その3はコチラ


第4部

再び主宰YoshioAntonioからの紹介スタイルに戻っての第4部です。事前告知通りLucio Battisti(ルチォ・バッテスティ)を紹介するのですが、その前にBattisti人脈のアーティストの紹介を。

Battistiと組んで数々の名曲を作った作詞家Mogol(モゴール/72/Milano出身)。Mina(ミーナ)やAdriano Celentano(アドリアーノ・チェレンターノ)といったイタリア音楽界の2大巨頭にも作品を提供する、今もなおイタリアの作詞家の頂点に位置する偉大な作詞家。『イタリア音楽の歴史』といった表現されることも多いです。

また1981年にはイタリア人歌手を集め、『Nazionale italiana cantanti(イタリア代表チーム歌手軍団)』というサッカーチームを結成。自らも選手として大活躍するという、サッカー狂としての側面も有名。

何しろ、Gianni Morandi(ジァンニ・モランディ)、Umberto Tozzi(ウンベルト・トッツィ)、Enrico Ruggeri(エンリコ・ルッジェーリ)、Eros Ramazzotti(エロス・ラマッツォッティ)、Biagio Antonacci(ビアジォ・アントナッチ)といった大スターたちが、本業の音楽と異なるフィールドで一堂に会するのですから、イタリアで親しまれない理由がありません!

Mogolには4人の子供がおり、上の3人が最初の妻の子供たち。第2子は父と同じ作詞家の道を歩み、Cheope(ケオペ)のペンネームでLaura Pausini(ラウラ・パウズィーニ)やRaf(ラフ)に詩を提供しています。末っ子は、画家&詩人のGabriella Marazzi(ガブリエラ・マラッツィ)との間にできたFrancesco Rapetti(フランチェスコ・ラペッティ/29/Milano出身)。

彼も父と同様サッカー好きで、一時期プロ選手として活躍していた時期もあるようです。音楽の方は15歳ぐらいからギターを弾き始めたそうですが、他のアーティストのヒット曲をコピーして演奏する方向にはあまり興味を示さず、すぐに自作することに注力するようになったとのこと。

22歳の時(2001年)、Gianni Morandiに"Questo Grande Pasticcio(この大きなパイ)"を書き、数ヵ月後にはDennis(デンニス)等を排出したTV番組『Saranno Famosi(彼らは有名になるよ)』に"Never Too Late"を書いて大ヒット。6週間もの間ヒットチャートのNo.1に君臨する記録を作りました。

こうして2000年代前半はソングライターとして、主にTV番組の音楽制作に携わっていたFrancesco Rapettiですが、2008年ついにソロシンガーとして、"Come un'amante(愛人のように)"を歌って、サンレモ音楽祭の舞台に立ちました。

Festaでは、サンレモ音楽祭後に発表されたPVで紹介しました。

FrancescoRapetti
このサンレモ出場曲を収めたデビューアルバム「Francesco Rapetti」(2008)は、全曲の作曲&アレンジをFrancesco自身が手掛け、一部の曲は自身で作詞も手掛けていますが、父Mogolにほとんどの作詞をしてもらっています。サンレモ音楽祭出場時にも偉大な父との共作のことが話題に登り、『偉大なMogolの事を何て呼んでいるの?』という質問に対して、気まじめな顔で『パパ・モゴールだよ』って答えていました。

2曲目は"Libero Come un Gabbiano(ユリカモメのように自由)"をPVで紹介しましたが、ここではライヴ映像を紹介しておきましょう。何といっても、最後に父Mogolが応援に駆け付けるところが見ものです。

ここでも『偉大なMogolと、どうやって共作しているの?』という質問に対して、『いつも家で見つけられるからさー』なんて冗談交じりで答え方しつつも、『父をとても信頼していて、曲を作ると必ず真っ先に父に聴かせるんだよ』と答えていました。

兄&姉たちとも20歳ぐらい離れていますので、父子といっても、祖父と孫ぐらいの年齢差。Mogolも親バカ気味になっちゃうんでしょうね。でもFrancescoの音楽の才能は、親の七光ではなさそうです。父は作詞家ですが、息子は作曲やアレンジ、演奏&歌の方に才能を発揮しているのですから。

Francesco Rapetti最後の曲は、ちょっと路線が異なる楽曲"Robot"



さて、いよいよ6月FESTAのオオトリ。イタリア音楽史に残る大巨匠。現在活躍しているイタリア人歌手のほとんどが、多かれ少なかれ彼の影響を受けていると言われるLucio Battisti(ルチォ・バッティスティ/1943-1998/55歳没/Lazio州Lieti近郊Poggio Bustone出身)。

 

LucioBattisti-Mogol/IlNostroCantoLibero没後10年に当たり、Battistiの代表曲と2曲の未発表曲を2枚のCDに収め、TV番組にもよく出演していた1968年〜1972年の映像をDVDに収めたBoxセット「Battisti Mogol Il nostro canto libero」(2007)が発売されています。

1970年代後半よりコンサートもTV出演も一切しなくなったものの、アルバム制作だけで多くのイタリア人を惹きつけ続け、次第に神格化して語られることが多くなっていくことになります。その『神』の姿を、現在の日本に居ながらにしてDVDで見ることができるのは、まさに夢のような事です。

Battistiが残した数々の名曲の集合体を前にして、これまた選曲に悩みましたが、1曲目は"Pensieri e parole(想いと言葉)"。1971年のTV番組『Tutti insieme』からの映像です。


(セールスを阻害しないよう、DVD商品とは異なる映像をリンクします)

2曲目は、死後10年経過して挿入された未発表曲2曲中の1曲"Perché dovrei(なぜ僕はそうしなければならないんだい?)"(1971)。これが未発表曲だったとは信じられないほど良い作品です。メロディも歌詞も曲調も、Battistiの少し崩した歌い方まで!

この曲は、Lucio Battisti自身が歌ったヴァージョンが『未発表』だった訳で、曲自体は1970年にCarmen Villani(カルメン・ヴィッラーニ)のために書かれたものです。Carmen Villani側に何か事情があって2年ほどリリースが遅れたようで、1971年に録音したBattistiによるセルフカバーを先にリリースする訳にいかず、本家の方がお蔵入りしてしまったという経緯のようです。

Battistiの録音やステージでの演奏を務めたのがFormula 3(フォルムラ・トレ)やFlora Fauna & Cemento(フローラ・ファウーナ・エ・チェメント)だったのですが、これらのバンドが後に融合してIl Volo(イル・ヴォーロ)と名乗り、プログレ・ファンにもイタリアPOPSファンにもご機嫌な名作アルバムを2枚残すのですが、このスーパーバンドIl Voloが積極的に録音やライヴをサポートしたアーティストがMarcella(マルチェッラ/56/Catania出身)。

自ら、積極的なBattistiファンだと自称していた当時のイタリアを代表するこの売れっ子歌手も、1974年に"Perché dovrei"のライヴ音源を残しています。もちろん、演奏はIl Voloの面々。

そして名曲"…e penso a te(・・・そして僕は君を想う)"。1曲目と同様、1971年のTV番組『Tutti insieme』からの映像で紹介しましたが、グランドピアノ1本でせつせつと弾き語りするBattistiの姿にうっとりです。どうして彼が歌うと、こうも切ない感じがあふれてくるのでしょうか・・・・決して歌手としては歌はうまくはないのに・・・・

6月FESTAの締めの曲は、参加者の皆さんに選んでいただきました。名曲ばかりのBattistiですから、皆さんも選びきれず苦労していたようで、どの曲も大差ない人気ぶり。僅差で"Emozioni(さまざまな想い)"を選ばれました。

TV番組"Io stasera vado a casa di Ornella(僕は今夜オルネッラの家に行くよ)"(1971)からの映像で紹介しました。12弦ギターの弾き語りをするのが見ものです。


(セールスを阻害しないよう、DVD商品とは異なる映像をリンクします)

 



注)記事中の歌手の年齢は、記載時点での誕生日の到来を考慮はせず、2008年に達する年齢で表記しています。

 

次回7月FESTAは、7月12日(土)の開催予定です。