni Morandi(ジァンニ・モランディ)、Lucio Dalla(ルチォ・ダッラ)、Giusy Ferreri(ジゥズィ・フェッレーリ)、Claudio Baglioni(クラウディオ・バリォーニ)、Fiorella Mannoia(フィオレッラ・マンノイア)、Carmen Consoli(カルメン・コンソリ)、Mina(ミーナ)といった豪華な顔触れ。

シングル曲に選ばれたのは、新曲の"Solo un volo(ただ1回のフライト)" 。トップスターEros Ramazzotti(エロス・ラマッツォッティ/45歳/Roma出身)とのデュエットで、もちろんRamazzottiが曲作りに参加しています。Festaでもこれを1曲目に紹介しました。

アルバムに収められた歌詞カードでは、次の一節だけが大きなフォントで強調されています。

...Se la vita è solo un volo

(もし人生が一度きりのフライトなら)

2曲目は"più(もっと)"。Jovanotti(ジォヴァノッティ/42歳/Roma出身)とのデュエットで、1976年に発表されたOrnellaのオリジナル曲。今回のアルバムは3面開きのデジパック仕様になっていますが、1枚目を開いた時にすぐに目に入る位置に、この曲の歌詞の一部が印刷されています。

Più di te (あなたよりもっと)
Più di me (わたしよりもっと)
Più di noi (わたしたちよりもっと)
Più che puoi (あなたができることよりもっと)
Di più (もっと)

まさにこの曲がこのアルバムのコンセプト上の中心となる楽曲ということになるのかもしれません。
Jovanottiはこのアルバムで唯一、2曲のデュエット相手を務めている光栄な役回りを得ています。

3曲目は"Eternità永遠)"。1970年のサンレモ音楽祭出場曲で、当時はまだダブルキャスト制と呼ばれる、ひとつの曲を2人の異なる歌手がそれぞれ歌い、歌手ではなく『曲』を評価するという音楽祭の主旨を色濃く反映している方式で運営されていました。"Eternitàは、同音楽祭でCamaleonti(カマレオンティ)にも歌われました。世界的にはOrnella Vanoniの方が有名なようですが、Camaleontiヴァージョンは秀逸な作品であり、Camaleontiの代表曲のひとつだと思います。

今回のアルバムでは、Camaleontiに少し遅れてシーンに登場したものの、ほぼ同世代のシーンを駆け抜けてきたと言って良いイタリアを代表する超大御所バンドPooh(プー)が、このデュエット相手に選ばれました。

歌詞カードで強調されているのは

Spalanca le tue braccia

(あなたの両腕を広げて)

の部分。この曲は幸せいっぱいの究極のラヴソングなので、結婚式に歌うとぴったりの楽曲ですね。


(2008年アルバム発売直後のMilanoのDuomo広場で行われたソロコンサートの映像)

4曲目は、"Una ragione di piùもう少しの理性)"。1969年に初めてOrnellaが曲作りに参加した、いわばカンタトリーチェOrnella Vanoniの処女作。Mino Reitano(ミーノ・レイターノ)やFranco Califano(フランコ・カリファノ)らが共作者として、Ornellaを支えたクレジットになっています。

この楽曲のデュエット相手に選ばれたのは、あまたのベテラン歌手がラインナップされた中で唯一の20代の歌手。しかも2008年にデビューしたばかりのGiusy Ferreri(ジゥズィ・フェッレーリ/29歳/Palermo出身)。これはまさしく快挙。(Giusy Ferreriの来歴については、2008年8月Festaをご参照ください)


(2008年アルバム発売直後のTV番組の映像)

5曲目は"L'appuntamento(邦題:逢い引き)"。1970年にRoberto Carlos(ロベルト・カルロス)とBruno Lauzi(ブルーノ・ラウツィ)が作ったこの美しく耳残りのする楽曲は、今ではすっかり名スタンダードナンバー。Andrea Bocelliも2006年のPOPアルバム「Amore」の中でカヴァーしています。

この名曲のデュエット相手に選んだのは、Carmen Consoli(カルメン・コンソリ/34歳/Catania出身)。歌手としての側面だけ捉えれば、Carmenの声質とOrnellaのそれは、似たタイプなので、不思議なケミストリーが楽しめる作品に仕上がっています。

歌詞カードで強調されているのは

Amore, fai presto, io non resisto...

(愛する人よ、早くして、私は堪えられない)

Se tu non arrivi non esisto

(もしあなたが来ないと、私は存在できないわ)

恋人よ待ち焦がれる待ち合わせの心理を見事に歌いあげています。


(2008年アルバム発売直後のTV番組の映像)

そして最後の曲は、アルバムでもラストに収められた、もうひとつの新曲であり、一番の話題を集めた顔合わせとなった"Amiche mai(決して友達じゃない)"。なんとMina(ミーナ/68歳/Varese近郊出身)とのデュエット。60年代には3大プリマドンナなどと呼ばれていたものの、一度たりとも共演などが無かったこの2人のイタリアを代表するDivaが、活動50年目にして初のデュエット。それを聴くことのできる喜びと、慄き。これはイタリアPOPSを長らく聴いてきた人なら、誰もが感じる体感だと思います。Andrea Mingardi(アンドレア・ミンガルディ)のペンになる楽曲。



注)記事中の歌手の年齢は、記載時点での誕生日の到来を考慮はせず、2008年に達する年齢で表記しています。

 

次回11月FESTAは、12月13日(土)の開催予定です。