第43回Festaは、14名の参加者が集まり、東京・水道橋のYou Meにて10/18(土)に開催しました。参加者の内訳は男性4名 女性10名(うち、初参加者1名)。

VIPルーム扱いの個室スペースをゆったり目に使って、極上の音楽を楽しむ、至福のひと時となったかと思います。



第1部

Mu日本限定の紙ジャケットCDとして9月に発売されたBMGのイタリアンロック・シリーズですが、リリースされた8枚の中で紛れもなく看板になるのは、Riccardo Cocciante(リッカルド・コッチァンテ/62/サイゴン生まれRoma育ち)のデビューアルバム「MU(ムー大陸)」(1972)だといえるでしょう。

70年代前半のイタリアはプログレッシヴ・ロックが大流行していましたので、後に大物カンタウトーレとなるCoccianteのアルバムもプログレファン好みの前衛的なサウンドメイキングで仕上げられています。

そして『ムー大陸』という伝説上の大陸をテーマに、その誕生から進化・衰退・消滅までを組曲風に仕組んだコンセプトアルバムとなっており、それぞれのステージを変形ジャケットで再現しているところが、マニア心をくすぐるのに充分なようです。もちろん、この紙ジャケットシリーズは、オリジナルのアナログ盤の変形ジャケットをCDサイズで再現していることが、最大の魅力のひとつです。

伊仏ハーフのCoccianteは、イタリア名のRiccardoを時折、フランス名あるいは英語名でRichard(リシャールあるいはリチャード)と表記して活動を行うことがありますが、この1972年のアルバムにもRichard名義となっています。

やたらとイントロが長かったり、前衛的なSEが入るなど、仰々しいサウンドに満ちたアルバムではありますが、それでも当時、シングルカットされた曲がありました。それが"Uomo(男)"。当時26歳だった希代のカンタウトーレの作品を10月FESTAの1曲目に選びました。
2曲目はそのB面に収められた"A dio(神へ)"。女性コーラス隊を前面に据えた、牧歌的で、フラワームーブメント時代の香りを漂わせた楽曲に仕上がっています。

今ではイタリアだけでなくフランスでも大活躍を果たし、ひいてはヨーロッパを代表する大物アーティストとなったRiccardo Cocciante。しかしながら今回のアルバム「MU」が、日本盤はおそらくソロとしては2枚目の発売という扱いなのが残念です。(1枚目は1991年のサンレモ音楽祭優勝時) ベスト盤でも良いので、Riccardo Coccianteという希代のアーティストの数々の名曲を日本に紹介して欲しいものです。


 

第1部の最後は、これまたイタリアはもとより、世界中の有名ミュージシャンから「イタリア随一のミュージシャン」と一目置かれているZucchero Sugar Fornaciari(ズッケロ・シュガー・フォルナチァーリ)。

1970年頃バンドとしてシーンに登場したZuccheroは、80年代になるとソロシンガーとしてサンレモ音楽祭へ出演するなど、メディアの脚光を浴びる活動を開始しますが、従来のスターのように『サンレモ音楽祭で注目を集め、そのまま敷かれた路線に乗ってスターダムへ』という生き方を嫌い、アメリカやイギリス等、英語圏のミュージックシーンで修業を積むことを選びます。

Oro Incenso e Birraそして1989年、アルバム「Oro Incenso e Birra(金の芳香とビール」で、従来のイタリア音楽界のアルバム最多販売記録を塗り替える大成功を果たします。(当時、日本盤も発売されました)

やがて海外修行時代に親交を深めたミュージシャンたちと共演やコラボレーションにも精を出すようになり、Jazz界の帝王Miles Davis(マイルス・デイヴィス)を始め、Eric Clapton(エリック・クラプトン)、Stevie Ray Vaughan(スティーヴィー・レイ・ヴォーン)、Queen(クイーン)、Paul Young(ポール・ヤング)といった、文字通り世界のスーパースターたちと対等な共演やコラボを果たしています。

WoodStock1994に唯一のイタリア人アーティストとして出演したり、全米のBillboardチャートにアルバムを送り込むなど、世界を股にかけた大活躍を果たして今日に至ります。

All the Best: Italian VersionそんなZuccheroの軌跡をCD2枚とDVD1枚に収めた3枚組アルバム「All the Best」(2007)は、イタリアで2007年11月に発売されましたが、1年近く経過した現在でもイタリアのヒットチャートの10位前後をキープし続けている驚異のロングセラーアルバムになっています。これはFESTAで紹介するべき!と10月FESTAに押し込みました。

1曲目は"Diamante(ダイアモンド)"。前出の大ヒットアルバム「Oro incenso e birra(金の芳香とビール)」(1989)に収められたヒット曲のひとつですが、他のソウルフルな曲の中で鈍く光る穏やかな曲で、その名もズバリDiamanteという名前だったZuccheroの祖母に捧げられた楽曲とのことです。

先輩カンタウトーレFrancesco De Gregori(フランチェスコ・デ・グレゴーリ/当時38歳)が作詞を手がけ、サンレモ音楽祭優勝経験のあるカンタウトーレMino Vergnaghi(ミーノ・ヴェルニャーギ/当時34歳)らがZuccheroの作曲に加わるという豪華なソングライター陣での共作。

Miserere1992年(37歳)になると、それまでのPOPS界で築いた知名度を一躍クラシックファンにも広めることになる楽曲 "Miserere(ミゼレーレ/懺悔詩編の賛美歌)"(1992)を発表。

過日逝去した当代一のテノールLuciano Pavarotti(ルチァーノ・パヴァロッティ)と共演して、互いの音楽の境界線をクロスオーヴァーさせることに成功します。またアイルランドの有名バンドU2のBono(ボーノ)が楽曲作りに参加した事も大きな話題となりました。

 

Romanza実はこの曲のレコーディング時に生まれた有名なエピソードがあります。Zuccheroのヴォーカルパートを録音する際、多忙なPavarottiの代役として歌っていたのが、まだ無名だったAndrea Bocelli(アンドレア・ボチェッリ/当時34歳)だったのです。

Pavarottiをして「私が歌う必要はないんじゃないか?」と言わしめたBocelliの歌唱力は、後にデビューを果たすや世界的な注目を集めることとなり、やがてイタリア国家より受勲されるほど、名実ともにイタリアを代表する歌手に育ちます。BocelliのPOPSもアリアも歌うというスタイルの原点は、この"Miserere"にあるのかもしれません。

 

Fly3曲目は最近のヒット曲から。"Un kilo(1キロ)"(2006)。2006年のアルバム「Fly」に収められていた楽曲ですが、翌2007年のFestivalbar参加曲としてシングルカットされ、総合3位の成績を収めたヒット曲です。Zuccheroらしいグルーヴ感のあるソウルフルな楽曲で、PVではZuccheroを意識したイケメンの若者が演じているところがミソ。

 

 

第1部最後の曲は、"Occhi(両眼)"(2006)。前出のアルバム「Fly」から2番目にシングルカットされた楽曲で、伸びやかな世界観のある美しい楽曲です。PVはCity編と砂漠編の2種類が作られています。



注)記事中の歌手の年齢は、記載時点での誕生日の到来を考慮はせず、2008年に達する年齢で表記しています。

 

Continua alla prossima puntata.(続く)