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いよいよ今回の旅の主目的Piobbicoのアグリツーリズモへの移動日です。

滞在するCandianaccioは、Piobbico市長さん一家所有とのこと。先方から「Riminiを出る時に連絡をくれ」と言われていましたので、早速電話。すると案内役の方が電話に出て、非常に明快なイタリア語で

 

「では1時間強ぐらいで着くね!道順は・・・・・」

 

とひとつひとつ丁寧に教えてくれました。

 

しかしながら実際は、道案内で教えてもらったautostradaの出口が非常に判りにくい。道路に何号線かの明記がない、など結構迷いました。途中のautogrillに車を止めて、休憩がてらのespressoを飲みながら、scopaで遊んでいるトラックの運転手たちに道を尋ねてみると、人によって言う事が違う(^_^;) もっとも多くの人が示した道を選ぶ事にしたら、それらしいルートに出ました。するとPiobbicoサイドから携帯に電話が。

 

「今どこにいるの?え?まだそんなところなんだ・・・じゃあ、ついたら電話ちょうだい」 

 

どうやらお使いの方が、町のcentroでお出迎えに待っててくれていたらしい。

 

いや〜、初めてなんだからさ、そんな時間通りには着かないよ〜 と思いつつ、残る道程を進めていくと、目印の大岩が見えてきました。恐ろしいぐらいの大きさの大岩で、ここはイタリアなのに、なんだか孫悟空が生まれた中国の山のように感じました。

 

その大岩を過ぎてしばらくいくと、小さな町が見えてきました。どうやらここが目的地Piobbicoのようです。待ち合わせ場所に指定されたの並木道沿いの駐車場に車を止め、市長さんサイドに電話。

 

「やっと今着きました!例の駐車場に居ます」

 

と伝えると、

 

「じゃあちょっと待っててね。直ぐに行くから」

 

とのこと。

 

centro
しばらく町の様子を眺めていました。本当に小さな町で、わずか
200mほどの通りが町のcentroのようです。すぐ脇にきれいな小川が流れていて、小さな山を頂く丘陵に抱かれた閑静な人口2,000人の町。自然と親しむ目的のagriturismo型の滞在には最適な環境ではありませんか!

 

やがて1台のFIATが駐車場に入ってきました。ドアを開けて出てきたのはまだ青年に見える金髪の紳士。Giorgio Mochi

 

「ようこそPiobbicoへ!Giorgioです」

 

「???え??? Giorgioって・・・Mochi市長さん?」

 

「そう、僕がGiorgio Mochiだよ」

 

びっくりしました。市長だと聞いていたから、初老の紳士だと思っていたし、市長自らお迎えに来て貰えるなんて思っていなかった。それにどうやら、今まで電話で道案内をしてくれていた使いの者だと思っていた人物は、Mochi市長ご自身だったのです。

 

「それじゃあ、さっそく宿へご案内しよう。車で着いてきて」

 

とのことで、Candianaccio Residenza Agriturticaへ向かいました。

Candianaccio1
町の
centroから車で5分ほど、山側に登っていった田園の中に、ポツンと立った建物でした。建物の前には、初老の女性が立って待っていました。

 

「僕のマンマのMariaだよ」

 

マンマに僕たちをバトンタッチして、多忙な市長さんは執務へと帰っていきました。

 

マンマMariaが建物の施設を一通り案内してくれました。

2階建ての建物で、玄関が2つ。この2つは部屋の中から行き来ができないような作りだったので、ひとつの建物をまったく別の2グループに使って貰えるような作りなんですね。

 

Candianaccio2
そして僕らに貸してくれる方の玄関を入ると、
1階に暖炉がある広いsalotto。そしてその奥の庭側にダイニングキッチン。ダイニングキッチンの奥には2つダブルサイズの客室が。2階にもダブルサイズの2部屋。つまりこの建物の半分だけで、4部屋=8人が泊まれる仕様になっていました。それぞれの部屋にシャワー室とトイレを完備。キッチンとsalottoは共有して使う、というスタイルでした。8人のグループで貸し切って使うも良し、それぞれの部屋が別々の客だけど、ユースホステル風に共同生活を楽しめるのではないかな、と思える作りでした。

 

Candianaccio3
庭には、夏なら大いに楽しめるであろうプールがあり、納屋のような建物の中には、卓球ができるようになっていました。また数百m離れた隣に、また別の
agritursmoが立っていました。

 

一通り説明し終えたマンマMariaが

 

「良かったらウチでお茶しない?」

 

と誘ってくれたので、遠慮なくお呼ばれする事にしました。

 

再び車に乗って、マンマMariaの車の後をついていくと、来た道の途中に彼女のお家がありました。お城を小さくしたような石造りのお家。きっとこのあたりの地主だった一家なんでしょう。

 

広いsalottoに隣接されたキッチンに招かれ、大人にはespresso。子供たちにはホットミルクを入れてくれ、自家製パンと自家製のジャムを勧めてくれました。美味しい!! 子供たちは、お代わりまで貰ってしまいました。やがてMariaのだんな様Pieroが帰って来ました。そしてGiorgioの姉や弟が代わる代わる現れては、挨拶を交わしました。

 

僕の上の娘が小学校2年生なのですが、このお姉さんの子供Maria Elena2年生だと言う事が判明し、だったら

 

「授業参観していかない?」

 

なんて話になりました。何でもその小学校の先生が、Mochi家の親戚のようで、

 

「学校側に交渉しておくから、明日なんてどうかしら?」

 

ということになりました。これは貴重な体験になりますねぇ。

 

マンマMariaの家を後にし、宿へ。

9月下旬の高原地帯ということもあり、夜になるとかなり冷え込んで来ました。壁にはオイルヒーターが埋め込まれているものの、壁の調節器や本体のスイッチらしきものをいくらいじっても温まらない。これはおそらく大もとのスイッチが切られたままになっているのだろう。仕方が無いので、暖炉をつかうことにしました。納屋に詰まれた薪をいくらかsalottoに運び入れ、火を起こします。

 

camino
こういう暖炉の現物を見たことがなく、サンタクロースや童話のお話しの中やメリーポピンズの映画の中でしか聞いたことのない子供たちにとっては、興味津々。太い薪に火を着けるために行う手順など、子供たちにとって、とても有意義な体験になったようです。

 

一旦暖炉に火がつくと部屋中が温まり、部屋の温度だけでなく、暖炉を囲んで肩を寄せ合って座る、というそのスタイル、とてもよい家族の温度感となり、これもまた良い体験になりました。ちなみに翌日からはオイルヒーターの大元のスイッチを入れてもらい、暖炉無しでも暖かく過ごせました。

 

翌日は小学校へ行くかも知れないので、娘はイタリア語で自己紹介をしたい、と一夜漬けのイタリア語特訓を希望したので、いくつか文章を考えて教えたところ、ひたすら暗記していました。下の5歳の折り紙好き息子は、折り紙を手土産に持って行くんだと、いくつも折っています。

 

そうして最初の夜の床に着きました。大きくてふっくらしたベッドだったことと、翌日がこの旅では初めての移動の無い日だったこともあり、ぐっすりと眠れました。 

 

Continua alla prossima puntata.(続く)