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第3部は題して、『懐かしいコーナー』

 

1970年代後半〜1980年代にかけて、若手カンタウトーレブームに乗り、ブレイクしたSandro Giacobbe(56/Genova出身)。まさにブレイク中の1970年代後半にGigliola Cinquetti(60/Verona出身)の前座としても来日公演を果たしています。

SandroGiacobbe/TuttaLaVita彼の初期のブレイクの秘密は、一連のLucio Battistiフォロワーの中に属しながらも、今で言う『熟女/人妻ブーム』の先駆けにも匹敵する世界観を持つ歌詞で、オリジナル性を発揮した事と言えます。

年上の既婚女性にひたすら恋焦がれる無垢な青年の気持ちを、スラッとした長身に甘いマスクを持つ、まだ20代前半だったSandroが歌うのですから、きっと多くの熟女を虜にしたことでしょう。(30年前のイタリアのヨン様、といったところ?)

その人妻シリーズの代表作とも言える"Signora mia(僕の奥様)"(1974)を最新アルバム「Tutta la vita(生涯の全て)」(2007)の新録音で紹介しました。

どうして頬を赤らめるのですか
あなたとほんの少し言葉を交わすためだけに参りました
親しくしていただけなくても せめて
少しの望みだけでも与えてください

僕の奥様 僕はあなたの家の前に住んでいます
もう行かなくちゃ でもあなたに告白しなければ・・・

僕の奥様 ご存知ですか
僕の瞳に 何度あなたが止まった事か
まどろむあなたを何度夢見た事か

夜はあなたの部屋の閉ざされた窓を見つめ
いろんなことを想像していました・・・・

でもそれがどんな想像だったのかは
どうかお尋ねにならないでください・・・・

日本語訳をまともに読むと、少々背筋がこそばゆい内容ですが、イタリア語詩では尊敬語である『Leiモード』で全ての歌詞が書かれていてるので、慣れないとナカナカ使いこなせないこのgentileモードの習得のためのイタリア語学習の教材としても適切な歌詞だと思います。

この曲がヒットした同じ年に制作され、後に世界的に公開されたイタリア映画『Travolti da un insolito destino nell'azzurro mare d'agosto(8月の碧い海で非日常的な運命に打ちのめされて)/邦題:流されて…Swept away』(1974)の挿入歌として採用されました。

Mariangela Melato(66/当時33歳/Milano出身)が演じる上流階級の奥様のバカンスの世話役として一緒にヨットに乗り込む事になった使用人役のGiancarlo Giannini(65/当時32歳/Liguria州La Spezia出身)との間に起こる、数奇な運命を描いた傑作映画です。

金持ち特有の我がまま三昧と横柄な態度で、使用人に人間の尊厳を与えず、徹底的にこき使う上流階級の奥様。しかしヨットが遭難して2人だけが無人島に流されると、金の力など無意味となり、使用人の鍛えられた逞しい肉体と狩猟能力が、生き延びるための絶対的な力となり、やがて服従関係が逆転すると同時に、2人の間に愛が芽生えます。そのピークとなるラブシーンで、Giacobbeの"Signora mia"が流されるのですから、非常に感慨深いものがありました。

ちなみに、Giacobbeの『人妻シリーズ』では、1976年のサンレモ音楽祭で3位に輝いた"Gli occhi di tua madre(君のお母さんの瞳)"も有名です。こちらは『私の母に色目使ったわね!』と怒る彼女をなだめる青年の言い訳の歌。『いやいや、お母さんの緑の瞳に恋しちゃっただけだよー、君とお母さんがそっくりだから仕方ないさー、僕のせいじゃないってば』といった内容です。

20代前半の時、こうして年上の女性への憧れを歌に込めたGiacobbeですが、来日時のインタビューでは、『昔は年上に憧れたけれど、今の年齢(20代後半)では、年下の方がいいなぁ』という、ちょっと現金な答え方をしていました(苦笑)。

1970年代後半にその人気に陰りが現れるものの、1980年代初頭に再度ヒット曲を放ちます、それが"Sarà la nostalgia(懐かしくなるさ)"(1982)。愛らしい曲調でGiacobbeの爽やかな笑顔が似合いそうな楽曲。これを2曲目として紹介しました。

その後も1983年、1990年とサンレモ音楽祭に出場、2003年にはチリの国際音楽祭『Festival di Viña』で総合第2位に輝いています。イタリア本国よりも中南米でのスター度が高いGiacobbeの立場を良く現している事実だと思います。

Festa用に当時の映像と、最近の映像を用意していたのですが、荒すぎる画質になってしまったため、映像での紹介は出来ませんでした。しかしながら元映像を見る限り、若い時の王子様然としたスタイルが、50歳中盤を越えた今でも健在なのは凄いことだと思います。



Delirium/Live第3部2組目は、1970-1975に活躍したLiguria 州出身者によるRockバンドDelirium。特に最初期にIvano Fossati(56/Genova出身)が在籍した事で知られていますが、2003年に再結成され、2006年に行ったライブを収録したアルバム「Delirium Live (vibrazioni notturne/夜通しの振動) 」(2007)がリリースしました。

 

結成以来のオリジナルメンバーEttore Vigo(キーボード)、Peppino Di Santo(ドラムス)の2名を中心に、Fossati脱退後からフロントマン役を務めるMartin Grice(ヴォーカル、フルート、Sax)を中心にすえた5名編成。

彼らの復活ステージを見にTriesteまで行ってきたというツワモノ行動派、Poohlover.netのSiriusさんより2007年の最新ライブ盤より選曲&紹介してもらいました。

1曲目は"E l'ora(その時)"(1972)。選曲理由は、Mario Lavezzi作曲&Mogol作詞という鉄壁のコンポーザーコンビに手がけられた楽曲のうえ、Deliriumの音楽スタイルのエッセンスが詰まった曲だから、との事です。

Saxの音色が響き渡り、あちこちに大胆なキーボードワークで音が紡がれるダイナミックなサウンド。ヴォーカルは渋さをチラつかせつつ、コーラスもカッコよく決めています。プログレファンが喜びそうな楽曲だと思います。

2曲目はサンレモ音楽祭出場曲で、イタリアのライブ会場でも最も盛り上がっていた曲"Jesahel(イエザエル/邦題:ジェザエル)"(1972)。サンレモ音楽祭用の曲だからか、彼らが持つウェスタンぽい世界観は残しつつ、大勢で大合唱したくなる歌モノに仕上がっています。

曲の後半はノイズを取り入れたフルートによる乱れ吹きとも言えるソウルフルな演奏。Jethro TullFocus、イタリアではNew Trollsと通ずる表現法を用いています。

サンレモ音楽祭出場時の映像でも、ヒッピーの集団のような格好のDeliriumの面々が演奏し、Ivano Fossatiが歌い&狂ったようにフルートを吹き鳴らしているのが残っています。


 

第3部の最後のアーティストは、故Ivan Graziani(1945-1997/51歳没/Abruzzo州Teramo出身)。

カンタウトーレとしての自身の活動だけでなく、ギタリストとしても数々のアーティストの作品や録音に携わり、そのバラエティ豊かで優れた音楽性と美しい高音ボーカルに絶大なカリスマ性を誇っていたアーティストでした。ステージはもちろんのこと、聴衆の間に分け入って演奏する『ライブ感のある演奏スタイル』が大好きで、死の数週間前までライブをしていたことが記録されています。

Grazianiは、幼少時より音楽とデザインに興味を持ち、やがてギターとドラムを習得し、地元のいくつかのオーケストラで演奏を始めます。1966年にAnonima Soundというバンドでデビューし、Cantagiroコンテスト参加曲"Parla tu(話してくれ)"(1967)をヒットさせます。芸能活動と並行して絵画の勉強を続け、上級グラフィックの学位を習得。さらにUrbino芸術学校の絵画コースにも通っていたようです。

兵役を終えた1972年(27歳)、ソロデビューを果たしますが、当初はセッション・ミュージシャンとしての活動が多く、PFM、Lucio Battisti、Bruno Lauzi、Antonello Vendittiらの助っ人を務めています。やがてMogolとLucio BattistiのレーベルNumero Unoと契約した1970年代後半から、カリスマ・カンタウトーレとして脚光を浴びる時代が到来します。

Ivan Graziani/W Ivanそんな彼の活動の記録が没後10周年となる2007年になって、CD+DVDという資料価値の高い仕様でリリースされました。「W Ivan」(2007)と名付けられたこの作品から、当然DVD映像で彼の軌跡を紹介しました。

1曲目は"Agnese(アニェーゼ)"(1979)。エレクトリックギターのアルペジオというシンプルで落ち着いた演奏に乗せて、Grazianiの魅惑の高音が歌い出します。途中でバンドのメンバーがGrazianiの歌う旋律の上と下に、きれいなハーモニーを付けていきます。、その空間を感じるサウンドが、51歳で逝ってしまった彼の短い人生の儚さと重なり合って、胸が締め付けられます。この曲は彼の作り出す音楽の一つの傾向である『生涯に出会った女性たちを描く』タイプの代表曲と言えるでしょう。映像では彼のトレードマークだった赤いフレームのメガネがイカシテいましたね。

2曲目は"Firenze /canzone triste(フィレンツェ/哀歌)"(1980)。Grazianiを語る上で絶対に外せない曲、否、1980年代のイタリアを代表するヒット曲とも言える名曲です。1970年代の日本の4畳半フォークソング的な抑揚を持ったメロディを持っているので、日本人の心には否応なしに響いてくるものがありますが、やはりそこはイタリア。日本のようなウェット感とは異なり、どこか古き良き時代のヨーロッパ映画のような雰囲気があります。サビの美しいメロディとそれを支えるストリングサウンド。

この美しい曲はGrazianiのような特徴的な声でなければ、その魅力が半減してしまうように感じるところが、すごい。アコースティックギターを抱えて、丁寧に歌い上げるGrazianiの姿にまた異なる魅力を感じられましたねぇ。

フィレンツェは変わることができないって知ってるかい
フィレンツェが愛したのは空気感
街を夢で満たしてデザインしたのさ
でもトスカーナの偉人に作られた大理石の目はとても遠いところを見つめている

我が友バルバロッサ 哲学専攻の学生
つたないイタリア語で 君がフィレンツェに対して言えたいくつかのこと
あぁ、そうだね 判るよ 判る よく判る
君とふたりで共有した愛しの女(=フィレンツェ)
でもこの街には時間が無い
呪わしい憂鬱だけが漂っている

だから僕は哀しい歌を歌うよ
悲しい 哀しい 僕のように悲しい
フィレンツェの事を僕に語る者は もう誰も居ない

フィレンツェの瞳を覚えているよ 不思議な女の目をしていた
激怒してフィレンツェのデザインをヴェッキオ橋から投げ落とした時
『私は貝殻から生まれたの』とフィレンツェは言った
『私の故郷は海 そして川の流れと共に・・・・・・・・ 
いいえ 私には故郷を変えることはできないわ』

我が友バルバロッサ 冒険仲間
もしフィレンツェが居なくなってしまうなら それは僕のせいじゃない
あぁ、そうだね 判るよ 判る 君の人生は変わらないだろう
君は哲学の学位を胸にアイルランドに帰るだろう
でも僕はこの街で何をするのだろう?
呪わしい憂鬱だけが漂っている

だから僕は哀しい歌を歌うよ
悲しい 哀しい 僕のように悲しい
フィレンツェの事を僕に語る者は もう誰も居ない

 

Firenzeという町の栄光の歴史も、『つわものどもが夢の跡』と捉えた途端、侘しさ、虚しさ、儚さが感じられると思います。昔々、Firenzeで悲しい失恋を体験したPくんの心にも、きっとこの曲は深く突き刺さったことと思います。Forza!

この名曲の11年後になる1991年、Paolo Vallesi(43/Firenze出身)が"Il cielo di Firenze(フィレンツェの空)"というタイトルで、Firenzeの没落を描くと同時に応援する曲をヒットさせますが、Grazianiの曲に少なからず影響を受けていると思えます。

Vallesiもやはり『過去の栄光だけにすがって、何も変わらない、変えようとしないFirenze』と歌っていますが、『Firenzeは子供たちにデザインされた街』という設定にしているところが興味深いところ。

Continua alla prossima puntata.(続く)