PiuItalia第33回Festaはイタリア語学校のピュウ・イタリアとの合同イベントの形式を採り、東京・渋谷Studio SPLASHにて12/8(土)に開催しました。

多数のイタリア人を含んだ40名を超えるメンバーが集まり、ライブ映像鑑賞・イタリアの大物アーティストの曲のミニ講座、そしてカラオケタイムと、企画盛りだくさんだったこともあり、充分に盛り上がりました。

また今回の選曲&コメンテイター役をPOP!ITALIANOのKazuma氏にお願いいたしました。


第1部

ピュウ・イタリアとの初めての合同イベントで、『イタリアPOPSとは?』という参加者が多く見込まれるましたし、クリスマスイベントも兼ねた時期ともなりましたので、今回は王道的なアーティストと作品を臨場感あふれるライブ映像で紹介する方針としました。

Rmazzotti/Stileliberoまずはイタリアの大物の中では、若手と呼ばれるEros Ramazzoti(44)の38歳当時のライブ映像を収録したDVD「Stilelibero(フリー・スタイル)」(2001)より。

当Piccola RADIO-ITALIAのロゴの新設の際、キャッチフレーズとして採用することとなった"Dove c'e' musica(音楽の或る処)"は、もちろん、Erosの同名の曲から引用しています。この大ヒット曲を白熱のライヴ映像で。

2曲目は"L'aquila e il condor(ワシとコンドル)"。アコースティックギターを抱えたErosが、ミドルテンポのリズムに乗せて、丁寧に唄い上げます。

3曲目は珍しくオーケストラを従えてのステージで、"E ancor mi chiedo(そして僕は再び自問する)"。Eros独特のコブシを効かせた彼らしいバラード。



Zero/Figli del Sogno第1部2人目は、名実ともに大御所に成長したRenato Zero(57)の54歳当時のライブ映像を収めたDVD「Figli del sogno Live(夢の子息たち)」(2004)より。

 

70年代のデビューから80年代にかけて、ゲイボーイ風の化粧とコスチュームと派手なパフォーマンスが大きなトレードマークになっていたRenato Zeroですが、その楽曲の良さと、破天荒な内容の歌詞、ワイルドさと繊細さを同時に表現した言葉使いの妙などで、幅広いファン層を獲得することに成功したイタリアでも稀有な存在。

ピュウ・イタリアのPaola先生(Roma出身)に『イタリアでのRenato Zeroの存在とは?』と尋ねてみたところ、明快な日本語で『すっごく有名な人で、私の母もsorcinaなの!』と答えてくれました。

注:Sorcinoソルチーノ(男性形))、Sorcinaソルチーナ(女性形)とは、ローマ地方で『小ネズミ』を意味する言葉ですが、熱狂的なRenato Zeroファンのことを敬愛を込めてそう呼ぶようになりました。

Renato Zeroの、というよりもイタリアPOPSを代表する大傑作アルバム「Amore dopo amore」(1998)の代表曲のひとつ"Cercami(僕を探してくれ)"を1曲目に。当Festaでも初期の頃、ギターの伴奏に併せてよく歌ったものです。ライブ会場でも観客が大合唱となっています。

第1部最後の曲は、Renato Zeroの名曲"Il cielo(空)"。イロモノ的なルックスとパフォーマンスを売り物にしていた1977年という初期のヒット曲ですが、未だにRenato Zeroの代表曲として君臨するのは、非常によくできたバラード作品であり、Zeroの楽曲の魅力が凝縮して詰まっているから。その当時からRenato Zeroの真価を見抜いていたsorciniたちの誇りになっています。

DVDの映像でも当時さながら、星の着ぐるみを身にまとったRenato Zeroがしっとりと歌い上げ、曲の後半には、スタジアムに花火が打ちあがるという、ド派手なパフォーマンス付きの演出!


第2部

Mannoia/Live in Roma12月Festa紹介アーティストの紅一点、Fiorella Mannoia(53)は、2005年に出版された本付きライブDVD「Live in Roma」から。

名匠カンタウトーレIvano FossatiがFiorellaのために書き下ろしたヒット曲"I treni a vapore(蒸気機関車)"からスタート。トレードマークの赤毛のウェーヴィーヘアがまた一段とイカシてるFiorella姐さん。そのエレガントなルックスとしっとりとした歌いっぷりにFesta会場からは、ため息にも似た感嘆が上がってきました。

そのしっとりさゆえにイタリアの若者には時折、『Fiorella Mannoia、つまりFiorrella m'annoia(フィオレッラは僕を退屈させる)』なんて、ジョークを言われる事もありますが、歌手として生真面目に積み重ねてきた歳月の集大成の魅力がそこにはあると思います。

2曲目は"Che cos'è l'amore(愛って何?)"。これは鬼才カンタウトーレVinicio Caposselaのペンになる曲。
そして3曲目は、Fiorellaの代表曲"Quello che le donne non dicono(女たちが言わない事)"。これはパンク出身の異色カンタウトーレEnrico RuggeriがFiorellaに書き下ろした1980年代のイタリアPOPSの代表曲のひとつ。この曲のクレジットが出ただけで、Festa会場からは歓声が(笑)!



Baglioni/Tutto Qui第2部の2人目は、イタリアの国民的大スターClaudio Baglioni(56)。しかも発売されたばかりの4枚組DVD「Tutto qui(すべてがココに)」(2007)よりご紹介。

 

まずは恒例の巨大スタジアムでのライブ映像から、"Tienimi con te(君と一緒に居させてくれ)"(2003)。Baglioniの甘い低音の魅力が詰まった歌い出しから始まり、後半のサビでの、ところどころ声が裏返る音域まで、実に幅広い音域を歌い手に求める楽曲です。『最期の時まで一緒に居てくれ、居させてくれ』といった、彼の年代に見合った究極のラブソング。

そして大スターとなったBaglionが少年期を過ごした生家のバルコニーで行われた野外ライブの映像を納めたディスクから、"Con tutto l'amore che posso(可能な限りの愛を込めて)"(1972)。Romaを流れるテヴェレ川のたもとで別れいく男と女・・・という、映画のワンシーンのような情景が浮かび上がる初期のご当地ソングの1曲。演奏場所だけでなく楽曲までもが、当時を再現した構成で、初心に立ち返ったようなライブ映像となっています。

この曲をかけている途中、Festa会場ではローマ出身のミュージシャンPaolo Laduが『Yoshio、Yoshio!』と呼ぶので話を聴いてみると、『これ、Monte Sacro地区だよね!僕が住んでいたところだよ!』って。そうです。BaglioniはRomaの中心地から北北東のエリアになるMonte Sacroに生まれ育ったのですが、Paoloもそうだったとは、なんて偶然なんでしょう!

そして最後の曲は、"Io sono qui(僕はココに)"(1995)。2種類存在するこの曲のビデオクリップのうち、ツアーのバックステージ映像を使用したVersione2で紹介しました。当時のBaglioniは、いくつかのイメージカラーをテーマに掲げたツアーを行っていましたが、この映像はGiallo Tour(黄色)の時のようで、移動用のトラックやポスター、衣装など、いたるところに黄色のカラーが飛び込んできます。

僅か12年前の映像ですが、40代半ばには到底見えない、若々しくダンディなBaglioniの姿を充分に楽しめます。彼は50歳になる少し前に急速に老けて、というより外見がようやく年齢に追いついた感がありましたので、この頃までは、万年青年のような瑞々しさを保ったままだった事を、懐かしく思い出される映像でした。

Continua alla prossima puntata.(続く)